第581話:彷徨傭兵(後編) 作:◆5Mp/UnDTiI
◇◇◇
状況はどうなっているのだろうか。
薄暗い倉庫の中、兵長は黙りこくっていた。
スピーカーから垂れ流されている名前の知らないピアノサックス曲がBGMの役割を果たしていたが、
その曲はあまりに長く、既に耳に馴染み過ぎていた。ならば静寂と大差はない。
こうしていると旅をしていた時のことを思い出す。
脳裏に浮かぶ光景は電車の中。車窓を背にし、自分は備え付けの小机の上でゲリラ局の音楽を受信していた。
そしてその傍には、黒髪の少女が――
ため息を吐く。もっとも、それはスピーカーを介し小さなノイズに化けただけだったが。
キーリはもういない。
死には慣れていた筈だった。戦争中はそれこそ兵士という職であったし、なにより自分自身が死んでいる。
だが――それも、何年も何十年も昔のことだったということだ。
すっかり忘れていた。ぽっかりと空き、そして痛みを発する胸中の空間。その感覚を忘れていた。
埋める為の手段も思い出せない。ただ、キーリを殺した奴は許せなかった。
頭に血が上り易い性質だとは自覚している。そいつが目の前に現れれば、自分は躊躇いなく復讐を果たそうとするだろう。
佐山・御言。その時になったら、あいつはどう反応するだろうか。
これまで自分の暴走は未然に防がれていた。だが仇を前にして電源を落とされるようなへまをするつもりはない。
(……知るか。勝手にやるさ)
再度ノイズを吐き出し、その思考を打ち止める。
考えることを止めれば自然と周囲に注意が移った。
目の前には宮下藤花とかいう少女がダンボールを座布団代わりにして座っている。
小屋に入って休息をし始めてから三十分ほどだろうか?
畳まれていたダンボールを組み直して作った台の上に乗せてもらった時に礼を言って以来、彼女との間に会話はない。
兵長はキーリのことで頭が一杯だったし、藤花は先ほどの兵長と佐山の遣り取りを見ていたから気まずいのだろう。
彼女は目線を伏せたままコンクリートの床を見つめていた。
肩まで伸ばした黒髪が垂れて表情の大部分を隠しているその様子から、何とはなしに目を逸らす。
そうしてしまえば、あとは特にすることもなかった。
意識しなければどうということもないが、一端気づいてしまうと空白という奴はどうにも苦痛である。
居心地悪く、視線が落ち着かない。
「――歌っているんですか?」
『……あ?』
しばらくして、空白を破ったのは少女だった。
唐突な質問に思わず短い疑問符で返事をしてしまう。さぞ柄が悪く聞こえてしまっただろう。
弁解するか、相手の言葉の意味を吟味するか。悩んでいるうちに少女が言葉を接ぐ。
「いや、あの……そういう風に聞こえたんですけど」
ごにょごにょと尻すぼみになって行く少女。
薄暗い倉庫の中、兵長は黙りこくっていた。
スピーカーから垂れ流されている名前の知らないピアノサックス曲がBGMの役割を果たしていたが、
その曲はあまりに長く、既に耳に馴染み過ぎていた。ならば静寂と大差はない。
こうしていると旅をしていた時のことを思い出す。
脳裏に浮かぶ光景は電車の中。車窓を背にし、自分は備え付けの小机の上でゲリラ局の音楽を受信していた。
そしてその傍には、黒髪の少女が――
ため息を吐く。もっとも、それはスピーカーを介し小さなノイズに化けただけだったが。
キーリはもういない。
死には慣れていた筈だった。戦争中はそれこそ兵士という職であったし、なにより自分自身が死んでいる。
だが――それも、何年も何十年も昔のことだったということだ。
すっかり忘れていた。ぽっかりと空き、そして痛みを発する胸中の空間。その感覚を忘れていた。
埋める為の手段も思い出せない。ただ、キーリを殺した奴は許せなかった。
頭に血が上り易い性質だとは自覚している。そいつが目の前に現れれば、自分は躊躇いなく復讐を果たそうとするだろう。
佐山・御言。その時になったら、あいつはどう反応するだろうか。
これまで自分の暴走は未然に防がれていた。だが仇を前にして電源を落とされるようなへまをするつもりはない。
(……知るか。勝手にやるさ)
再度ノイズを吐き出し、その思考を打ち止める。
考えることを止めれば自然と周囲に注意が移った。
目の前には宮下藤花とかいう少女がダンボールを座布団代わりにして座っている。
小屋に入って休息をし始めてから三十分ほどだろうか?
畳まれていたダンボールを組み直して作った台の上に乗せてもらった時に礼を言って以来、彼女との間に会話はない。
兵長はキーリのことで頭が一杯だったし、藤花は先ほどの兵長と佐山の遣り取りを見ていたから気まずいのだろう。
彼女は目線を伏せたままコンクリートの床を見つめていた。
肩まで伸ばした黒髪が垂れて表情の大部分を隠しているその様子から、何とはなしに目を逸らす。
そうしてしまえば、あとは特にすることもなかった。
意識しなければどうということもないが、一端気づいてしまうと空白という奴はどうにも苦痛である。
居心地悪く、視線が落ち着かない。
「――歌っているんですか?」
『……あ?』
しばらくして、空白を破ったのは少女だった。
唐突な質問に思わず短い疑問符で返事をしてしまう。さぞ柄が悪く聞こえてしまっただろう。
弁解するか、相手の言葉の意味を吟味するか。悩んでいるうちに少女が言葉を接ぐ。
「いや、あの……そういう風に聞こえたんですけど」
ごにょごにょと尻すぼみになって行く少女。
『あ、ああ、その、いや、いいんだ』
はた、と経過してその事実が過去になった瞬間、自ら愕然とする。
再び口を噤もうとした少女の姿を見て、自分は反射的に言葉を紡いでいた。
その理由は知っていた。だが理解したくはなかった。
(ああ、くそ――もうどうとでもなれ)
混沌とした胸中に整理をつけず、継ぐように言葉を紡いだ。
『しかし、歌か。俺、歌ってたか? 流れてる曲じゃなくて?』
「多分……あ、でも本人が疑問系なら歌ってないですよね。すいません」
『いや、分からんさ。長年ラジオなんかやってるとな、たまにそういうこともある』
「そうなんですか?」
『そうさ。嬢ちゃんもラジオになればきっと分かるぞ』
「笑えないですよ、それ」
そう言いながらも、藤花の口元には軽口に対する可笑しそうな笑みが浮かんでいた。
兵長も釣られて笑う。共有した笑みは自然と会話を引き出した。
『嬢ちゃんは音楽、好きか? 糞ッ垂れた教会のじゃなくて――ああ、そういや住んでた世界が違うんだっけか』
「そうですね。それだけ聞くとちょっと変な意味に聞こえますけど」
『違えねえや。異世界やらなにやら、実際にこういう状況にでもならなけりゃ頭のイカレタ戯言だわな』
「ああ、うん、確かにそういう意味にも取れますね――でもちょっと私の意図した意味とは違うかも」
『? どういうこった』
兵長が尋ね返すと、藤花は人差し指を唇に当てながら考え込むように少しだけ宙を仰いだ。
「なんていうか、ほら、よくいうじゃないですか。
さっき言ってた音楽とか、そういう専門的な分野で活躍している人とは住んでる世界が違うんだー、とかって」
『ああ、そういう意味か』
得心がいった、という風に兵長。
だがひとつ気になった事があった。尋ねる。
『違ってたら悪ぃんだが、もしかしてそいつは嬢ちゃん自身の意見か?』
図星だったらしい。藤花は大げさに目を見開き、兵長を良く当たる占い師でも見るかのような目で見つめた。
「……分かるんですか?」
『まあ、似たような奴が身近に居てな』
「女の子?」
『いんや。嬢ちゃんとは違って、手のかかる面倒くさくてどうしようもない餓鬼みたいな奴さ』
ふうん、と藤花は相槌を打ちながら何とはなしに喋るラジオを手に取った。
拒絶されない事を確かめると、そのままスピーカーが外を向くように抱え込む。
「私が付き合ってる人なんです。デザイン系のところでバイトをしていて、将来はそっちに進むらしくて。
それで……ちょっと、最近ぎすぎすしちゃってたんです。でも――」
何かを言おうとしたのだろう。藤花は口を開き、舌に言葉を乗せ――だが結局外には出さずに飲み込んだ。
『……』
腕から伝わる体の震えから、兵長はそれがどんな種類の言葉だったのか推察することができた。
兵長も似た気持ちを経験した事がある。戦場へ赴く時の家族との別れだ。
それは誰かに二度と会えなくなるかもしれないという恐怖。軍人であった自分でさえ逃れることはできなかった。
ならば、覚悟もなしにこんな場所に放り込まれたこの子はどれだけ不安なのか――
はた、と経過してその事実が過去になった瞬間、自ら愕然とする。
再び口を噤もうとした少女の姿を見て、自分は反射的に言葉を紡いでいた。
その理由は知っていた。だが理解したくはなかった。
(ああ、くそ――もうどうとでもなれ)
混沌とした胸中に整理をつけず、継ぐように言葉を紡いだ。
『しかし、歌か。俺、歌ってたか? 流れてる曲じゃなくて?』
「多分……あ、でも本人が疑問系なら歌ってないですよね。すいません」
『いや、分からんさ。長年ラジオなんかやってるとな、たまにそういうこともある』
「そうなんですか?」
『そうさ。嬢ちゃんもラジオになればきっと分かるぞ』
「笑えないですよ、それ」
そう言いながらも、藤花の口元には軽口に対する可笑しそうな笑みが浮かんでいた。
兵長も釣られて笑う。共有した笑みは自然と会話を引き出した。
『嬢ちゃんは音楽、好きか? 糞ッ垂れた教会のじゃなくて――ああ、そういや住んでた世界が違うんだっけか』
「そうですね。それだけ聞くとちょっと変な意味に聞こえますけど」
『違えねえや。異世界やらなにやら、実際にこういう状況にでもならなけりゃ頭のイカレタ戯言だわな』
「ああ、うん、確かにそういう意味にも取れますね――でもちょっと私の意図した意味とは違うかも」
『? どういうこった』
兵長が尋ね返すと、藤花は人差し指を唇に当てながら考え込むように少しだけ宙を仰いだ。
「なんていうか、ほら、よくいうじゃないですか。
さっき言ってた音楽とか、そういう専門的な分野で活躍している人とは住んでる世界が違うんだー、とかって」
『ああ、そういう意味か』
得心がいった、という風に兵長。
だがひとつ気になった事があった。尋ねる。
『違ってたら悪ぃんだが、もしかしてそいつは嬢ちゃん自身の意見か?』
図星だったらしい。藤花は大げさに目を見開き、兵長を良く当たる占い師でも見るかのような目で見つめた。
「……分かるんですか?」
『まあ、似たような奴が身近に居てな』
「女の子?」
『いんや。嬢ちゃんとは違って、手のかかる面倒くさくてどうしようもない餓鬼みたいな奴さ』
ふうん、と藤花は相槌を打ちながら何とはなしに喋るラジオを手に取った。
拒絶されない事を確かめると、そのままスピーカーが外を向くように抱え込む。
「私が付き合ってる人なんです。デザイン系のところでバイトをしていて、将来はそっちに進むらしくて。
それで……ちょっと、最近ぎすぎすしちゃってたんです。でも――」
何かを言おうとしたのだろう。藤花は口を開き、舌に言葉を乗せ――だが結局外には出さずに飲み込んだ。
『……』
腕から伝わる体の震えから、兵長はそれがどんな種類の言葉だったのか推察することができた。
兵長も似た気持ちを経験した事がある。戦場へ赴く時の家族との別れだ。
それは誰かに二度と会えなくなるかもしれないという恐怖。軍人であった自分でさえ逃れることはできなかった。
ならば、覚悟もなしにこんな場所に放り込まれたこの子はどれだけ不安なのか――
『……嬢ちゃん、ちぃとチャンネルを変えてもらってもいいか?』
「えっ、あ、はい」
少女の細い指がラジオのツマミに触れる。
この空間には奇妙なことに複数のラジオ用の電波が流れている。目当てのものが流れているように兵長は祈った。
『そう、少しずつ――いや、行き過ぎだ。二メモリ戻してくれ』
微妙な調整が成功する。奇しくもそれはあのゲリラ局の周波数チャンネルと同じだった。
兵長のスピーカーから望んでいた音波が放射される。
ギターとベースとドラム。それらが刻むリズムに乗せて叫ばれる歌詞。
『ロックは好きか?』
「あんまり聞かないかな。兵長さんは好きなんですか?」
『ああ、ロックはいい。生きる事を謳った歌さ』
兵長が何を言おうとしているか悟ったのだろう。その程度にこの少女は聡い。
『自分の足で歩いていこう、自分の道を見つけて進もう――まあ、独りでそれが出来るのは強い奴だけかもしれねえ』
(あの佐山みてえな、な)
言外に、苦く認めた。あの男は強い。無論、それが最良というわけではないが。
『けどな、別にあんたはひとりじゃねえさ。その彼氏さんがいる。
なら別にその彼氏さんもひとりって訳じゃねえだろう。嬢ちゃんがいる。
それにな、この場にだって――』
口を塞いだ。
塞がざるを得なかった。それは口にしてもいい言葉なのか。
自分が力になると言うだけならば簡単だ。
――だが、責任は取れるか?
『――お』
「兵長さんは、優しいな」
遮る様に、藤花が言葉を重ねた。
抱きしめる様にラジオの筐体を腕の中に沈める。
「とても暖かいです」
『……基盤が、か?』
「いいえ、くれた言葉が。兵長さんみたいなお父さんが欲しかった、かな」
音楽は人に変化を与える。
アップテンポのリズムは彼女の沈んだ気持ちを少しだけ支えるのに役立ったのだろう。
そして、少なからず兵長の言葉も。
(偽善、だな)
だが、暖かい肉の中で兵長は皮肉気に自嘲していた。
会話を続けようとしたのも、彼女を励まそうとしたのも、宮下藤花という少女の事を思ってではない。
自分はこの娘にキーリを重ね合わせている。
自らを嘲る様に認めた。共通点は俯き具合と黒髪だけ。それなのに自分は彼女にキーリの役割を求めてしまった。
慰めるための言葉も、音楽も、本当はこの少女ではない別の少女に向けて放たれているのだ。
(ああ、馬鹿みたいだな、俺は――)
「そんなことはないさ。君自身が言った事だよ」
至近から浴びせられた声に、兵長は驚愕した。
ラジオのチャンネルが切り替わるように、変化は唐突にして一瞬。
宮下藤花の口から紡がれていたにも関わらず、それは決して宮下藤花ではない。
「人は誰しもひとりじゃあない。その中には君自身も含まれているはずだ。
君の言葉は確かに宮下藤花の助けとなっている。なら君も宮下藤花に助けて貰えばいい。
だって君が言ったんだろう、人はひとりじゃあ生きられないっていうのは――」
抱きしめていたラジオをダンボールの上に戻し、そいつは兵長と対面した。
『お前――誰だ』
問いかけに、宮下藤花の顔をした人物は左右非対称の奇妙な笑みを返す。
いつの間にかロックンロールは終わり、部屋の中にはワーグナーが鳴り響いていた。
「えっ、あ、はい」
少女の細い指がラジオのツマミに触れる。
この空間には奇妙なことに複数のラジオ用の電波が流れている。目当てのものが流れているように兵長は祈った。
『そう、少しずつ――いや、行き過ぎだ。二メモリ戻してくれ』
微妙な調整が成功する。奇しくもそれはあのゲリラ局の周波数チャンネルと同じだった。
兵長のスピーカーから望んでいた音波が放射される。
ギターとベースとドラム。それらが刻むリズムに乗せて叫ばれる歌詞。
『ロックは好きか?』
「あんまり聞かないかな。兵長さんは好きなんですか?」
『ああ、ロックはいい。生きる事を謳った歌さ』
兵長が何を言おうとしているか悟ったのだろう。その程度にこの少女は聡い。
『自分の足で歩いていこう、自分の道を見つけて進もう――まあ、独りでそれが出来るのは強い奴だけかもしれねえ』
(あの佐山みてえな、な)
言外に、苦く認めた。あの男は強い。無論、それが最良というわけではないが。
『けどな、別にあんたはひとりじゃねえさ。その彼氏さんがいる。
なら別にその彼氏さんもひとりって訳じゃねえだろう。嬢ちゃんがいる。
それにな、この場にだって――』
口を塞いだ。
塞がざるを得なかった。それは口にしてもいい言葉なのか。
自分が力になると言うだけならば簡単だ。
――だが、責任は取れるか?
『――お』
「兵長さんは、優しいな」
遮る様に、藤花が言葉を重ねた。
抱きしめる様にラジオの筐体を腕の中に沈める。
「とても暖かいです」
『……基盤が、か?』
「いいえ、くれた言葉が。兵長さんみたいなお父さんが欲しかった、かな」
音楽は人に変化を与える。
アップテンポのリズムは彼女の沈んだ気持ちを少しだけ支えるのに役立ったのだろう。
そして、少なからず兵長の言葉も。
(偽善、だな)
だが、暖かい肉の中で兵長は皮肉気に自嘲していた。
会話を続けようとしたのも、彼女を励まそうとしたのも、宮下藤花という少女の事を思ってではない。
自分はこの娘にキーリを重ね合わせている。
自らを嘲る様に認めた。共通点は俯き具合と黒髪だけ。それなのに自分は彼女にキーリの役割を求めてしまった。
慰めるための言葉も、音楽も、本当はこの少女ではない別の少女に向けて放たれているのだ。
(ああ、馬鹿みたいだな、俺は――)
「そんなことはないさ。君自身が言った事だよ」
至近から浴びせられた声に、兵長は驚愕した。
ラジオのチャンネルが切り替わるように、変化は唐突にして一瞬。
宮下藤花の口から紡がれていたにも関わらず、それは決して宮下藤花ではない。
「人は誰しもひとりじゃあない。その中には君自身も含まれているはずだ。
君の言葉は確かに宮下藤花の助けとなっている。なら君も宮下藤花に助けて貰えばいい。
だって君が言ったんだろう、人はひとりじゃあ生きられないっていうのは――」
抱きしめていたラジオをダンボールの上に戻し、そいつは兵長と対面した。
『お前――誰だ』
問いかけに、宮下藤花の顔をした人物は左右非対称の奇妙な笑みを返す。
いつの間にかロックンロールは終わり、部屋の中にはワーグナーが鳴り響いていた。
◇◇◇
両手で土を握り締めた。
本当なら裂けてしまいそうな心臓を押さえたかった。だがそんな余裕はない。
それに今の自分が掴めば心臓は逆に潰れてしまうだろう。激痛の中、佐山は静かにそれを認めた。
拳が軋んだ。指の骨が撓った。筋力を全く制御できていない。
だがそれは狭心症がもたらす激痛の為か?
(違う)
痛覚は悲鳴を上げている。枯れるほどの絶叫。掠れて消えそうになるほどの大音声。
だが自分の胸中は何処までもしじまを保っていた。
(私は冷静だ)
そう何処までもクールだ。そして何処までも強烈に――
視線を上げる。見える光景は地面から離れ、こちらを見下す吸血鬼の微笑みのみを映した。
自分は冷静だ。決して揺れない。
だって頭の中は新庄君の死に顔で一杯だから。
それだけが頭と胸の内を占めている。許容量はとうに限界。張り裂けて漏れ出しそうなほど。
だから自分は冷静だ。徹頭徹尾、やり抜こう。
(ああ、私は――)
声が響いていた。耳朶の奥から。ならばそれは自分の声だ。
実際に声帯を震わすのは止めておこう。それをしてしまえばチャンスはなくなる。だから胸の中で呟こう。
――私は、貴様を殺したい。
大切なモノを奪った貴様を許さない。新庄君に叩き付けた陵辱を万倍にして返そう。肉を削ぎ、骨を砕き、目を抉り、四肢を落として硫酸を垂らし刃物を刺し縄で縊り圧力で破裂させ炎で焼き冷気で凍らせ鎚で砕こう。
万の呪詛を唱え、億の行為で追い立てよう。
彼を思い立たせたのは新庄の死。行動を促進させたのはつい先ほど聞いた宮下藤花の言葉。
『ただ、“状況が悪い”ってだけでなかったことにしちゃったら、殺された人達が思っていたこと全部が否定されるような気がしたの』
彼女の言い分。それは正しい。正しかったと身に染みて理解する。
ああそうだ。そんなのは嘘だ。新庄君が否定される。そんなことは許すものか。
さあ進撃しよう。幸い手段はすぐ傍にある。G-Sp2。世界を構成する概念核を叩き込まれて無事な存在などいない。
吸血鬼と視線が合った。いままで見ていたのに視線は不思議と合っていなかった。焦点すら結べていなかったか。
(私は死ぬかな)
おそらく死ぬだろう。吸血鬼に一矢報いることなく、佐山・御言は死ぬ。
だが自分の命など知らぬ、下らぬと佐山は断じた。それよりも自分にとって大切なものがある。
それは誇りだ。新庄・運切の誇り。彼女の死した後さえそれは残る。
ならば、その誇りを汚したままになどしておけるものか。
脳裏には走馬灯。いくつも閃いては消える運切の姿。
そして。
本当なら裂けてしまいそうな心臓を押さえたかった。だがそんな余裕はない。
それに今の自分が掴めば心臓は逆に潰れてしまうだろう。激痛の中、佐山は静かにそれを認めた。
拳が軋んだ。指の骨が撓った。筋力を全く制御できていない。
だがそれは狭心症がもたらす激痛の為か?
(違う)
痛覚は悲鳴を上げている。枯れるほどの絶叫。掠れて消えそうになるほどの大音声。
だが自分の胸中は何処までもしじまを保っていた。
(私は冷静だ)
そう何処までもクールだ。そして何処までも強烈に――
視線を上げる。見える光景は地面から離れ、こちらを見下す吸血鬼の微笑みのみを映した。
自分は冷静だ。決して揺れない。
だって頭の中は新庄君の死に顔で一杯だから。
それだけが頭と胸の内を占めている。許容量はとうに限界。張り裂けて漏れ出しそうなほど。
だから自分は冷静だ。徹頭徹尾、やり抜こう。
(ああ、私は――)
声が響いていた。耳朶の奥から。ならばそれは自分の声だ。
実際に声帯を震わすのは止めておこう。それをしてしまえばチャンスはなくなる。だから胸の中で呟こう。
――私は、貴様を殺したい。
大切なモノを奪った貴様を許さない。新庄君に叩き付けた陵辱を万倍にして返そう。肉を削ぎ、骨を砕き、目を抉り、四肢を落として硫酸を垂らし刃物を刺し縄で縊り圧力で破裂させ炎で焼き冷気で凍らせ鎚で砕こう。
万の呪詛を唱え、億の行為で追い立てよう。
彼を思い立たせたのは新庄の死。行動を促進させたのはつい先ほど聞いた宮下藤花の言葉。
『ただ、“状況が悪い”ってだけでなかったことにしちゃったら、殺された人達が思っていたこと全部が否定されるような気がしたの』
彼女の言い分。それは正しい。正しかったと身に染みて理解する。
ああそうだ。そんなのは嘘だ。新庄君が否定される。そんなことは許すものか。
さあ進撃しよう。幸い手段はすぐ傍にある。G-Sp2。世界を構成する概念核を叩き込まれて無事な存在などいない。
吸血鬼と視線が合った。いままで見ていたのに視線は不思議と合っていなかった。焦点すら結べていなかったか。
(私は死ぬかな)
おそらく死ぬだろう。吸血鬼に一矢報いることなく、佐山・御言は死ぬ。
だが自分の命など知らぬ、下らぬと佐山は断じた。それよりも自分にとって大切なものがある。
それは誇りだ。新庄・運切の誇り。彼女の死した後さえそれは残る。
ならば、その誇りを汚したままになどしておけるものか。
脳裏には走馬灯。いくつも閃いては消える運切の姿。
そして。
唐突に気づいて、佐山は立ち上がった。
膝と手に付着した土汚れを払い落とし、努めて冷静な声を絞り出す。
「――虚言を弄すはやめたまえ。美姫女史」
「ほう、私が嘘を? 一体なんのことやら」
「貴女は新庄くんを殺してなどいない――そう言ったのだ」
吸血鬼の嘘を、看破した。
美姫が微笑む。それは正解の証左。佐山は続けた。
「女史は新庄くんの容姿をこう形容した。"やや小柄で、髪を腰の辺りまで伸ばしていた少女だった"、と。
なるほど、それは正しくして新庄くんだ。だが一面に過ぎない」
「一面?」
「新庄くんの名前が呼ばれたのは第二回目の放送の時だ。つまり新庄君は午前六時から正午までの間に死んでしまったことになる」
ため息をつき、佐山は再度、膝と掌に付着した土をどこか腹ただしげに払う動作をしてみせた。それはまるで落ちぬと分かっている汚れを無理に落とそうとしているかのようでもある。
「私としたことが失念していたよ――その間、新庄君は切だ。男性の体なのだよ。ああ、分からないか。新庄君は日中は男性、夜は女性に性別が変化する人でね」
美姫が苦笑した――悪戯がばれた童子のような笑み。
そう、人の死を騙り、それをもって人を弄んだとしても、それはこの吸血鬼にしてみれば軽い悪戯でしかない。
嘘を認めたということだろう。その証左である微笑みを睨みながら、佐山は推理する。
「女史が如何に強力な力を持っていようが存在しない人物は殺せない。おそらくこんなところではないかな。女史はどこかで新庄くんの亡骸を発見した――新庄くんの性別変化が死後も働くかどうかなど知りようもないことだが、きっと働いたのだろうね。女史の発見時、彼女は"運"だった。そして新庄くんの荷物には、私の名前のところに印のあった名簿が残されていた。女史はそこから私の知り合いだと判断して、今の悪質な試金石にした――」
「おっと、それは間違いじゃ。私はただお前の思い浮かべた想い人の像を読んだに過ぎんよ」
そう言って、美姫は腕を振るった。
膝と手に付着した土汚れを払い落とし、努めて冷静な声を絞り出す。
「――虚言を弄すはやめたまえ。美姫女史」
「ほう、私が嘘を? 一体なんのことやら」
「貴女は新庄くんを殺してなどいない――そう言ったのだ」
吸血鬼の嘘を、看破した。
美姫が微笑む。それは正解の証左。佐山は続けた。
「女史は新庄くんの容姿をこう形容した。"やや小柄で、髪を腰の辺りまで伸ばしていた少女だった"、と。
なるほど、それは正しくして新庄くんだ。だが一面に過ぎない」
「一面?」
「新庄くんの名前が呼ばれたのは第二回目の放送の時だ。つまり新庄君は午前六時から正午までの間に死んでしまったことになる」
ため息をつき、佐山は再度、膝と掌に付着した土をどこか腹ただしげに払う動作をしてみせた。それはまるで落ちぬと分かっている汚れを無理に落とそうとしているかのようでもある。
「私としたことが失念していたよ――その間、新庄君は切だ。男性の体なのだよ。ああ、分からないか。新庄君は日中は男性、夜は女性に性別が変化する人でね」
美姫が苦笑した――悪戯がばれた童子のような笑み。
そう、人の死を騙り、それをもって人を弄んだとしても、それはこの吸血鬼にしてみれば軽い悪戯でしかない。
嘘を認めたということだろう。その証左である微笑みを睨みながら、佐山は推理する。
「女史が如何に強力な力を持っていようが存在しない人物は殺せない。おそらくこんなところではないかな。女史はどこかで新庄くんの亡骸を発見した――新庄くんの性別変化が死後も働くかどうかなど知りようもないことだが、きっと働いたのだろうね。女史の発見時、彼女は"運"だった。そして新庄くんの荷物には、私の名前のところに印のあった名簿が残されていた。女史はそこから私の知り合いだと判断して、今の悪質な試金石にした――」
「おっと、それは間違いじゃ。私はただお前の思い浮かべた想い人の像を読んだに過ぎんよ」
そう言って、美姫は腕を振るった。
佐山の全身を新鮮な涼気が撫でる。二人を包んでいた見ることも感じることもできぬ奇妙な薄皮が剥がれるような感覚。
「え、っと? あれ? さっきまで二人でずっと睨みあってたのに――」
かなめが不思議そうに首をかしげている。
どうやら外からでは中がどう動いているか分からなくする概念空間のようなものが美姫の手によって展開されていたらしい。佐山は不快そうに眉をしかめた。
「こんな小細工にも気づかないとはね――私も堕ちたものだ。例の奇妙な焦燥感も女史が?」
「そう怖い顔をするな。ちょっとしたお遊びではないか――」
美姫は微笑んだ。
嫣然とした、哂い。
「――そしてそのお遊びで、お前は一瞬、憎しみに心を奪われたな」
「……痛いところをついてくれるね」
そう、それは事実だ。たとえ美姫が嘘をついていても。たとえ美姫が心を僅かにかき乱す術を行使していても。
佐山・御言はあの時、確かに新庄・運切を殺した犯人を許せなかった。
それは、当然だ。新庄をなかったことにすることなどできない。
だがそれならば、自分はそれほどまでに残酷な決断を他人に迫っていたということか。
その傷を撫でるが如く、美姫の言葉は止まらない。
「脆い、脆いな。お前の心は脆い。私が愛した魔人達の域には達しておらん。当事者の立場になれば容易く決意は鈍る。心の臓になにやら抱えているな? 真に強者であることを謳うのなら、その程度振り払って見せろ」
「全く持って、女史の言うとおりだ」
佐山が苦虫を噛んだような表情を浮かべて頷く。
自分は、佐山・御言は探していた答えを突きつけられた。
自分の仲間を殺した者が仲間になろうと言ってきた時、自分はそれを許容できるのか。
――否。できない。できなかったというのは先の遣り取りで証明された。
その在りようは無様のひとこと。あれほど殺人者の許容を説いておいて、いざ自分の番になればそれができない。当たり前だ。口先で形作る理想など、所詮リアルには敵わない。
それは佐山・御言の敗北だ――完膚なきまでに、自分は口先だけだったという証明。
「え、っと? あれ? さっきまで二人でずっと睨みあってたのに――」
かなめが不思議そうに首をかしげている。
どうやら外からでは中がどう動いているか分からなくする概念空間のようなものが美姫の手によって展開されていたらしい。佐山は不快そうに眉をしかめた。
「こんな小細工にも気づかないとはね――私も堕ちたものだ。例の奇妙な焦燥感も女史が?」
「そう怖い顔をするな。ちょっとしたお遊びではないか――」
美姫は微笑んだ。
嫣然とした、哂い。
「――そしてそのお遊びで、お前は一瞬、憎しみに心を奪われたな」
「……痛いところをついてくれるね」
そう、それは事実だ。たとえ美姫が嘘をついていても。たとえ美姫が心を僅かにかき乱す術を行使していても。
佐山・御言はあの時、確かに新庄・運切を殺した犯人を許せなかった。
それは、当然だ。新庄をなかったことにすることなどできない。
だがそれならば、自分はそれほどまでに残酷な決断を他人に迫っていたということか。
その傷を撫でるが如く、美姫の言葉は止まらない。
「脆い、脆いな。お前の心は脆い。私が愛した魔人達の域には達しておらん。当事者の立場になれば容易く決意は鈍る。心の臓になにやら抱えているな? 真に強者であることを謳うのなら、その程度振り払って見せろ」
「全く持って、女史の言うとおりだ」
佐山が苦虫を噛んだような表情を浮かべて頷く。
自分は、佐山・御言は探していた答えを突きつけられた。
自分の仲間を殺した者が仲間になろうと言ってきた時、自分はそれを許容できるのか。
――否。できない。できなかったというのは先の遣り取りで証明された。
その在りようは無様のひとこと。あれほど殺人者の許容を説いておいて、いざ自分の番になればそれができない。当たり前だ。口先で形作る理想など、所詮リアルには敵わない。
それは佐山・御言の敗北だ――完膚なきまでに、自分は口先だけだったという証明。
だが、それでも。
「……だが、その言葉は私だけに語るには真に迫りすぎている。失礼だが、それは女史にも言えることなのでは?」
佐山・御言は言葉を失わない。
その瞳には確かに自嘲がある。だが、諦観の色だけはどこにもない。
予想もしていなかった反撃。美姫は一瞬、きょとんと何を言われたか分からないような表情を浮かべ――
「ふ、ふふ、ふははははは――!」
楽しげな声が上がる。夜天を切り裂くが如き哄笑。
可笑しくてたまらぬといった風に、美姫は高らかに笑った。
美姫の脳裏には未だ焼きついて離れない魔界都市のマン・サーチャーの美麗な表情。
そうだ、と美姫は笑った。自分もまだ振り払えてはいない。
それを見抜いたのはただの人間だった。そう、目の前の青年は本質的にただの人間でしかない。だが、
「魔人でもない人間風情が、弱みを看破されてなお強者を装うか! 強者を装うことができるか!」
「当然だ。コテンパンにされた程度で諦めるのなら、はなから脱出など説いていないよ。佐山の名は悪役を任ずる――悪役は糾弾されてこそ悪役だ」
そう、佐山・御言は失敗した。新庄を殺した犯人を許せなかった。
答えは見つかった――そして、その答えを前にしてどうするべきかも。
「ああ、そうだ。私は新庄くんを殺した犯人を許せないだろう――だが、だからどうしたという。私にできないことでも他人におしつけよう。それが最善に必要であるというなら、そうする。それが佐山の姓だ。悪役の本質だ」
手を差し伸べる。相手は舞台最強の吸血鬼。このゲーム盤をひっくり返すどころか叩き割りかねない規格外。そんな存在に、まるで引っ張ってやるから手を出せとでもいう風に。
「さあ、美姫女史――貴女はよりにもよってこの佐山・御言を試したのだ。いまこの場で合否通知をいただこうか」
かつて彼の魔界都市を未曾有の危機に陥れた吸血鬼に向かって、あまりにも傲岸不遜なその言葉に、当の吸血鬼はくつくつと笑う。笑いながら手を伸ばす。硝子細工の如く繊細にして、生半可な概念など切り裂いてしまうであろう凶手。
その手が、佐山の手を握り返した。
「お前は面白い。その心が、この場でどれだけ保つのか――私はその行く末を見てみたくなった。下になってやるのも、また一興」
ぞくりと怖気にも快感にも似た感覚がその白い指を伝って佐山を捕える。
引き返せはしない。この吸血鬼を抱き込んでしまっては、もうきっと引き返せない。
(上等だ。もとよりこの世界に退路などない)
ならば、誓いを。
「我らはただ前方にのみ進撃を開始する。姫よ、誓えるのなら――」
悪役が口にしたその言葉を、美姫が繰り返した。
「――Tes(テスタメント)」
ここに契約は完了した。
「……だが、その言葉は私だけに語るには真に迫りすぎている。失礼だが、それは女史にも言えることなのでは?」
佐山・御言は言葉を失わない。
その瞳には確かに自嘲がある。だが、諦観の色だけはどこにもない。
予想もしていなかった反撃。美姫は一瞬、きょとんと何を言われたか分からないような表情を浮かべ――
「ふ、ふふ、ふははははは――!」
楽しげな声が上がる。夜天を切り裂くが如き哄笑。
可笑しくてたまらぬといった風に、美姫は高らかに笑った。
美姫の脳裏には未だ焼きついて離れない魔界都市のマン・サーチャーの美麗な表情。
そうだ、と美姫は笑った。自分もまだ振り払えてはいない。
それを見抜いたのはただの人間だった。そう、目の前の青年は本質的にただの人間でしかない。だが、
「魔人でもない人間風情が、弱みを看破されてなお強者を装うか! 強者を装うことができるか!」
「当然だ。コテンパンにされた程度で諦めるのなら、はなから脱出など説いていないよ。佐山の名は悪役を任ずる――悪役は糾弾されてこそ悪役だ」
そう、佐山・御言は失敗した。新庄を殺した犯人を許せなかった。
答えは見つかった――そして、その答えを前にしてどうするべきかも。
「ああ、そうだ。私は新庄くんを殺した犯人を許せないだろう――だが、だからどうしたという。私にできないことでも他人におしつけよう。それが最善に必要であるというなら、そうする。それが佐山の姓だ。悪役の本質だ」
手を差し伸べる。相手は舞台最強の吸血鬼。このゲーム盤をひっくり返すどころか叩き割りかねない規格外。そんな存在に、まるで引っ張ってやるから手を出せとでもいう風に。
「さあ、美姫女史――貴女はよりにもよってこの佐山・御言を試したのだ。いまこの場で合否通知をいただこうか」
かつて彼の魔界都市を未曾有の危機に陥れた吸血鬼に向かって、あまりにも傲岸不遜なその言葉に、当の吸血鬼はくつくつと笑う。笑いながら手を伸ばす。硝子細工の如く繊細にして、生半可な概念など切り裂いてしまうであろう凶手。
その手が、佐山の手を握り返した。
「お前は面白い。その心が、この場でどれだけ保つのか――私はその行く末を見てみたくなった。下になってやるのも、また一興」
ぞくりと怖気にも快感にも似た感覚がその白い指を伝って佐山を捕える。
引き返せはしない。この吸血鬼を抱き込んでしまっては、もうきっと引き返せない。
(上等だ。もとよりこの世界に退路などない)
ならば、誓いを。
「我らはただ前方にのみ進撃を開始する。姫よ、誓えるのなら――」
悪役が口にしたその言葉を、美姫が繰り返した。
「――Tes(テスタメント)」
ここに契約は完了した。
◇◇◇
状況は移ろっていく。これは真理だ。
(ならば俺がすべきことは、俺とチドリにとって都合の良いように状況を推移させることだ)
握手を交わす美姫と佐山をいつも通りのむっつり顔で眺めながら、だが胸中に計画を秘めて宗介は独りごちる。
相良宗介は傭兵である。
傭兵が通常の軍属と最も違う点は責任が軽いということ。そしてその分、組織的な庇護は受けにくいということ。
だから傭兵は生き抜く為の術に長けている。
この美姫のもとに居るのもそうした判断からだ。幸い、この化け物は自分とチドリを敵視していない。だからその威を借りている。核の傘のようなものだ。
問題は、その傘自体がいつ襲ってくるか分からないということ。
今までは気にならなかったリスクだ。それを度外視できるほどにこの吸血鬼の力は強大だった。
だがここにいるのがベストかどうか、少し考えざるを得ない状況になってしまった。
原因は例のダナティアの放送だ。自分が考えているより遥かに早く、そして多くの仲間を彼女は得ている。
第三回目の放送までで出た死者の総数は60。参加者の半数が死んだ。
ダナティアの言葉を信じるなら、彼女の仲間は12名。残りの参加者の五分の一を占めている。
いや、死者が出ることも考えればそれ以上だ。おそらく現在、この島で最も多く情報と人材を手中に収めている。
対して、この吸血鬼は強い。だが強いだけだ。
強く在ることはできるだろうが、その他は何もできまい。
例えばそれは組織だった行動だ。自分とこの吸血鬼は仲間ではない。自分たちが勝手に吸血鬼の後をつけて回っているだけとすら言える。
おそらく、遠からずダナティアの擁する組織とこの吸血鬼は対立しあう。そしてダナティアと美姫、両名とも干戈を交えることに関しては躊躇わない人種だ。
その際どちらが勝つかというのは魔術等の超能力に対して理解の薄い自分には分からない。
分かるのは、数が多いというのはそれだけで脅威であるということ。
美姫とダナティア組が戦闘になった際、その中で果たして自分は生き残れるのか?
(ならば俺がすべきことは、俺とチドリにとって都合の良いように状況を推移させることだ)
握手を交わす美姫と佐山をいつも通りのむっつり顔で眺めながら、だが胸中に計画を秘めて宗介は独りごちる。
相良宗介は傭兵である。
傭兵が通常の軍属と最も違う点は責任が軽いということ。そしてその分、組織的な庇護は受けにくいということ。
だから傭兵は生き抜く為の術に長けている。
この美姫のもとに居るのもそうした判断からだ。幸い、この化け物は自分とチドリを敵視していない。だからその威を借りている。核の傘のようなものだ。
問題は、その傘自体がいつ襲ってくるか分からないということ。
今までは気にならなかったリスクだ。それを度外視できるほどにこの吸血鬼の力は強大だった。
だがここにいるのがベストかどうか、少し考えざるを得ない状況になってしまった。
原因は例のダナティアの放送だ。自分が考えているより遥かに早く、そして多くの仲間を彼女は得ている。
第三回目の放送までで出た死者の総数は60。参加者の半数が死んだ。
ダナティアの言葉を信じるなら、彼女の仲間は12名。残りの参加者の五分の一を占めている。
いや、死者が出ることも考えればそれ以上だ。おそらく現在、この島で最も多く情報と人材を手中に収めている。
対して、この吸血鬼は強い。だが強いだけだ。
強く在ることはできるだろうが、その他は何もできまい。
例えばそれは組織だった行動だ。自分とこの吸血鬼は仲間ではない。自分たちが勝手に吸血鬼の後をつけて回っているだけとすら言える。
おそらく、遠からずダナティアの擁する組織とこの吸血鬼は対立しあう。そしてダナティアと美姫、両名とも干戈を交えることに関しては躊躇わない人種だ。
その際どちらが勝つかというのは魔術等の超能力に対して理解の薄い自分には分からない。
分かるのは、数が多いというのはそれだけで脅威であるということ。
美姫とダナティア組が戦闘になった際、その中で果たして自分は生き残れるのか?
(まず、無理だ)
自分が万全の状態で相応の装備を持ち、ゲリラ戦にでも徹すれば殲滅も不可能ではないだろう。
だが現実はどうか。自分は片腕を喪失し、武装は全て失った。
千鳥かなめ。放り出すことの出来ないしがらみも抱え込んでしまった。
美姫は核のように他者に対する脅しにはなるが、実際に自分たちを守ってくれるかどうは不確実。そんな信頼性の低いものに自分の命を預けられる筈もない。状況はこれ以上ないほど最悪。
(そう、無理だ――なら、状況を変えるしかない)
宗旨替え。美姫の元を去り、別の集団へ付く。
(現状、もっとも強い勢力はダナティア組だろう――チドリはああ言っていたし俺自身も大佐殿のことで蟠りはあるが、生き残る上でそんなことは考えるべきことではない。状況はそういう風に変わってしまった)
先の決別の言葉を撤回し、必要ならば相手の靴を舐めてでもダナティア組につく。
相良宗介にとっての最優先事項は、千鳥かなめを生かすことなのだから。
美姫に集団への接触を何度も促していたのもその布石。
この吸血鬼は自分たちを嬲るようにして遊んでいる。だからダナティア組の近くに行きたいような素振りを見せれば、それに対して昼に持ちかけられた取引のような、何らかのリアクションを取るだろうと考えていた。
結果は上々。美姫はふらふらとダナティア組みの根城の近くを焦らす様に彷徨い、こうして別の参加者の組と共同できている。少なくとも、目の前の佐山と名乗った人物は吸血鬼より組み易しそうだ。
(そう――何も変わっていない。俺は、絶対にチドリを守る。どんな汚いことをしても、俺のプライドを粉砕してでも。それが俺の戦いだ)
隻腕の傭兵の戦争は銃火を閃かせず、ただ静かに進行していく――
自分が万全の状態で相応の装備を持ち、ゲリラ戦にでも徹すれば殲滅も不可能ではないだろう。
だが現実はどうか。自分は片腕を喪失し、武装は全て失った。
千鳥かなめ。放り出すことの出来ないしがらみも抱え込んでしまった。
美姫は核のように他者に対する脅しにはなるが、実際に自分たちを守ってくれるかどうは不確実。そんな信頼性の低いものに自分の命を預けられる筈もない。状況はこれ以上ないほど最悪。
(そう、無理だ――なら、状況を変えるしかない)
宗旨替え。美姫の元を去り、別の集団へ付く。
(現状、もっとも強い勢力はダナティア組だろう――チドリはああ言っていたし俺自身も大佐殿のことで蟠りはあるが、生き残る上でそんなことは考えるべきことではない。状況はそういう風に変わってしまった)
先の決別の言葉を撤回し、必要ならば相手の靴を舐めてでもダナティア組につく。
相良宗介にとっての最優先事項は、千鳥かなめを生かすことなのだから。
美姫に集団への接触を何度も促していたのもその布石。
この吸血鬼は自分たちを嬲るようにして遊んでいる。だからダナティア組の近くに行きたいような素振りを見せれば、それに対して昼に持ちかけられた取引のような、何らかのリアクションを取るだろうと考えていた。
結果は上々。美姫はふらふらとダナティア組みの根城の近くを焦らす様に彷徨い、こうして別の参加者の組と共同できている。少なくとも、目の前の佐山と名乗った人物は吸血鬼より組み易しそうだ。
(そう――何も変わっていない。俺は、絶対にチドリを守る。どんな汚いことをしても、俺のプライドを粉砕してでも。それが俺の戦いだ)
隻腕の傭兵の戦争は銃火を閃かせず、ただ静かに進行していく――
◇◇◇
そして、数分後には第四回目の放送が始まる。
秋せつらの名を含んだ放送が。
ダナティア・アリール・アンクルージュの名を含んだ放送が。
風見・千里の名を含んだ放送が。
ハーヴェイの名を含んだ放送が。
いくつもの死を孕んだ放送は、いったいどのように状況を変化させるのか。
それはまだ、誰も知らない。
秋せつらの名を含んだ放送が。
ダナティア・アリール・アンクルージュの名を含んだ放送が。
風見・千里の名を含んだ放送が。
ハーヴェイの名を含んだ放送が。
いくつもの死を孕んだ放送は、いったいどのように状況を変化させるのか。
それはまだ、誰も知らない。
【E-4/倉庫前/1日目・23:58】
【佐山・御言】
[状態]:左掌に貫通傷(物が強く握れない)。服がぼろぼろ。疲労回復中。
[装備]: G-Sp2 (ガスプツー)、木竜ムキチの割り箸(疲労回復効果発揮中)、閃光手榴弾一個
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1800ml)
PSG-1の弾丸(数量不明)、地下水脈の地図
[思考]:放送まで待機。悪役としての今後の指針を明確にしたい。
参加者すべてを団結させ、この場から脱出する。
[備考]:親族の話に加え、新庄の話でも狭心症が起こる(若干克服)
【佐山・御言】
[状態]:左掌に貫通傷(物が強く握れない)。服がぼろぼろ。疲労回復中。
[装備]: G-Sp2 (ガスプツー)、木竜ムキチの割り箸(疲労回復効果発揮中)、閃光手榴弾一個
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1800ml)
PSG-1の弾丸(数量不明)、地下水脈の地図
[思考]:放送まで待機。悪役としての今後の指針を明確にしたい。
参加者すべてを団結させ、この場から脱出する。
[備考]:親族の話に加え、新庄の話でも狭心症が起こる(若干克服)
【美姫】
[状態]:通常
[装備]:なし
[道具]:支給品一式(パン6食分・水2000ml)
[思考]:気の向くままに行動する/アシュラムをどうするか
/ダナティアたちに会うかどうかは第四回放送を聞いてから決める
[備考]:何かを感知したのは確かだが、何をどれくらい把握しているのかは不明。
[状態]:通常
[装備]:なし
[道具]:支給品一式(パン6食分・水2000ml)
[思考]:気の向くままに行動する/アシュラムをどうするか
/ダナティアたちに会うかどうかは第四回放送を聞いてから決める
[備考]:何かを感知したのは確かだが、何をどれくらい把握しているのかは不明。
【相良宗介】
[状態]:健康、ただし左腕喪失
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]:どんな手段をとっても生き残る/かなめを死守する
[状態]:健康、ただし左腕喪失
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]:どんな手段をとっても生き残る/かなめを死守する
【千鳥かなめ】
[状態]:通常?
[装備]:エスカリボルグ
[道具]:荷物一式、食料の材料。鉄パイプのようなもの。(バイトでウィザード「団員」の特殊装備)
[思考]:宗介と共にどこまでも/?
[状態]:通常?
[装備]:エスカリボルグ
[道具]:荷物一式、食料の材料。鉄パイプのようなもの。(バイトでウィザード「団員」の特殊装備)
[思考]:宗介と共にどこまでも/?
【E-4/倉庫/1日目・23:58】
【宮下藤花(ブギーポップ)】
[状態]:休息中
[装備]:兵長
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1500ml) 、ブギーポップの衣装
[思考]:佐山に同行。殺人者を許せない。
【宮下藤花(ブギーポップ)】
[状態]:休息中
[装備]:兵長
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1500ml) 、ブギーポップの衣装
[思考]:佐山に同行。殺人者を許せない。