ヒロインがヤンデレのギャルゲみんなで作ろうぜ!

腐臭のする花

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kawauson

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今日は建国記念の日──少しカッコよく言うと、紀元節の振り替え休日だ。
 なので、月曜だけど学校は休み。
 おかげでもっと休みが増えないかなー、などと小学生じみたことを考えてしまうけど、それは多分、世の中の人たちも同意見じゃないだろうか。
 まあ、休日をしっかり休めるのは学生のうちだけだと言うし、お言葉に甘えてしっかり休日を満喫しておこう。
「というわけでさ。ちょっと暇なんで付き合え、毒男」
「何が、というわけだ。人がイイ気持ちで三度寝してるって時にケータイで叩き起こしやがって! お前、俺になんか恨みでもあるのか!?」
 電話の向こうで毒男は朝からエキサイトしていた。
 ……遊びに誘ったくらいで、何で怒鳴られなきゃならんのだ。さすがに温厚で通ってる俺も、語気が荒くなってしまう。
「おいおい。確かに寝てるとこ起こしたのは悪かったけどさ。何でそこまで言われるのさ」
「お前が、俺の夢を奪ったからに決まってんだろ! もう少し──もう少しで裸の美女五百人がルンバを踊る東京ドームのど真ん中で、ピチピチで食い込みまくりのスク水美少女六百人に揉みくちゃにされながら侠客(おとこ)立ち出来たんだぞ! どうしてくれるんだー!」
 ……いや、どうしろと言うんだ。
「というか、休日の朝からどんだけ卑猥な夢見てるんだよ、お前は」
「うっさいな。俺がどんな淫夢(ユメ)見ようと稔にゃ関係ねーだろ」
「夢ばっかり追ってどうするんだよ。戦わなきゃ駄目だろ、現実と」
「バカ野郎っ! 現実で負けたから夢にすがって生きてるんじゃねえか! うわああああん!」
 ……そりゃ、ごもっともな意見だ。
 感心している俺を無視して、毒男は昔のギャグ漫画みたいな声をあげ、勝手に泣き始めた。こいつ、最近情緒が不安定すぎないか?
「あー、悪かった。悪かったから、電話口で泣くなよ。キモいぞ」
「だってさあ……ひっく……お前、最近、特に委員長と仲良いじゃんかよー」
「何を拗ねてるんだよ。委員長と仲良いって言っても、別に普通だってば」
 ……なんか既視感を覚える会話だ。
 まあ、言われてみればオススメの本を教えてもらったり、一緒に散歩したりで、前よりかは親しい友人関係になっているのかもしれない。
 でも、それ以上ではないだろう。
「いや、違うね」
 毒男が皮肉っぽく言った。
「お前は委員長の近くにいるから分からねーんだよ。委員長ってさ、俺たちにはよそよそしいけど、お前には自然体で接してる感じだぜ。ありゃー、かなり仲良くないと見られない表情だ」
「そうかなあ? 委員長は誰にでも礼儀正しいから、そんな風に感じるだけじゃないか?」
「お前には見えんのか。委員長のハートに稔フラグがビィンビィンおっ立ってるのがー!」
 びしっ!と明後日の方向を毒男が指差した──気がした。
 ……お前はどこのマスターアジアだよ。
 こんな可哀想な奴に言ってやるべき言葉は一つだけだ。
「現実とエロゲをごっちゃにすんな」
「いいんだいいんだ。ゲームの中の女の子達は俺の事キモいとか言わないし、むしろ『毒男くんってキスが上手いのね……』とか『何回もイカされちゃった』とか──」

 ──ピッ。
 ツーツーツー

 下らない妄言が続きそうだったので、俺は無言で電話を切った。
 どうやら休日の数分間を無駄に過ごしてしまったようだ。
 しかし、毒男も意外と思い込みの激しい奴だよな。どこをどう見たら、委員長が俺に気があるなんて妄想を発生させられるのだろう。
 あの性格を直さないことには、あいつに春が来ることなんて一生あり得ない気がする。
 でも、逆にあの性格が直った毒男というのも──


「や、稔。今日も太陽がいっぱいだなぁ、HAHAHA!」

「気持ちのイイ青空だね、マイフレーンズ!」

「ボーイズビーアンビシャス……それが俺の座右の銘さ☆」


 ……やっぱ相変わらず気持ち悪いや。
 やっぱり毒男はどこまでも毒男なんだろうな。その変わらなさそうなところが、友人として嬉しくもあるけど。
「委員長か……」
 さっきは、ああ言ったけど、付き合いの長い悪友に『仲が良い』と言われて気にならないわけがない。 
 でも委員長と仲が良いと言うより、委員長が俺に付き合ってくれている気がする。
 どちらかといえば委員長は人の頼みを断らないタイプだ。サボりのクラスメイトや教師の頼み事を生真面目な性格で引き受けている。
 きっと、俺と仲が良いってのも、その延長線上なんじゃないだろうか。
「……なんか、考えたら悲しくなってきたな」
 こんな気分で部屋に閉じこもってるのは、精神的によろしくないな。
「散歩にでも行くか」
 こういうときは気分転換が一番だ。俺はお気に入りのジャンパーに袖を通した。

 適当に商店街を物色して戻るつもりだったが、いつの間にか自然公園まで来ていた。
 ……まあ、適当に暇を潰すにはいいか。
 公園は相変わらず、冬のたたずまいを見せていて、木々は寂しい枝を風に揺らしている。
 湖畔の遊歩道をのんびりと歩く。
 そういえば、こないだ委員長に呼び止められたのもこの辺りだったっけ。
 ただの散歩が楽しいと思ったのは、あれが初めてかもしれない。
 たぶんそれは、委員長と一緒だったからかも。
 伊万里やみずき、毒男や長岡たちと一緒にいるのも楽しいけど──あいつらと一緒なら散歩するよりゲーセンやカラオケに行ってしまいそうだ。俺も、あいつらと遊ぶなら、そっちの方が楽しいと思う。
 俺だって特に散歩が好きってわけじゃない。
 やっぱり、単なる散歩があんなに楽しかったのは、委員長がそばにいたからなんだろうか──
「……って、なんか、毒男のせいで妙に委員長の事を意識しちゃうな」
 委員長に好かれてるらしいと聞かされて、知らず知らず浮かれているのかもしれない。
 そりゃあ、好きか嫌いかで聞かれたら、委員長の事は嫌いじゃないし、あれだけの美人に好意を持たれているって、男としたら栄誉なことじゃないか。
 まあ、情報ソースが毒男だってことが問題なんだけど。
 だいたい、あいつが告白して玉砕する原因の一つが思い込みだ。
 前に毒男が「お嬢さんっ、貴女見ているな? 俺に気があるんだろ!?」と言って、もろガン飛ばしまくってる特攻服のヤンキー女に突撃しにいった事もあったし、恋愛に関してあいつの話を鵜呑みにするのは危険だろう。
 とは言え、頭から否定したくないのも微妙に揺れる男心なわけで。
「……まいったなぁ」
 意識するなと思えば思うほどに彼女の事を意識してしまう。
 だけど実際のところ、俺は委員長の事をどれだけ知ってるんだろう。
 委員長──
 黒川百合──
 美人で生真面目で勉強が出来て──
 食べ逃したら泣いてしまうほどラーメンが好きで──
 そして──
「って、ホントに意識しすぎだろ……」
 なんかおかしいぞ、俺。
 ちょっと委員長の事を考えただけだってのに、彼女の表情や仕草までありありと思い浮かべてる。
 しかも、結構リアルだ。
 そう。あそこのベンチに座って、穏やかに微笑んでいる表情なんて、ものすごく現実味が、
「こんにちわ、藤宮君」
「うほっ! い、い、委員長!?」
 呼び掛けられて思わずたじろいでしまった。
 ……脳内委員長だと思ってたのに本物だったのか。
「ふふふっ。藤宮君って、返事が変わってますね」
 湖を見渡す場所に置かれたベンチに、委員長は座っていた。
 委員長はスッと立ち上がると、スカートについた埃を払った。
「やっぱり、ここに来て正解でした」
「え……?」
「ここに来れば、会えるような気がしてましたから」
 嬉しそうに笑う委員長。
 何で、この人は、こんなにもドキドキするような事をさらりと言ってくれるのだろう。
 なんか恥ずかしすぎて委員長の顔を真っ直ぐ見られない。顔が火照っているのが、触らなくてもよく分かった。走ったわけでもないのに、心臓がバクバクしてやがる。
「ぐ、偶然だとしてもスゴいね。まさか、ここでまた委員長に会えるとは思ってなかったよ」
 ここに来たのは適当にブラブラしていた結果だ。
 そもそも毒男が朝からつけるクスリの無い病気を発症してなきゃ、俺はあいつと遊びに行ってたわけだし。
「ふふ。偶然に感謝ですね」
「ああ、そうだね」
「ええ……」
 委員長は、うなずくとそのまま押し黙ってしまった。
 ……い、いったい何なんだ。この微妙な沈黙は。
 不意に訪れた静寂が、冬の公園で遊ぶ子供たちの声を遠くから運んでくる。この公園には大型の滑り台やブランコといった遊具のあるスペースもあるから、その辺で遊んでいる子達だろう。
 それが和やかなだけに、今、目の前に広がる沈黙が息苦しい。
 ……なんか世間話でもして場を和ませないと。
「えっと──」
「あのっ──」
 同時だった。
 ますます気まずい。
 このままだと沈黙に押しつぶされそうな気がするので、先を譲ることにする。
「ど、どうぞ」
「あ……きょ、恐縮です……」
 ぺこりと頭を下げる委員長。なんというか、彼女らしく、とても律儀なだけに思わず吹き出してしまった。
「あの……何か私、おかしな事をしてしまいましたか?」
「いやいや、そんなことないよ」
「はぁ……それなら良いのですけど」
 委員長は、なんとも不思議そうな顔をしていたが、深く考えないことにしたようだ。
「藤宮君は、お散歩ですか?」
「うん。ちょっと暇ができちゃったからね。委員長は?」
「私は暇潰しというか、気分転換ですね。ちょっと行き詰まってしまいましたので」
 そういえばこの間も、委員長は気分転換に来た、と言っていたっけ。
 自然保護を名目に作られただけに、この公園は緑地が多い。
 もっとも、季節柄、林には葉の無い木々も目立っていたが、鉄筋コンクリートで囲まれた街中に比べれば、雲ひとつ無い青空を遮るものがないのは、見ているだけでも気持ちが晴れるだろう。
 ……これでもう少し暖かかったら最高なんだけどな。
「委員長は、この公園がお気に入りなんだね」
「そうですね……」
 委員長は何故か困ったような顔をした。
「家から近いと言うこともありますけど、好きか嫌いかで言えば……嫌いじゃないですよ」
 そう言った委員長の表情からは、先程の困惑が消え失せていた。彼女は穏やかな顔で湖を見つめていた。
「……まあ、色々思い出深くはありますからね」
 言って委員長はにこりと笑った。
「藤宮君が良ければ、少し歩きませんか?」
「あ、うん。構わないよ」
 湖畔の遊歩道を歩く俺たち。
 鏡のような水面に、冬の日差しがキラキラと輝いている。
 防寒具をまとった釣り人が、そんな湖に向かって竿を振るっていた。
 委員長にとって思い出深いという湖。いったいどんな思い出なんだろう……?
 今朝の毒男のせいか、なんだかとても気になった。でも俺なんかが聞いて良いものだろうか。
 そんなことを考えていたら、委員長の方から話しかけてきた。
「実を言うと、この公園……初恋の人との思い出の場所なんです」
「え……?」
 その言葉を聞いた瞬間、左胸がギチリと痛んだ。
 彼女が浮かべている、普段と変わらない穏やかな微笑みが胸を締めつけた。
「あの……また私、おかしな事言ってましたか?」
 驚きが顔に出ていたようだ。委員長が不安そうにこちらをのぞき込んだ。
「い、いや……委員長から初恋なんて単語が出ると思わなかったからさ」
「ふふっ。私だって初恋くらい経験してますよ」
 委員長は照れ臭そうに苦笑した。
「正直なところ、片思いみたいなものでしたけどね。小学校の頃同じクラスの男の子でした」
「小学校?」
「はい。小学校の時の話なんですけど……あの、藤宮君。やっぱり私、なにかおかしな事してますか?」
「そんなことないって。委員長は普段通りだよ」
 不審がる委員長に、俺は出来るだけ平静を装った。
 おかしいのは俺の方だ。委員長から『初恋』って聞いただけでドキドキするし、それが小学生の時の話でだって分かっただけでホッとしてる。
 でも少しだけ。
「委員長に好かれたそいつが羨ましいよ」
 本音が漏れる。
「羨ましい、ですか?」
「だってほら、委員長はみんなに優しいし、頼りがいがある感じだし」
「そうでしょうか。私は藤宮君の方が優しくて頼りになる人だと思いますよ」
「それは委員長の買いかぶりすぎだよ」
「いいえ。そんなことありませんよ。だって藤宮君は、掃除や冊子のホチキス止めを手伝ってくださいましたし……なにより、学食のラーメンも譲っていただきましたから。そんな人が優しくないわけありません」
 真顔で力説しながら、一人納得する委員長。
「ラーメンですか……」
 ……委員長の優しさの基準は、そこなのか。
 なんだろう。すごくガックリきた。
「あの……藤宮君。本当に私、おかしな事言ってません?」
「言ってないよ。むしろ委員長らしいかな」
「私、らしいですか?」
 委員長は、細いあごに指を当てて難しい顔をした。
「なんだか、今日の藤宮君はいぢわるな気がします……」
 むくれる委員長と、そんな話をしながら歩く。
 少し歩いて、湖とは反対の方向、いくつかある広場の一つから、子供の泣き声が聞こえてきた。
「ん?」
「何でしょう?」
 委員長と二人、立ち止まり、泣き声の方を見る。
 植え込みの向こうの、遊具のある広場で、子供が二人、声をあげて泣いていた。
 年のころは小学校低学年といったところだろう。
 男の子と女の子の二人組だった。
「いったいどうしたんだろ……?」
 何か怪我をしたりといった様子は無かったが、さすがに放っておくわけにもいかず、広場へと向かった。
「どうしたんだ? そんなに泣いたりして」
 近付いて声をかけると、男の子の方が顔を上げた。
「おっさん、誰……?」
「……よく聞きなさい少年。おっさんじゃなくてお兄さんだ」
 よしよしと頭を撫でながら、もう一度聞き直す。
「そんなに泣いたりして、どうしたんだい? 困ったことでもあったのか?」
 男の子は、俺と委員長の顔を交互に見て、怯えたような表情を見せている。
 ただ単に心配して声をかけただけなのだが、俺はそんなに怪しい面をしているのだろうか……?
「……あんまり怖い顔をしない方がいいですよ、藤宮君」
「えっ、そう? 俺、怖い顔してる?」
「はい。おっさんと言われた辺りから、ちょっとだけ」
 委員長の助言に、無理矢理笑顔を作った。
 男の子はしばらく怯えた顔のままだったが、やがてその小さな指を遊具の方へと向けた。
「あそこ……」
「ん? 遊具がどうかしたのか?」
「あそこ……変なおっさんが居て……遊ぼうとすると、怒るんだ。怒って、泥とか投げてくるんだよ……」
「泥?」
 言われてみれば先ほどから泣いたままの女の子の上着が、べったりと茶色に汚れていた。元の色がピンクの花柄だけに、その酷さたるや年端も行かない小学生では泣いてしまうのも無理はない。
 委員長はすぐさま女の子の前にしゃがみこむと、ポケットから出したハンカチを唾で湿らせた。
「……なんてひどいことを」
 こびりついた泥を丁寧に拭いながら、怒りを隠せない様子だった。
「アイツがやったのか……」
 見れば、ボロボロの服を着たホームレスらしき男が、遊具の中に段ボールを敷いて横になっていた。
 アスレチック型の遊具の中は、丁度屋根や壁のようになった部分があり、風雨を防ぐのに適しているのだろう。
「許せませんね」
 委員長が静かに呟いて立ち上がった。
 あらかた泥を拭えたのだろうが、可哀想なことに女の子の上着は茶色い染みがついていた。
「……分かりました。あの人にどいてもらうように、言ってあげましょう」
 委員長が柔らかな微笑みを子供たちに見せる。
「え!? ほんと!?」
 男の子の顔がパッと輝く。
「おねえちゃん、ありがとぉ……」
 泣いていた女の子も、目を擦りながら委員長を見上げてきた。
「ええ、任せてください。あなたたちは危ないから、ここで待っててくださいね」
「ちょ、ちょっと待った!」
 胸を叩いて、遊具の方を向かおうとする委員長を俺は引きとめた。
「藤宮君、どうして止めるんですか?」
「どうしてって……危ないからに決まってるじゃないか」
 いくら委員長が、こういう不正を見逃せない真面目な性格をしているとは言え、いきなり子供に泥を投げつけるような奴が相手だ。何をされるか分かったもんじゃない。
「危ないからって……藤宮君は、このまま放っておけと言うのですか? あの子達、遊び場を取られた上に服まで汚されてるんですよ」
「それは確かに放っておけないけどさ。でも、委員長が行く必要は無いだろ」
「じゃあ、誰が行くというんですか」
「……俺が行く」
「藤宮君が……? 本気ですか?」
 ……そんな風に驚かれると、ちょっとへこむんだが。
「委員長、俺だって男なんだぜ? そんなに頼りなく見える?」
 俺は苦笑まじりに、腕を曲げて力こぶを作る仕草をした。もちろん、暴力に訴えるつもりは無いけれど、男らしさをアピールしてみる。
「そういうわけではありませんが……藤宮君は、こういったことには不向きだと思います」
「……そんなことないよ」
 委員長が不安げな顔をするものだから、ちょっとカチンと来てしまった。
 それってつまり、頼りないということじゃないか。 こうなったら意地でも俺がやらないと。
「ま、大丈夫だって」
「あ……」
 委員長の制止を振り切り、ホームレスの居座る遊具に近付く。
 ホームレスは、こちらに関心など持っていないのか、ダンボールの上に寝そべったままでピクリとも動かなかった。
 こう言うのは初手が大事だ。出来るだけ強気に出て、こちらが相手よりも強い立場にいることを認識させるんだ。
 俺は大声で呼び掛けた。
「おい、おっさん!」
「あぁん?」
 何とも汚らしい格好をした男が、ごろんとこちらを向いた。 日焼けした肌は垢と埃にまみれ、焦げ茶のような色合いに変色している。
 男は酔っぱらっているらしく、こっちを睨む目は据わっていた。
「ンだ、おめえはぁ? あァッ?」
 アルコールと発酵したアンモニア臭を漂わせてた野太い声で乱暴に怒鳴った。
 ちょっとドキドキしたが、負けじと俺も声を出した。
「……すいませんけど、そこをどいてもらえませんか?」
 ……やっぱりこういうのは穏便に行こう。
 今日の俺は藤宮《マハトマ・ガンジー》稔なのだ。非暴力と不服従の精神で、平和的な話し合いで解決するんだ。
 だが、男はうざったいと言わんばかりの顔をした。
「ぁん?」
「ここは皆が遊ぶための遊具なんで……そんな風に寝転んでると子供たちが遊べなくて困ってるんですよ」
「るせえなぁ……人がイイ気持ちで寝てンのによぉ……」
 男は、不愉快そうに黄色く汚れた乱杭歯を剥き出しにした。
「ガキどもは他所で遊びゃあいいンだろが。俺は今日からここを自分ちって決めたンだよ!」
 フケだらけの頭をボリボリと掻きむしりながら、ホームレスはことさら険悪な視線を向けてくる。
 なんか怖くなってきたが、ここで引いては子供たちに申し訳ない。
 それに、ああまで言った以上、委員長に格好がつかない。
「いや、あんたが決めたからって、あんたの家になるわけじゃないでしょう。ここはみんなのための公園で……」
「うるせえっつってンだろ!!」
 男は、枕元に置かれていた洗面器を掴むと、勢いよく腕を振って投げつけてきた。
「わ……!」
 至近距離なので避ける間も無かった。
 洗面器に入っていた水を思い切りかぶり、さらに洗面器自体が顔に当たる。
 思わずよろめいて、後ずさりしてしまった。
「ごちゃごちゃ言ってンじゃねえよ、くそガキ! 俺に説教すンのか、何様のつもりだおらああ!」
 男はさらに何か投げつけてくるが、水が前髪から滴ってよく見えない。
「っつ……!」
 額に鋭い痛みを感じて俯いてしまう。
 蓋の開けられた缶詰の缶が転がっているのが見えた。
 恐らくあれを投げつけられたのだろう。
 缶切りで開けられた蓋の淵がギザギザに尖って――
「うわ……」
 額から地面に自分の血が垂れるのが見えた。
「藤宮君!?」
 委員長が悲鳴をあげて駆け寄ってきた。
「藤宮君、大丈夫ですか!?」
「ああ……大丈夫。ちょっと驚いたけど」
「血が……血が出てます。ああ……何てこと……」
「うん、いや、大したこと無いよ。かすり傷、だと思う……」
 取り乱し、声を震わす委員長。
 そりゃまあ、知り合いが額から血を流してたら気も動転するよな。
 被害者は自分なのだが、目の前に慌てている委員長がいるせいか、逆に冷静に状況を判断しようとしている自分がいる。
 というか……情け無い。
 あれだけ勇んで行ったのに、ものの見事に追い返されて、こんなに心配されてしまって。
 子供たちの方を見ると、俺のされたことを見たせいか、ますます怯えた顔になってしまっていた。
「くそ……!」
 負けるわけにはいかない。
 水をかけられて震えそうになる体を抑え、ニヤニヤと笑っている男を睨んだ。
「藤宮君、傷の手当てをして、体を温めないと……」
「いや、このままじゃあの子達に申し訳ないし……それに……」
「……?」
「あまりにも情け無い……!」
 委員長は首を横に振った。
「情けなくなんてありませんよ」
「気遣わなくてもいいよ。とにかく、俺は口だけで終わりたくは……」
 屈んでいた身を起こそうとすると、委員長に後ろから肩に手をかけられた。
 軽く後ろに引かれる感覚。
 それだけで、俺は後ろに尻餅をついてしまっていた。
「あれ……?」
「藤宮君が、あんな輩と係わる必要なんてありません」
「委員長……?」
「そう、必要ないんですよ。暴力でしか優位性を見い出せないような人間に優しくする方が間違ってるんです。だから、あんな人には……」
感情を抑えているかのように体を震わせ、委員長はホームレスの男の方を見た。
「警察を呼びましょう」
委員長は携帯を取り出し、1・1・0の番号を押した。



……間もなくパトカーがサイレンを鳴らしてやってきた
あっさりとホームレスは警官たちに捕まえられ、ワーワー騒いで両脇を抱えられながら後部座席に押し込められる。
「藤宮君が怪我をしたことであの人には傷害罪が成立したんです。これが一番いい解決方法です」
委員長はにっこりと笑った。
「そ、そうか……」
俺は警官に二、三状況を質問され、連絡先を伝えると、パトカーはそのままホームレスを乗せて走り去っていった。
後に残ったのはつぶれかけの汚いダンボールハウス。
子供たちは何事もなかったかのように、そのダンボールハウスをつぶしたり放り投げたりしながら遊び始めた。


「空回りしちゃったな、俺……」
ブランコに座ってがっくりと肩を落とす俺。
委員長は後ろで俺の額に包帯を巻いている。
「そんなことないですよ。藤宮君のおかげで遊び場が元に戻ったのは間違いないです」
とはいっても、みじめだなあ……。
意気込んで最初の一声を威勢のいいヤンキーのように発したまではいいものの、以降は別人のようにオドオドして、あげくフルボッコにされ、しかも女の子に助けられて警察沙汰にまでなって。
口も手もスライムレベルじゃないか。どこの毒男だよ。
「はあ、負け組だ……あててててて」
委員長の赤チンが傷にしみた。俺はへタレらしく痛がった。
「自分の力で精一杯やってダメなら、大人と社会の手に頼ればいいんです」
「そうはいっても、それでは男として……」
後ろを振り向く。そのときの委員長の視線はなぜか悲しそうだった。
「……あれ」
?と思っていると、委員長は頬のすり傷をみつけ、
「この傷はつばをつけたほうが痛くないですね。それじゃ」
舌をペロッと出し、指先につばをつける。
そしてその指をきゅっと俺の頬の傷に当てる。
「───!!!!」
点のような柔らかい圧。
指が離れるとすぐに消える。
俺はうろたえ、溺れたものが浮き輪をつかむように手をぐるぐる回転させる。
「あっ……!」
委員長はやっと自分のしたことに気づいたようだ。
「いや、あの、その……」「あの……なんというか」
二人でうつむいて赤くなる。真っ赤に火照った顔の中で、頬だけがやたらひんやりとする

……無言タイム
二人で湖を見つめながらブランコに並んで座る。
さざなみの音と、遠くからトンビの声だけがひびいている。
「……」「……」
ちらり、ちらり横目で見ながら話しかけるタイミングをさぐる。委員長も同じようだ。
俺「……あ、あの」委員長「……あ、あの!」
呼びかけがはもる。
うう、純すぎる。毒男がみたら、これみよがしに大声でからかわれそうだ。
俺「……あ、あの」委員長「あの!」
また無言になる。
湖のさざなみとトンビの声に再び包まれる。
「……その……委員長のほうが!マーク付いてるから、先に話していいよ」
「そ、そうですか。ではお言葉に甘えて……」
委員長は俺に顔を向け
「藤宮君は負けてなんかいませんよ」
いつものような優しそうな笑顔を見せた。
「他人に頼るのも目標に向けてのことなら立派な努力の一つです。何でも一人で暴走すると破滅してしまいます」
その言葉と同時に委員長はまた悲しそうな目になった。
「……?」
俺がいぶかしんでいると
「……藤宮君は、私の初恋の人に似てますね」
「え……」
俺の心臓がまた活発になる。
「……人間というのは、一生自分に似たタイプの人間を引き寄せるんでしょうか」
「え?」
「いえ、なんでもないです」
そしてまた委員長は湖を見つめた。
「もう何年になりますかね……」
しみじみと何かの記憶をたどっているような視線を投げている。その先にはとめどないさざ波。
「私の初恋の人、死んじゃったんです」
「……」
「この湖から夜中ボートを漕ぎ出して、そのまま湖に身を投げたんです」
「……そうか、自殺した小学生がいるってのは……」
「はい。……その人、いじめられていて、私は助けようとしたんですけど……一人でボートに乗って……」
委員長の声が詰まる。
波に反射した光がきらきらと俺たちの身体を包んだ。
光のリズムに乗るようにすすり泣きをはじめる委員長。

きっと委員長はとむらいのためによくこの湖を散歩しているのだろう。
幼子ながらも恋の強さは大人と変わらなかったはず。
「おおきくなったらけっこんしようね」なんかは当人どうしは本気だったりするのだ。

───死別

小学生の時点でそんな過酷な人生経験を持つ委員長が俺にはひたすら大きい存在に思えた。
だからこそ、今となりでうつむいて泣いている委員長が、まるで大きく膨れ上がった風船のように今にも壊れそうで、かよわくて、割れそうでもろそうに思えて……

……気が付いたら俺はブランコを降り、委員長の後ろに立って背中から軽く抱き寄せていた。

「……あ」
「……あ」
互いに気づく二人。
「し、しまった……つい」
「……いえ、いいですよ」
委員長は指で涙を軽くぬぐい、背中をそっと俺の身体にもたれさせる。
ぬくもりが伝わり、冬の寒さが消える。
「藤宮君って、本当に優しいですね」
さらに俺に体重を預ける委員長。
湖のさざ波は永遠のように太陽にきらめき続け、遠く高い空をトンビがいつまでも回り続けていた。
目安箱バナー