ナイトウィザード!クロスSS超☆保管庫

第04話03

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 暗(くろ)の帳が落ちた、学園世界の夜。
 ある居住区の隅に、一人の学ラン少年がいた。
 年のころは中学生くらい。息を切らせながら、鞄を抱きかかえながら走っている。
 彼は、何かに追われているように逃げ続け―――おそらくは、相手が狙ったとおりなのだろう袋小路に追い込まれた。

 少年は目の前に広がる高い壁を呆然と見上げていたものの、背後からのローファーが床を叩く音で今の状況を思い出した。
 彼は、鞄を抱えたままおびえた表情で、壁を背にして追跡者を目に映す。
 追跡者は、その口元に不敵な笑みを浮かべていた。
 その長いふわふわした桜色の髪をなびかせながら、その顔にあるのはとろけるような加害者の笑み。
 少女はぱちん、と指を鳴らす。

 それだけで、世界が塗り変わった。
 先ほどまであったはずの背後の壁は消え、世界の色すら塗り替えられる。
 そんな、限りなく間違いない『異界』に閉じ込められた少年は、腰を抜かしながら、半ばヤケになりながら尋ねた。

「なんだよっ! おまえ、なんなんだっ!?
 何で僕が―――僕がおまえみたいなバケモノに襲われなくちゃならないんだよっ!?」

 その、怒りとも逃避ともつかない言葉に、少女はくすりと笑う。

「『バケモノ』か。なかなか言ってくれるな、少年。
 確かにおまえの疑問も尤もだ。だが―――ここは答えてはやらん。おまえにとっては、それが優しさというものだ」

 そう言って、少女は一歩踏み出す。
 少年は息を呑みながらじり、と後ろに退る。そんな彼の様子を見ながら、少女は嗜虐的な笑みを浮かべたまま、一言。

「一つだけ言うのなら―――自分の不運を恨め、と言ったところか。
 今おまえがワタシの言葉を聞いているということが、お前の不運だ」

 言いながら、彼女は虚空から白く大きな杖を取り出し、掲げた。その杖の先に強い魔力光が灯る。
 その魔力が自分に向くのだ、と思った瞬間、少年はぎゅっと強く目を閉じた。
 今までのことが走馬灯のように思い出される。
 そんな少年を見て、少女は一瞬だけ目を細め―――しかし、自身の身につけた魔法を開放。
 杖の翼がゲートボールのような槌と化し、撃つ部分に半径20センチくらいの魔法陣が現れる。
 それは、大地の威を示す魔法陣。その部分を使用して撃てば、非力な魔法使いには出せない大地の力を対象にぶちまける。それが、彼女の解放した魔法の効果だ。

「恨むな、とは言わんよ。安らかに眠れ」

 魔法陣を浮かべた槌を、少女はためらいなく振り下ろす。
 間違いなく、一人の少年の命を刈り取るには充分な威力を秘めた魔法の一撃は、しかし。


 ―――突如彼女と少年の間に落下してきた乱入者が軌道上に割り込ませた鋼塊によって、唐突に逸らされた。


「―――昨日も言ったよな。そういうやり方は許せねぇって」

 落下してきた乱入者―――柊 蓮司は、少女を睨む。
 少女は驚いたように目を大きく見開き、小さく後ろに跳ぶ。
 彼女は不敵な表情に戻ってから、告げた。

「昨日も言ったはずだが? ワタシがお前に許しを得る必要があるのか、と」
「あくまでそのやり方を通すってなら、俺が相手になるっつってんだよ」
「ほう? 魔法にごく弱い魔剣使いが、ワタシの相手をする、と?」
「体力のないキャスターが、マジで戦り合って勝てると思ってんのか?」

 二人の間に、険悪な空気が流れる。
 牽制は言葉だけ。戦場が硬直した、その時。

 柊は、『背後』から唐突に出現した敵意に舌打ち一つ。
 迷うことなくウィッチブレードのトリガーを引き、地面と平行に急加速しながら目の前の少女を左腕に抱え、その場から全速離脱。
 同時。少女と柊が今まで立っていた場所に、巨大な雷が落ちた。
 安全圏まで来ると同時、ウィッチブレードを急停止。左腕の少女が目を丸くして呟く。

「―――なんだ、アレは」

 その視線の先には―――先ほどまで少女が追い詰めた少年が、虚ろな表情で立っていた。
 床に鞄は落ち、中のものがいくつかこぼれ落ちている。
 そして―――鞄の中にあったのだろう、分厚いカードアルバムがその腕に抱えられている。
 カードアルバムからは禍々しい紅い輝きが漏れ、青い世界の中で一際の異彩を放っていた。
 バラバラといくつものページがめくれて、数枚のカードが輝く。

 それだけで、空間が塗り替えられた。
 少女の張った青い月匣が打ち砕かれ、ガラスのように粉々になってしゃらりしゃらりと崩れ落ち―――その殻の外側にあった、紅い月輝く月匣が姿を現す。

 その光景に動揺する少女に、柊が答えた。

「元凶の侵魔はあいつに取り憑いてるわけじゃなくて、あの分厚いアルバムそのものなんだ。
 あいつは単にエミュレイターの指先みたいなもんで操られてるだけだ。あいつを殺したところで事態の解決にはならねーんだよ」
「そんなことは聞いておらんわっ!
 ワタシは、あの馬鹿魔力と馬鹿みたいなプラーナの貯蔵量はなんだと聞いているんだ!」

 耳元できんきんと騒がれた柊は、落とそうかなコイツ、と思いながらも月衣の中に突っ込んだままの長門に渡された紙を渡す。
 それを受け取り、少女はそれに目を通し―――なるほど、と呟いた。

「世界中に『カードゲーム』として広まったカードが端末の役割を果たし、世界中からプラーナを少しずつ集めてアレに供給。
 そして、ついでにその端末に魔法的な命令文を書き込むことで学園世界中に配置した端末により異変を起こすことを可能としたのが、あのアルバム内の侵魔ということか」
「らしいな。俺にはよくわからねぇけど」
「だから頭が悪いと言われるんだ、おまえは」
「うるせぇよっ!? 落とされてーのか!」
「痛いから断るに決まっているだろう。何を言っているんだ、柊蓮司。馬鹿か?」

 そう平然と答える桃色髪の少女に、もの凄く文句を言いたい気分でいっぱいの柊。
 そんな彼を省みることなく、少女は冷静に告げた。

「ふむ。しかし、これだけのプラーナがあるとなんでもできそうな気がしてくるな。人造人間を瞬間的に錬成することすら可能だろう」
「そんな落ち着いてる場合かよっ!?」
「慌てたところで何が出来るわけでもなかろう。まずは相手の出方を見てだな……」

 と、少女が言ったその時。
 紅い結晶のような地面から、次々と黒い泥のようなものが凝り、ねじれて様々な形を取る。
 ……少年の抱えているアルバムが壊れたように真っ紅な光を放つことに嫌な予感を感じながら、柊と少女はその光景を見続ける。
 黒い泥たちはやがて不定形から固まり、まるで魔法のように色づいて、様々なクリーチャーへと変貌した。
 中には、柊が今日昼間に倒したビームクラゲもいる。
 なるほど、と少女が何かに感心したかのように呟いた。

「集めたプラーナをあえて志向性を与えずに同化しておき、命令文一つでいつでも起動できるように不定形にしておく、か。
 各地の神話の『泥』の信仰を利用した術式というわけか。魔力の相転移により形を即座に固定できる理想のカタチというわけか? 意外とさかしいな、この侵魔風情が」
「……。お前何言ってんだ?」
「ふむ……自分の無知をさらして楽しいか?」
「楽しくねぇよっ!?」

 柊のツッコミに、少女がうざったそうに目を細めて言う。

「……つまりだな。もともとあのカードにはモンスターや魔法の効果のイラストが書いてあるのだろう?
 それをイメージ媒体である『殻』として力を形作っているわけだ。
 型に石膏を流し込んで固めているようなイメージ、と言えばわかるか? 型がカードのイラスト、石膏が侵魔の一部だ」

 少女が語るには、あの侵魔は人の形を取れるほどに高位のエミュレイターであるものの、わざわざ人間の姿にならずに形を不定形のままに留めているのだという。
 そのまま集めたプラーナを取り込み、不定形のまま形を決めないでおく。
 力を使用する際に、同化した端末の形を型―――『カードのイラスト』という形で固定し、瞬間的に端末として出現させることができる、ということだ。
 少女は告げる。

「理解できたか、空頭」
「誰が空だ誰が。
 正直、理解できたかといわれると微妙だが……どっちにしろ、やることは変わらないだろ」

 それはつまり理解できていないということなわけだが。
 しかし彼は、少年を―――少年の持つカードアルバムを、変わらず睨み続ける。
 できることなど、一つしかないのだと言わんばかりに。

「あのエミュレイターぶった斬って、あいつをもとの『世界』に戻すってことには何の変わりもねぇよ」
「―――なるほど。そういえばおまえはそれが『仕事』なのだったか。
 よかろう。『世界を守る』のはワタシの仕事でもある」

 不敵な笑みのままに柊の腕から逃れて地面に降り立つ彼女は、胡乱げな柊の表情を置いてけぼりに、楽しげに宣言した。

「ありがたく思え柊蓮司。
 此度の侵魔狩り、このワタシが―――神代よりの大地の守護者『ゲシュペンスト』が手伝いを申し出てやると言っているのだ!
 母なる大地に立つ敵を、破り、砕き、蹂躙する! それが我が使命にしてワタシの宿命だ。さぁ、ワタシに背中を預け存分に戦ってくるがいい!」
「……お前に背中を預けるってのは、死ぬほど不安なんだが」
「む? 何故だ。ワタシにはおまえを害する理由はない。その程度もわからん空頭か?」
「いや、理由とかそういうのよりもむしろお前の人格的問題でな?
 ―――あー。もうどうでもいいや。せっかく手伝ってくれるって言ってんだ、ありがたく付き合ってもらうぜ」

 溜め息をついて、柊もまた箒から降り、魔剣を敵の群れに向けて構える。
 少女―――ゲシュペンストは、己の愛杖『ヘルメスの杖』に両手を添えて立つ。

「じゃあ、行くぞ葵」
「今のワタシはゲシュペンストだというのに……さっさと行け、刃物馬鹿(ぜんえい)」

 同時。
 柊は腰だめに構えたウィッチブレードのアクセルを吹かして加速。強襲を敢行し。
 不敵な笑みのまま、ゲシュペンストは己の裡に刻んだ励起している『アースハンマー』の魔法を別の魔装と取り替えた。

 ***

 異形。異形。異形の群れ。
 三つ首の番犬。巨体の蜘蛛。竹箒を持つ亜人。人間ほどの大きさの蛾。二足歩行の剣を持つ猫。大きな一つ目の象。黒甲冑の騎士。四本腕の鬼人。竜。
 ありとあらゆる異形どもが、紅の平原を埋めつくす。
 その群れに、たった一人突撃する人影があった。
 異形が嗤う。囁く。叫ぶ。
 愚か者。我らは一にして群体。ただ一人の人間など敵にもならぬ。我らの前には塵芥に等しい。さぁ、我が手の内で潰してやろう。

 異形たちのその言葉も当然だ。
 そう―――そいつが、ただの人間であったなら。

 裂帛の気合と共に、相棒を振りぬく。
 ただそれだけで、彼の周囲にいた量産式モンスターが、砂利道を蹴った時の砂利の如くに八方に吹き飛んでいく。
 あまりの事態にモンスターたちが我を失う。それもまたわからないではない事態だ。彼らは姿形が違うだけの、まったく同じ侵魔の端末。
 視点が複数存在するだけで、その思考はただ一つの生物が賄っている。それが思考を停止すれば、やはり全てのモンスターも動きを止めるのだ。

 その隙を、歴戦のウィザードは見逃さない。
 再びの爆発的な加速。着地。さらなる強襲。モンスターの密集地帯で薙ぎ払われる鋼の塊が、砲弾の如くに彼らを吹き飛ばした。
 ことここに至り、ようやくエミュレイターは目の前の人間を『敵』だと認識した。
 爆撃を受けたように端末たちが吹き飛ぶのを感知して、派手に魔力を噴出しながら端末を薙ぎ払い続けるそいつを『敵』と認識したのだ。

 その瞬間から、柊を襲うモンスターたちの動きが明らかに変化した。
 柊を囲むように、モンスターが配置を変える。
 一つの生物が思考を賄っている以上、その行動が決まりさえすれば劇的なまでに速攻できる。
 人間が掌の上に置いた小動物を逃がさないために掴むように、全方位からの包囲を完了した。
 しかし柊は不敵に笑ったまま、臆することなく一歩を踏み出し魔剣に生命力を付加。

「―――面白く、なってきたじゃねぇかっ!」

 振りぬく。
 巨大な鋼の塊が行過ぎる際に、力が解放されることによって彼の属性に引きずられ、生まれた爆風が後を追うように侵魔たちを蹂躙する。
 風。台風。大嵐。
 轟々と渦を巻くその風の中心は、ただ一人の人間。
 魔(バケモノ)狩りのための一振りの剣。虚空を往き裂く斬撃。刃の渦にして嵐。
 それが、そのエミュレイターがはじめて見たその 化け物(ウィザード)に対する印象だった。

 しかし敵は一人。
 囲んでしまえばいつかは嵐も収まり、中心に手が届くはず、と吹き飛び無に帰すそばから端末を作り直す。
 その狙いを読んだのか、刃の渦の中心は唐突に長大な刃を一度大きく振り下ろし、包囲を崩して活路を駆け抜けるために再びアクセルを開ける。
 逃がさん、とばかりに新たに端末を作ろうとして―――不意に、巨大な魔力反応を感知した。

 そこには。
 翼の杖を大地に突きたて、方膝を立てて祈りを掲げる聖女のような少女がいた。
 しかし彼女は、聖女と言うにはあまりに嗜虐的な笑みを湛えていた。

「大地よ。其は天空の花嫁にして人の子を見守りし聖女。
 汝が威をここに示し、人の子に下りし災厄を振り払え―――<アァァース、レイジ>っ!!」

 彼女―――ゲシュペンストの叫びに呼応し、地面がぐらぐらと振動する。
 モンスターはあまりの振動に立っていられず、地面に叩きつけられ、同じ端末が危険な速度でぶつかり合い、地震の影響で隆起した地面に打ち抜かれる。
 広大な破壊をもたらしたそのウィザードは、不敵な表情を崩さぬまま、杖をもって侵魔の本体―――カードアルバムを指す。

「ク―――さぁ行け、若造」

 その言葉が聞こえていたわけではないだろうが、彼はウィッチブレードの加速に身を委ね、全速で少年に―――正確には少年の腕に抱かれているカードアルバムを目指す。
 接近に気づき、混乱が解けた時にはすでに遅い。
 彼は己の間合いにすでに侵魔と少年を取り込み、着地している。
 それ以上前進しようとする慣性を、全て刃を振りぬくためのエネルギーに変換。
 1m半はあろうかという刃を、これまで侵魔の端末のモンスターたちに振るったのと同じように。

「―――終わりだ、寝てろ」

 無慈悲に。冷徹に。冷たい刃を。下から。逆唐竹に。
 ただただ、振りぬいた。

 その一撃で真っ二つに絶たれたカードアルバムは少年の手から零れ落ち。
 衝撃で、少年は大きく吹き飛ばされた。

 ***

 よくわからない世界に来て。
 周りのみんなは次々に色んなところに進んでいって。
 弱虫な僕は、一人閉じこもっていた。
 けれど、僕も色んな人と笑ったり、話したりしたいのは本当で。
 どうしたらいいか迷って、悩んで、考えて。

 『お前の得意なものを広めればいいではないか』

 そんな声が聞こえたのは、その時の話。
 それから僕は、何かに突き動かされるようにその声に耳を傾けた。
 今では僕がこの世界のブームを作ってるみたいで嬉しかった。
 近くの友だちには黙ってるつもりだった。
 だって『僕がこんなことをしてると知ったら、妬むかもしれない』って、声が言うから。
 なのに、なんで僕はこんな路地裏で変な女の子に襲われなきゃいけないんだろう?

 僕は、僕はただ―――
 あれ?
 僕は、何がしたかったんだろう。
 この世界に僕の手でブームを起こしたかった?
 違う。
 僕は、僕はただ―――

 ―――他のみんなと、一緒に笑ったり、話したり、したかった、だけなんだ―――。

 声の正体をはじめて見ると、それはどろどろした暗くて深い泥みたいな何か。
 助けて、って声が誰に届くとも思えない、深い深い底なし沼みたいな泥。
 嫌だ。怖い。誰か。
 そう思って、気づく。

 僕なんかを、誰が助けてくれる?
 この世界に来てからの友だちなんか一人もいなくて。
 今までの友だちを放っておいて、話もしてないのに。

 そうだ。
 これは、きっと報い。
 誰かと仲良くなるために、『自分』から近づくことを恐れた僕の報い。
 そして僕はきっと、あの女の子にか、この声―――バケモノにかはわからないけれど、殺される。
 そこで、おしまい。
 唐突な終わりはひどく現実感がなくて。
 けど、そこで納得してしまった。
 きっと僕の心は、声を受け入れた瞬間に折れてしまっていた。
 新しくて理解のできないものを受け入れることを諦めて、声に身を委ねた瞬間に僕の生はそこで終わってしまっていたんだろう。
 つまり、この時間は僕に残されたロスタイム。

 死にたくない。
 死にたくないのに、これが終わりだと納得してしまった自分がいて、どうしようもなく涙が溢れてくる。
 やっと気づいたんだ。
 進むのなら、自分の足じゃなきゃ駄目なんだって、ようやく気づいた。
 今ならどれだけ迷っても、苦しくても、悩んでも、前に進むために勇気を振り絞って、進むことの大切さがわかるのに。
 今なら、逃げずに立ち向かうことができると思うのに。
 なのに、なんで―――僕は、ここで終わるんだろう……?

 死にたくない。終わりたくない。生きたい。生きていたい。
 そう、何度叫んでも僕は声の泥の中に沈んでいって。


 ―――いきなり泥が裂かれて。視界いっぱいに広がった、まばゆい光に包まれた。


 光の色は、純粋な白じゃなくて。
 鋼のような鈍い銀色だったと思う。
 また、声がする。
 バケモノの声でも、女の子の声でもなく、低い男の人の声。

「―――終わりだ、寝てろ」

 その声が、僕の悪い夢が終わったことを伝えてくれている気がして。
 僕は、久しぶりに笑って。
 そのまま生の実感を感じながら―――はじめて聞くその声に安心して、意識を手放した。

 ***

 眠りこけている少年を抱え、葵のところに戻った柊。
 葵は柊が降ろした少年の中を探るように掌を掲げ、探るように検分し―――つまらなさそうに目を細めて、一言。

「侵魔のプラーナは感じられん。この少年は無事だ、安心しろ。
 ……まったく、手間をかけさせおって。その割になんだか幸せそうに笑って寝ているのが非常に気に食わん」
「お前本当にウィザードかっ?
 今まで悪い夢見てたんだ、ちょっとくらいいい夢見させてやれよ」
「ほう。おまえがそんなことを言い出すとは思っていなかったが―――アレについてはどうするつもりだ?」

 そう言って葵が指すのは、真っ二つになったカードアルバムと―――そこから零れ、あふれ出す泥のような物体・エミュレイター。
 『世界の敵』とも言えるほどの大量のプラーナの貯蔵量の相手だ。
 多少端末を削り、体を定着させるために使用した殻であるカードアルバムが絶たれた程度では消滅することはない。
 柊のやったことといえば少年を助け出した程度のことで、敵を倒したわけではない。
 彼は、脇に置いていたウィッチブレードを再び手に取る。

「決まってんだろ。
 あんなの放っておけるわけねぇ、下手すりゃ世界中にさっきのモンスターがあふれ出す可能性があるんだ。
 ここで間違いなく、欠片一つ残さずにぶっ潰す」

 瞳は強く前を射抜く。
 『世界の敵』を前にして、倒すことしか考えない。
 そんな彼を見て、下を見ていた少女の頭が楽しそうに小さく揺れた。
 彼女はそこですくりと立ち上がると、翼の杖を再び構える。

「侵魔狩りに付き合う、と言ったのはワタシだ。最後まで付き合ってやろう」
「一緒に吹き飛ばそうとか考えてねぇだろうな?」
「意外と疑り深いな、おまえ。前に出て壁になる役がいなくなったらワタシの身が危険だろう」

 心外だというように唇をとがらせるふわふわした桃色の髪の少女に、それもそうかと納得し。
 柊が立ち上がった、その時だ。
 黒い泥が、その身に宿していたプラーナを大量に噴き上げ、泥自体がそれを追うように間欠泉のごとくに高く伸び上がる。
 二人は各々の武器を掲げて身構える。
 そんな彼らを無視したまま、泥は高く高く―――10mほどの高さまで吹き上がり、先ほどまでの端末を作る時と同じように捻じれ捩れ膨らみ縮み、一つの形を形成する。
 それは巨大なヒトガタ。
 人間のように二本の足で立ちながら、しかし人間そのもののシルエットではない。
 角ばった頭。柱のような腕。関節部分にはプロテクター。
 紛れもなく、それは一般的に『ロボット』と呼ばれるものだった。

 10m―――5階建ての建物くらいの高さのヒトガタを見て、さすがにあぜんとする二人。
 ゲシュペンストが柊にたずねた。

「なぁ、柊蓮司」
「なんだよ?」
「帰ってもいいか? 急用を思い出した」
「うぉいっ!? 最後まで付き合ってやるっつってたのはどこのどいつだっ!?」
「やかましいっ!? あぁくそ、これだから子ども染みた妄想というやつは苦手なのだ!
 理不尽だろうアレはっ!? どう考えても自重で潰れてしかるべきだっ!」
「ウィザードがそんなとこだけ常識に縛られてんじゃねぇぇぇえええっ!?」

 もっともである。
 はぁ、と溜め息をついて恐慌状態から復帰したゲシュペンストが呟く。

「理不尽だ。あぁまったく理不尽だ。
 くっ……あれだけのプラーナの塊を何に使うかと思えば、やはり『殻』を用いての顕現か。高度な魔術式をなんと無駄なことに用いているのだ、あの侵魔。
 もういい。潰す。一片残さず潰す。何があろうと潰す」
「私怨混じりすぎじゃねぇのかお前。
 まぁ逃げようとするよりは助かるんだけどよ……どうでもいいけど、そこから離れるなよ。
 そいつは今はただのイノセントなんだ。俺もアレの近くまで行って戦うつもりじゃいるが、いざとなった時にそいつを守れないんじゃ元も子もないからな」
「―――フン。いいだろう、お前の提案を呑んでやろう。
 ワタシもウィザード、イノセントを守る盾だ。無垢なる子どもを守るのも、永の時を生きたワタシの役目だろう」

言って、彼女は倒れたままの少年を背に杖を構える。
 それに柊は任せた、と小さく呟いて。色のつき終わったヒトガタに視線を落とす。
 敵に向ける、貫くような瞳で。己の内のプラーナを全身に満ちるように循環させながら。

 次の瞬間。
 アクセルトリガーを全開放。蒼い光を噴き上げる逆しまの彗星は、一直線にヒトガタへと向かっていった。

 ***

 強襲。同時、エネルギーブースターを起動。箒の加速の勢いに、さらに力を加える。
 ばしゅん、とウィッチブレードの排熱口から熱気が吐き出され、柊の血を吸った魔の刃が大量のプラーナと同化したヒトガタを襲う。
 激突。
 2mの鉄塊と巨大なヒトガタが打ち合わされる凄まじい衝撃音が紅い月匣に響く。

 衝撃音の中心にいた当人は、音が収まると同時にヒトガタの逆襲をかわして箒で移動。
 その最中、自分が魔剣を打ち付けた箇所を見る。

「……おいおい、ウソだろ……?」

 冷たい汗が流れ落ちるのを感じる。
 さすがに必殺のとまでは言わないが、今の一撃はそれなりに本気だった。
 にも関わらずその場所は、ほんの少しの傷もついていなかったのだ。

 相手が物理攻撃に耐性がある可能性もあるが、そういった類の耐性能力ではない。
 そもそもそれなら相手の端末であるモンスターにも攻撃が通じないはずだ。
 柊が見た限り、相手の防御はウィザードならば誰もが行えることであり―――しかし、それを行うものはほとんどいないだろう防御法だった。

 プラーナ。それは可能性の力。
 存在をそこにつなぎ止め、ありとあらゆる不可能を可能とするための力。
 そして、相手がこの『学園世界』でかき集めた力でもある。
 侵魔はかき集めた大量のプラーナを放出。多量のプラーナの壁でもって柊の一撃を防いだのである。
 有限であるプラーナをそんな無茶苦茶な使い方で使うウィザードは存在しない。
 その身につけた魔法など、身を守る手段をいくつかは持っているのが普通だ。

 舌打ち一つ。戸惑いを捨て再びの斬撃。
 プラーナの壁でまたも防ぎきられるが、その度に相手に残るプラーナは確実に減っているはずだ。
 侵魔の集めたプラーナが、防御壁を作れなくなるまで打ち込み続けるだけ。それがこの場で彼が選んだ戦い方だ。
 そして、柊の役目は敵に大きな打撃を与えることだけではない。
 相手の目を派手に引いて後衛を守り、二人への意識を削ぐことも役割の内だった。

 ひらりひらり、と。
 妖しくちらちらと明滅する紫色の光が、虚空を舞う。光が一つ、二つ―――いや、指では数え切れぬほど。
 燐光を撒いて巨体の周りを飛びながら踊る。
 それは、光の蝶だった。
 闇の深遠から浮き上がったような、妖しい色を宿す光。
 一度羽ばたく度に、燐粉のような光が巨体に撒かれている。
 指先に留めた紫色の蝶を愛しげに見つめながら、蝶を生んだ少女はニヤリと微笑む。

「先ほどと同じ徹を踏むか、愚かな侵魔だ。
 敵はソレだけではないと『知っている』はずなのに、なぜ対処を怠るのか。まったく、不可解でならんよ。
 ―――冥府の王が飼うという告死の蝶だ。
 うっかり人間界に一匹逃げてしまった際に世界中に黒死の風を巻き起こしたという逸話のある猛毒、とくと食らえ」

 燐粉を防ぐことを意識から外してしまっていた侵魔に、黒死とも呼ばれる告死の蝶の燐毒が降りかかる。
 毒など効くようには見えない鋼鉄の巨体は、しかし苦しげに身をよじった。
 鋼のように見えようとも、巨体は侵魔そのものだ。毒への耐性がなければ直接それを受けることになる。
 ふむ、と一言呟いて、ゲシュペンストは叫んだ。

「柊蓮司!」
「フルネームで呼ぶなよっ!?」

 叫びながら大きく振りかぶり、虚空を蹴って魔剣を大きく叩きつける。
 しかし、三度目の斬撃も完璧にプラーナの壁に防ぎきられた。
 ゲシュペンストの魔法を防がなかったのは蓄積したプラーナが切れたというわけではないようだ。

 単に気づかなかったということか?とゲシュペンストが思考する、その時。
 巨体は腕を持ち上げて、拳の先に彼女を指した。
 届かないはずの拳に、どうしようもなく背筋がチリつく。本能からの警告に、柊が叫ぶ。

「葵っ!! 逃げろっ!」

 叫びながら、自分もアクセルに火を叩き込む。
 柊にもわかっている。ゲシュペンストは背後に一人の少年を守っている。
 彼女はウィザードに見えないような言動や行動をすることも多い。
 しかしそれでも彼女はウィザードであり、己の決めたことに忠実であり、そして長きに渡って『護る』ことを続けてきた転生者だ。
 彼の言葉一つで逃げてくれるような相手ではない。
 事実。ゲシュペンストは柊の声を受けると同時、ヘルメスの杖に輝きを灯して防御呪文の用意に入っている。

 そして。
 柊が到着するよりもわずかに早く。
 鋼の拳が肘から切り離され、プラーナを噴き上げながら勢いよく発射された。

 さすがのゲシュペンストも、その大質量による単純攻撃に意表をつかれた。
 しかし、その攻撃の威力は光景のように笑えるものではない。鋼以上の密度を誇るそれが飛んでくるのだ、直撃すれば防御魔法など簡単に貫き彼女を襲うだろう。
 そうなれば彼女と少年が無事でいられるはずもない。

 だからこそ。
 柊は割り込んだ。飛ぶ拳の真正面へウィッチブレードへと飛ばし、月衣を足場に急停止。
 大質量を前に、雄叫びを上げて魔剣を振りぬく。

「させるかぁぁぁあああああっ!!」

 ウィッチブレードよりもはるかに巨大な拳を受け止めたことで、全身を衝撃が駆け抜ける。
 奥歯をかみ締める。
 重い、頭から足の先までシェイクされたような衝撃。
 その衝撃を受け止め続ける、という選択肢は勘弁願いたい。
 ならば。
 じり、と足をずらす。意識するのは後ろにいる二人の位置。
 ここで真正面から受け止めるのが無理ならば、あの二人に当たらない位置に落とす。
 垂直に立てた刃筋(せん)に角度をつける。その角度がズレないよう、体でウィッチブレードを固定。
 かかり続ける圧力に、負けてたまるかと睨みつける。
 じりじり、と巨大な拳が刃に乗り、その軌道を変える。力を宿す魔剣は、担い手の意思に応えてその拳を逸らしきった。
 膨大なプラーナがすぐそばを行過ぎるのを感じながら、柊は危機を脱したことを確信して息をつき。

 ―――大量にプラーナが放出されたせいでまだ確保しきれない視界の向こうから、風を裂く音とともに拳が現れた。


 ロケットのように放出されるのではないが、巨体が繰り出す、大質量の右ストレート。
 その拳は後方の二人ではなく正確に柊を狙っていた。

 今さらながらに己の失策を悟る。
 おそらくは、これが侵魔の狙い。
 本命はこの一撃で柊を戦えない状態に追い込むこと。

 回避など、この距離では無理。
 体勢を整える時間などない。
 魔剣を盾にする間もない。
 迫り来る巨大な拳に対し、防御らしい防御を取ることは不可能、という状態。
 それでも自分に開放できるだけのプラーナを開放し、目の前に迫りくる巨大な拳から目を逸らすことなく。


 ―――トン単位のトラックに重いものがぶつかるような音が、月匣に響いた。


 跳ね飛ばされる瞬間、体中から軋みや何かの砕ける音が響き。
 空中で翼をもがれた鳥が墜ちるように。
 浮いて叩き落とされる球のように。
 正しく空から流れる星のように。
 空中で姿勢を取り戻すことなく、地面に向けて頭から墜落。
 水切りで飛ぶ小石のように地面を2、3度大きく跳ねて、動きを止めた。


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