第582話:片翼たち 作:◆5Mp/UnDTiI
「そうだな――」
敵意を持った相手に銃を突きつけられるという傍目から見れば致命的な状況の中でさえ、この男の態度は飄々としていた。
(そう。傍目から見れば……ね)
体勢と表情を崩さぬまま、風見は背筋を落ちていく冷や汗を感じていた。
一般的に言って、指一本の動きで済む拳銃と最低でも手首以上の稼動が必要なナイフ。
有利なのは拳銃に決まっている。撃つべき弾が込められていて、しかも相手が化け物でなければ、だが。
最悪なことにその条件は両方ともクリアできなかった。つまりこれは本当に張子の虎でしかない。
この男はそれに気づいているのか。気づいていて、こちらを嬲っているのか。
その弱気な思考を見て取ったかのように、怪物が口元を歪めた。
「確かに、これはどうしようもないな。だが、朝まで根競べでもする気か?
それとも俺とお前、どっちが速いか競争するか」
「残念だけど、一晩一緒に過ごすほどあんたは好みじゃないわ。それに、賭けもあまり好きじゃないの」
銃とナイフ。互いに凶器を突きつけたまま、お互いの隙を探る二人。
だが条件は五分ではない。風見は激しく思考を廻らせる。隙が見つかればこちらの負けだ。
「交渉といきましょう。幸いこちらに死者は出ていない。そっちが刃を収めてくれるんなら、こちらも引くことができる」
取引を先制して持ちかけ、会話のアドバンテージを取る。こういうのは佐山の領分だが、自分とていろは位は知っている。
「生憎とこっちは引く気が無い。全くの無関係ならともかく、お前の仲間はシャーネを殺した」
「私たちの仲間が?」
「EDって奴が仲間にいるんだろう?」
いわれて、風見はあの仮面を付けた痩躯の青年を思い浮かべた。
やせ細っていた、というわけではないが、さりとて戦部に見えるかといえば答えはノーだ。
「確かにEDって奴は知り合いだけど、人を殺せるとは思えない。性格的にも、肉体的にも」
「貧弱野郎だって問題はないさ。シャーネは騙し討ちされたんだろうからな」
「それは確かな情報? 他人から聞いたとかじゃなく、自分の目で現場を見たわけ?」
「さあな? 逆に聞くが、お前らは自分の仲間の無罪を証明できるか?」
「そうね、出来ない。でも、それはそっちもなんじゃない? 私たちの有罪を証明できる?」
証明は無理だ。目の前の怪物は、どう見てもまだ見ぬ隣人を信用する人柄ではない。
そんな人物相手に、この島で出会って一日も経っていない奴の潔白を弁論できるはずがない。
「つまるところ、お前は仲間の無罪を証明できない。俺はナイフを引く理由が無いってことか。
いや――勢いよく首筋に押し付けて引く理由ならある、か?」
「この状態からなら、こっちは最悪でも相打ちに出来る。
そっちの目的が復讐なら、それは望むところではないんじゃない?」
「そうだな。だからこうして話し合いに乗っているわけだが――」
ナイフを風見の首筋から離さないまま、クレアが応じる。
「自己紹介をしてみる、ってのは、どうかな?」
「――何、それ」
クレアの荒唐無稽な提案に、思わず脱力しかける風見。慌てて銃を突きつけ直す。
幸い、怪物はそれを気にしなかったらしい。こともなげに続けてくる。
「お前は俺と交渉したいんだろう? なら、相互理解を深めた方が良い解決案もでるんじゃないか?」
「本気で言っているの?」
その言葉に肩をすくめて応じる怪物を見ながら風見は相手の言葉の裏を探る。
まさか本気で平和的な解決を望んでいるはずは無い。そんなお人好しは新庄くらいなものだ。
ならば会話の中でこちらの油断を探す気か。
敵意を持った相手に銃を突きつけられるという傍目から見れば致命的な状況の中でさえ、この男の態度は飄々としていた。
(そう。傍目から見れば……ね)
体勢と表情を崩さぬまま、風見は背筋を落ちていく冷や汗を感じていた。
一般的に言って、指一本の動きで済む拳銃と最低でも手首以上の稼動が必要なナイフ。
有利なのは拳銃に決まっている。撃つべき弾が込められていて、しかも相手が化け物でなければ、だが。
最悪なことにその条件は両方ともクリアできなかった。つまりこれは本当に張子の虎でしかない。
この男はそれに気づいているのか。気づいていて、こちらを嬲っているのか。
その弱気な思考を見て取ったかのように、怪物が口元を歪めた。
「確かに、これはどうしようもないな。だが、朝まで根競べでもする気か?
それとも俺とお前、どっちが速いか競争するか」
「残念だけど、一晩一緒に過ごすほどあんたは好みじゃないわ。それに、賭けもあまり好きじゃないの」
銃とナイフ。互いに凶器を突きつけたまま、お互いの隙を探る二人。
だが条件は五分ではない。風見は激しく思考を廻らせる。隙が見つかればこちらの負けだ。
「交渉といきましょう。幸いこちらに死者は出ていない。そっちが刃を収めてくれるんなら、こちらも引くことができる」
取引を先制して持ちかけ、会話のアドバンテージを取る。こういうのは佐山の領分だが、自分とていろは位は知っている。
「生憎とこっちは引く気が無い。全くの無関係ならともかく、お前の仲間はシャーネを殺した」
「私たちの仲間が?」
「EDって奴が仲間にいるんだろう?」
いわれて、風見はあの仮面を付けた痩躯の青年を思い浮かべた。
やせ細っていた、というわけではないが、さりとて戦部に見えるかといえば答えはノーだ。
「確かにEDって奴は知り合いだけど、人を殺せるとは思えない。性格的にも、肉体的にも」
「貧弱野郎だって問題はないさ。シャーネは騙し討ちされたんだろうからな」
「それは確かな情報? 他人から聞いたとかじゃなく、自分の目で現場を見たわけ?」
「さあな? 逆に聞くが、お前らは自分の仲間の無罪を証明できるか?」
「そうね、出来ない。でも、それはそっちもなんじゃない? 私たちの有罪を証明できる?」
証明は無理だ。目の前の怪物は、どう見てもまだ見ぬ隣人を信用する人柄ではない。
そんな人物相手に、この島で出会って一日も経っていない奴の潔白を弁論できるはずがない。
「つまるところ、お前は仲間の無罪を証明できない。俺はナイフを引く理由が無いってことか。
いや――勢いよく首筋に押し付けて引く理由ならある、か?」
「この状態からなら、こっちは最悪でも相打ちに出来る。
そっちの目的が復讐なら、それは望むところではないんじゃない?」
「そうだな。だからこうして話し合いに乗っているわけだが――」
ナイフを風見の首筋から離さないまま、クレアが応じる。
「自己紹介をしてみる、ってのは、どうかな?」
「――何、それ」
クレアの荒唐無稽な提案に、思わず脱力しかける風見。慌てて銃を突きつけ直す。
幸い、怪物はそれを気にしなかったらしい。こともなげに続けてくる。
「お前は俺と交渉したいんだろう? なら、相互理解を深めた方が良い解決案もでるんじゃないか?」
「本気で言っているの?」
その言葉に肩をすくめて応じる怪物を見ながら風見は相手の言葉の裏を探る。
まさか本気で平和的な解決を望んでいるはずは無い。そんなお人好しは新庄くらいなものだ。
ならば会話の中でこちらの油断を探す気か。
(どちらにせよ……私に次の手は無い。時間を稼ぐ必要がある)
相手が話をしている間に、次の手を考える。それが自分に許された中ではベストの手段だ。
「……オーケイ、いいわ。なら、言いだしっぺからね」
「ま、それくらいなら呑んでやるさ。さて、何から話したもんか……
とりあえず、名前はフェリックス・ウォーケンだ。昔はサーカスをやってたが、いまはマフィアで殺し屋なんかをやってる」
「――その名前は参加者リストに記載されていないようだが」
外野から、BB。クレアは悪びれもせずに、
「ああ、偽名だ。俺の名前を呼んでいいのはシャーネだけさ」
「……相互理解を深めようって言っといて、それ?」
呆れたように風見が呻く。だが、視線は逸らさずにクレアを見つめ続けていた。
会話の内容自体に意味は無い。問題は如何にしてナイフという脅威から逃れ、間合いを空けるか。
「そういう奴だ、とでも理解してくれ。――さて、話がずれたな。どこまで話したっけ?
ああ、マフィアで殺し屋をやってるってとこまでだった。そのマフィアの頭とは昔馴染みなんだ。
トランプ好きの三兄弟なんだが、特に長男が阿呆みたいに強くてな。
俺は大概のことじゃ負けはしないんだが、こればっかりはガキの時分から勝ったといえるほど勝ったことがない」
すらすらと淀みなく明かされていく、眼前の男の過去。
他愛もない昔話にしか聞こえない。だがその裏で、こいつは何を考えているのか――
「勝敗が拮抗するばかりだから、ある日俺は観念してコツを聞いてみたんだ。
そしたらその死神みたいな面してる奴曰く――」
「――千里っ!」
ブルー・ブレイカーの鋭い声。
視線を外す訳にもいかず、風見はその方向に声を飛ばして応対する。
なによ。どうしたの急に。
いま見ての通り取り込み中なんだから、邪魔を
あれ。
(おかしい、声が出ない?)
思わず喉に手をやろうとして、だけどその前に声が聞こえた。
「切り札ってのは、最後まで取っておくもんじゃねえ――切るべき時に"切る"もんだ、ってさ」
風見の首元から鮮血が噴き出す。
クレアの振るったナイフはまるで水を切るかのごとく、一切の遅延を見せずに風見・千里の喉笛を通過した。
あっさりと均衡を破っておいて、銃口を避けようともしない。それを脅威として認識していない。
――はったりだと、ばれていた。
蒼い殺戮者が飛び出し、クレアに向かって梳牙を叩き付ける。
クレアは一瞥すらせず、その場から飛びのいた。嬲る様な言葉を置き土産にして。
「弾が入ってないことは最初から分かってたよ。
入ってるなら、俺がそこのデカブツとやり合ってる時に撃つなり突きつけるなりできたもんな?」
それでも、銃弾が入っていないというのは所詮憶測に過ぎないが――
「――なにより、俺が死ぬわけが無い。だから俺の命をチップにしたギャンブルなんて成立しない!」
高らかに勝利の笑いをあげる世界の中心。
それは風見のよく知っているほうの世界の中心とは似て非なるもの。
一点の曇りも無く、ただ純粋に。
彼は努力の元に培った己の強さと正しさを信じることができる。
クレア・スタンフィールドという存在は、恐怖では縛れない。何故ならそれ自身が恐怖たる怪物なのだから。
相手が話をしている間に、次の手を考える。それが自分に許された中ではベストの手段だ。
「……オーケイ、いいわ。なら、言いだしっぺからね」
「ま、それくらいなら呑んでやるさ。さて、何から話したもんか……
とりあえず、名前はフェリックス・ウォーケンだ。昔はサーカスをやってたが、いまはマフィアで殺し屋なんかをやってる」
「――その名前は参加者リストに記載されていないようだが」
外野から、BB。クレアは悪びれもせずに、
「ああ、偽名だ。俺の名前を呼んでいいのはシャーネだけさ」
「……相互理解を深めようって言っといて、それ?」
呆れたように風見が呻く。だが、視線は逸らさずにクレアを見つめ続けていた。
会話の内容自体に意味は無い。問題は如何にしてナイフという脅威から逃れ、間合いを空けるか。
「そういう奴だ、とでも理解してくれ。――さて、話がずれたな。どこまで話したっけ?
ああ、マフィアで殺し屋をやってるってとこまでだった。そのマフィアの頭とは昔馴染みなんだ。
トランプ好きの三兄弟なんだが、特に長男が阿呆みたいに強くてな。
俺は大概のことじゃ負けはしないんだが、こればっかりはガキの時分から勝ったといえるほど勝ったことがない」
すらすらと淀みなく明かされていく、眼前の男の過去。
他愛もない昔話にしか聞こえない。だがその裏で、こいつは何を考えているのか――
「勝敗が拮抗するばかりだから、ある日俺は観念してコツを聞いてみたんだ。
そしたらその死神みたいな面してる奴曰く――」
「――千里っ!」
ブルー・ブレイカーの鋭い声。
視線を外す訳にもいかず、風見はその方向に声を飛ばして応対する。
なによ。どうしたの急に。
いま見ての通り取り込み中なんだから、邪魔を
あれ。
(おかしい、声が出ない?)
思わず喉に手をやろうとして、だけどその前に声が聞こえた。
「切り札ってのは、最後まで取っておくもんじゃねえ――切るべき時に"切る"もんだ、ってさ」
風見の首元から鮮血が噴き出す。
クレアの振るったナイフはまるで水を切るかのごとく、一切の遅延を見せずに風見・千里の喉笛を通過した。
あっさりと均衡を破っておいて、銃口を避けようともしない。それを脅威として認識していない。
――はったりだと、ばれていた。
蒼い殺戮者が飛び出し、クレアに向かって梳牙を叩き付ける。
クレアは一瞥すらせず、その場から飛びのいた。嬲る様な言葉を置き土産にして。
「弾が入ってないことは最初から分かってたよ。
入ってるなら、俺がそこのデカブツとやり合ってる時に撃つなり突きつけるなりできたもんな?」
それでも、銃弾が入っていないというのは所詮憶測に過ぎないが――
「――なにより、俺が死ぬわけが無い。だから俺の命をチップにしたギャンブルなんて成立しない!」
高らかに勝利の笑いをあげる世界の中心。
それは風見のよく知っているほうの世界の中心とは似て非なるもの。
一点の曇りも無く、ただ純粋に。
彼は努力の元に培った己の強さと正しさを信じることができる。
クレア・スタンフィールドという存在は、恐怖では縛れない。何故ならそれ自身が恐怖たる怪物なのだから。
「子爵、千里の傷を――!」
ブルー・ブレイカーとクレアは再び戦いを始めている。
いや、よく見てみれば先ほどの戦いとは若干違う箇所があった。
クレアは始終、ブルー・ブレイカーの攻撃を避けるに専念している。攻撃の意思がまったくない。
それは単に手持ちの武器では傷を与えられないということを理解したというだけではなかった。
その場に留まり続け、ブルー・ブレイカーを牽制する。治療の妨害だ。
ブルー・ブレイカーは子爵を頼ったようだが――
【心得た、といいたいところだが……】
赤い液体が緩慢な動きで風見の傷口を覆った。
念力を応用しての止血。だが、もとよりそれはさほど強いものではない。
完全には、止まらない。
(長くは、もたないな)
――彼女も、私自身も。
倦怠感――いや、これは自己が希薄になっていく感覚だ。
能力の制限下においても、子爵はほぼ不死身の身体を持っている。
だが、それを維持する為のエネルギーの消費はこの島に来てからかなりの増大を見せていた。
先刻喰らった茉衣子の蛍火の影響で、その不足は決定的なものとなった。
それでも、このまま動かなければ生き延びられるかもしれない。朝を待てば再び光によって養分を蓄えられる。
風見・千里を見殺しにすれば。
(馬鹿な。それは紳士の行いではない)
疑問すら差し挟む余地は無い。
だがこのまま止血を続けてもあまり意味がないことも事実である。
もっと適切な処置が必要だ。そして不幸なことに、いまこの場でそれが出来るのは怪我をした当人だけだった。
子爵は気力を振り絞り、風見の前に血文字を作って見せる。
【風見嬢、気をしっかりと持ちたまえ――風見嬢!】
反応は、無い。
子爵は歯噛みをするような気持ちで周囲の惨状を見渡した。
すでに相当量の血が流れ出てしまっている。おそらく、風見の意識は限りなく薄い。
子爵の血文字を見ることさえ、叶わない。
手段は、ある。手段はあるのだ。風見の意識が戻りさえすれば。
(ええい、声帯の無い我が身を悔いることになるとは!)
死に逝く少女と、消え逝く吸血鬼。
二人の意識は薄くなっていき、そして――
ブルー・ブレイカーとクレアは再び戦いを始めている。
いや、よく見てみれば先ほどの戦いとは若干違う箇所があった。
クレアは始終、ブルー・ブレイカーの攻撃を避けるに専念している。攻撃の意思がまったくない。
それは単に手持ちの武器では傷を与えられないということを理解したというだけではなかった。
その場に留まり続け、ブルー・ブレイカーを牽制する。治療の妨害だ。
ブルー・ブレイカーは子爵を頼ったようだが――
【心得た、といいたいところだが……】
赤い液体が緩慢な動きで風見の傷口を覆った。
念力を応用しての止血。だが、もとよりそれはさほど強いものではない。
完全には、止まらない。
(長くは、もたないな)
――彼女も、私自身も。
倦怠感――いや、これは自己が希薄になっていく感覚だ。
能力の制限下においても、子爵はほぼ不死身の身体を持っている。
だが、それを維持する為のエネルギーの消費はこの島に来てからかなりの増大を見せていた。
先刻喰らった茉衣子の蛍火の影響で、その不足は決定的なものとなった。
それでも、このまま動かなければ生き延びられるかもしれない。朝を待てば再び光によって養分を蓄えられる。
風見・千里を見殺しにすれば。
(馬鹿な。それは紳士の行いではない)
疑問すら差し挟む余地は無い。
だがこのまま止血を続けてもあまり意味がないことも事実である。
もっと適切な処置が必要だ。そして不幸なことに、いまこの場でそれが出来るのは怪我をした当人だけだった。
子爵は気力を振り絞り、風見の前に血文字を作って見せる。
【風見嬢、気をしっかりと持ちたまえ――風見嬢!】
反応は、無い。
子爵は歯噛みをするような気持ちで周囲の惨状を見渡した。
すでに相当量の血が流れ出てしまっている。おそらく、風見の意識は限りなく薄い。
子爵の血文字を見ることさえ、叶わない。
手段は、ある。手段はあるのだ。風見の意識が戻りさえすれば。
(ええい、声帯の無い我が身を悔いることになるとは!)
死に逝く少女と、消え逝く吸血鬼。
二人の意識は薄くなっていき、そして――
◇◇◇
――意識が薄れていく。
風見・千里。彼女は忘我の淵にあった。首を切り裂かれた痛みは全く感じない――むしろ失血による体温の低下を心地良くすら感じた。
致命傷だ。風見は確信していた。
怪物の太刀筋は見事の一言に尽きる。
脊髄を断ち切って即死させることもできただろうに、動脈のみを綺麗に切り裂いたのは刃の消耗を避けるためだろう。
あの怪物にとって、風見・千里という人間はその程度の意味しか持っていない。全力を尽くさねばならない相手では決してない。
悔しい、馬鹿にしている、ふざけるな――いつもの彼女ならそんなことを思ったかもしれない。だが血圧の低下は感情の起伏すらも失わせていた。
いまはただ、只管に眠い。
遠くで――今の彼女の感覚で察知できるぎりぎりの距離で、打撃音が響いていた。戦っている――
(誰が?)
知っていたはずだが、思い出せない。そして、それがさして重要なことだとも思えない。
(もう、いいか――どうでも)
死は柔らかい毛布に包まるのと同じだ。朝起きてから二度目の惰眠を貪るような心持ちで、彼女は暗く深い所へと落ちていく。
二度と目覚めることのない眠り。死神は死者が安眠できるように便宜を図ってくれる。
部屋の明かりを落として、脳髄にミルクを一滴垂らし、ゆっくりと確実に意識を混濁させてくれる。
朝日は訪れない。鶏は鳴かない。目覚ましも騒がない。
だが、それでも。
彼女に安眠は訪れなかった。
静寂が取り払われる。喧しく、耳障りな、それでいて死神の囁きよりも心地よい、
「――千里ぉぉぉぉおおおおおおお!」
そんな馬鹿の声だけは、彼女の耳に響いて。
「……遅いのよ、バ覚」
ともすれば吐息と錯覚しかねないほど掠れた声が虚空に染み込んだ。
風見・千里。彼女は忘我の淵にあった。首を切り裂かれた痛みは全く感じない――むしろ失血による体温の低下を心地良くすら感じた。
致命傷だ。風見は確信していた。
怪物の太刀筋は見事の一言に尽きる。
脊髄を断ち切って即死させることもできただろうに、動脈のみを綺麗に切り裂いたのは刃の消耗を避けるためだろう。
あの怪物にとって、風見・千里という人間はその程度の意味しか持っていない。全力を尽くさねばならない相手では決してない。
悔しい、馬鹿にしている、ふざけるな――いつもの彼女ならそんなことを思ったかもしれない。だが血圧の低下は感情の起伏すらも失わせていた。
いまはただ、只管に眠い。
遠くで――今の彼女の感覚で察知できるぎりぎりの距離で、打撃音が響いていた。戦っている――
(誰が?)
知っていたはずだが、思い出せない。そして、それがさして重要なことだとも思えない。
(もう、いいか――どうでも)
死は柔らかい毛布に包まるのと同じだ。朝起きてから二度目の惰眠を貪るような心持ちで、彼女は暗く深い所へと落ちていく。
二度と目覚めることのない眠り。死神は死者が安眠できるように便宜を図ってくれる。
部屋の明かりを落として、脳髄にミルクを一滴垂らし、ゆっくりと確実に意識を混濁させてくれる。
朝日は訪れない。鶏は鳴かない。目覚ましも騒がない。
だが、それでも。
彼女に安眠は訪れなかった。
静寂が取り払われる。喧しく、耳障りな、それでいて死神の囁きよりも心地よい、
「――千里ぉぉぉぉおおおおおおお!」
そんな馬鹿の声だけは、彼女の耳に響いて。
「……遅いのよ、バ覚」
ともすれば吐息と錯覚しかねないほど掠れた声が虚空に染み込んだ。
◇◇◇
偶然だった。出雲とアリュセがこの瞬間にこの場所を訪れたというのは偶然の産物に過ぎない。
アマワが零時迷子によって復元された獣精霊の炎に焼かれる寸前にもたらされた、最後の偶然。
しかしそれが仕組まれた偶然であったなら、それは何を意図してもたらされたものなのだろうか。
見たままにデッドエンドの悲劇か、それともここからハッピーエンドへの逆転劇へと転じるのか。
少なくとも、出雲・覚はバッドエンドを望まない。叫びながら駆け出す。倒れ伏す風見・千里を目指して。
「おっと――お前はそいつを助けられない」
想い人に駆け寄る男に、同じ絶望を味わえと怪物が嘲笑した。
突如現れた出雲に対して迅速に反応し、クレア・スタンフィールドが転進する。
BBによって横一文字に振られた木刀をしゃがんで回避。そしてそれ自体が次の行動の為の予備動作。
撓めた膝のバネを利用して跳躍。得物を振り切った機動歩兵の横を軽々と飛び抜けて――
「行かせると――」
ブルー・ブレイカーが足止めの意思を見せる。
だが彼は既に攻撃を終えてしまった。再度武器を振りかぶる時間はない。
問題はない。彼は人ではない。彼にしかできない足止めの方法もある。
突如飛び出した蒼い壁が、クレアの視界いっぱいに広がった。
飛行ユニットを再展開し、自身の脇をすり抜けようとしたクレアの進路に鋼鉄の翼を広げたのだ。
空中での急激な方向転換は人間には不可能だ。それこそ、奇術でも使わなければ。
「いや二度目だぜ、それ」
だが怪物には通じない。クレアの跳躍の軌道が変化。BBの飛行制御翼をひらりと飛び越えた。
「なっ――!?」
振り返った時にはすでに遅く、クレアは既にBBの振るう梳牙が届く範囲から離れている。
何のことはない。クレアがしたのは単なる跳び箱運動だ。
飛び出した翼のふちに手を掛け、飛び越えた。種を明かせばそれだけに過ぎない。
だがそれを全力の跳躍中に、しかも突如出現する目標に対して行えるというのは異常だ。
その一連の動作を見て、出雲は直感した。相手は自分よりも強い。少なくとも、接近戦においては。
ならばこのまま近づくのは得策ではない。鋼鉄の壁を飛び越え、尋常ならざる速度でこちらに突進してくる男を見て出雲は冷静に分析した。距離を取るべきだ。
「うるせえ関係あるか!」
だが止まらない。合理的な思考は、激情を以って打ち砕かれる。
出雲は右手でナイフを鞘から引き抜いた。狙いは敵の心臓。躊躇いなく突き出す。
抵抗なく、ナイフの柄までが相手の胸に埋まった。だがその望外の成果に満足することなく、出雲は怪物の横をすりぬけ――
「なあ、実はこれロボットも切断できる魔法のナイフだったりしないか?」
「なっ――!?」
そして、それが唯の夢でしかなかったことを思い知らされた。
自分が握り締めていたはずのナイフが、いつの間にか敵の手の内にある。
柄まで完全に刺さったと思ったのは奪われていたからで、自分はただ空の拳を突きつけただけだった。
その拳の威力すら完璧な体捌きによって殺されている。ならば次に訪れるのは――
「まあ、お前で試してみるか」
出雲・覚の死だ。振り上げられる銀の軌跡を見て、それを認識する。
アマワが零時迷子によって復元された獣精霊の炎に焼かれる寸前にもたらされた、最後の偶然。
しかしそれが仕組まれた偶然であったなら、それは何を意図してもたらされたものなのだろうか。
見たままにデッドエンドの悲劇か、それともここからハッピーエンドへの逆転劇へと転じるのか。
少なくとも、出雲・覚はバッドエンドを望まない。叫びながら駆け出す。倒れ伏す風見・千里を目指して。
「おっと――お前はそいつを助けられない」
想い人に駆け寄る男に、同じ絶望を味わえと怪物が嘲笑した。
突如現れた出雲に対して迅速に反応し、クレア・スタンフィールドが転進する。
BBによって横一文字に振られた木刀をしゃがんで回避。そしてそれ自体が次の行動の為の予備動作。
撓めた膝のバネを利用して跳躍。得物を振り切った機動歩兵の横を軽々と飛び抜けて――
「行かせると――」
ブルー・ブレイカーが足止めの意思を見せる。
だが彼は既に攻撃を終えてしまった。再度武器を振りかぶる時間はない。
問題はない。彼は人ではない。彼にしかできない足止めの方法もある。
突如飛び出した蒼い壁が、クレアの視界いっぱいに広がった。
飛行ユニットを再展開し、自身の脇をすり抜けようとしたクレアの進路に鋼鉄の翼を広げたのだ。
空中での急激な方向転換は人間には不可能だ。それこそ、奇術でも使わなければ。
「いや二度目だぜ、それ」
だが怪物には通じない。クレアの跳躍の軌道が変化。BBの飛行制御翼をひらりと飛び越えた。
「なっ――!?」
振り返った時にはすでに遅く、クレアは既にBBの振るう梳牙が届く範囲から離れている。
何のことはない。クレアがしたのは単なる跳び箱運動だ。
飛び出した翼のふちに手を掛け、飛び越えた。種を明かせばそれだけに過ぎない。
だがそれを全力の跳躍中に、しかも突如出現する目標に対して行えるというのは異常だ。
その一連の動作を見て、出雲は直感した。相手は自分よりも強い。少なくとも、接近戦においては。
ならばこのまま近づくのは得策ではない。鋼鉄の壁を飛び越え、尋常ならざる速度でこちらに突進してくる男を見て出雲は冷静に分析した。距離を取るべきだ。
「うるせえ関係あるか!」
だが止まらない。合理的な思考は、激情を以って打ち砕かれる。
出雲は右手でナイフを鞘から引き抜いた。狙いは敵の心臓。躊躇いなく突き出す。
抵抗なく、ナイフの柄までが相手の胸に埋まった。だがその望外の成果に満足することなく、出雲は怪物の横をすりぬけ――
「なあ、実はこれロボットも切断できる魔法のナイフだったりしないか?」
「なっ――!?」
そして、それが唯の夢でしかなかったことを思い知らされた。
自分が握り締めていたはずのナイフが、いつの間にか敵の手の内にある。
柄まで完全に刺さったと思ったのは奪われていたからで、自分はただ空の拳を突きつけただけだった。
その拳の威力すら完璧な体捌きによって殺されている。ならば次に訪れるのは――
「まあ、お前で試してみるか」
出雲・覚の死だ。振り上げられる銀の軌跡を見て、それを認識する。
「伏せて!」
鋭い声と、頬を炙る熱量。その両方を知覚した出雲は反射的に全身から力を抜き、地べたを転がっていた。
その上を通り過ぎていく火球。弱体化しているとはいえ、直撃すれば一撃で死をもたらすウルト・ヒケウの業。
「SFの次はファンタジーか! 節操ってもんを知らないのかね!」
クレアが笑う。当然の如く、葡萄酒の名を冠する殺し屋もまた、その場から飛び退いて火球を避けていた。
それでも怪物との距離が開いたのは幸いだった。その隙に出雲は立ち上がる。
ごろごろと土の上を転がりまわって髪は土塗れ。それを振り落とすように頭を振った。
(――冷静になれよ、俺)
無理な注文だとは思っても、そう自分に言い聞かせた。激情に任せて突進し、突破できるような相手ではない。
「すまんアリュセ!」
「全く! 静止する暇もなく飛び出すんですから!」
ガサガサと、不必要に音を鳴らしながらアリュセが茂みから歩み出てくる。
自分の存在を、数の優位を敵にアピールする。そんな重圧の掛け方。ただ、問題は――
(相手が、それで怯むかどうか分からないということですが)
アリュセは思考する。先の火球は完璧なタイミングで放ったつもりだった。
敵は出雲に完全に注意を向けていて、しかもこちらの魔法という手札を相手は知らなかった筈。
それなのに、かわされた。
数の上ではこちらが有利。だが、それでも彼我のパワーバランスがどうなっているのかまるで見当が付かない。それほどの敵だ。
(ここで戦うことは良策ではありませんわね。ならばまずは――)
戦う理由を潰す。アリュセはクレアに向かって、鋭く声を張り上げた。
「そこの貴方! そちらの方々とどういう縁があって戦っているかは知りませんが、ここは一端お引きなさい!
こちらは三人です。二人がかりで貴方を抑えて、一人が怪我人を治療できます。
貴方はその女性を殺したい様子ですが、それは最早不可能です。
ここで退いて頂けるなら、我々は追撃をいたしません」
その宣言を聞いてまずブルー・ブレイカーが動いた。
戦術的な状況判断において、自動歩兵たる彼は何よりも優れている。
出雲とアリュセ側につくように立ち位置を変え、クレアと再び対峙した。
アリュセの宣言において、三対一とは彼がこちらの味方につくことを前提としたものだ。
蒼い機兵が風見・千里と如何なる関係であるか知らないアリュセにしてみれば、B.Bの動きは不安要素のひとつだった。
それが無くなる。目論見どおりに状況が動いたことに、まずは息をつく。
「あー……なるほど、一理ある」
出雲から奪ったナイフを検分するように手の中で弄びながら、クレアはうめいた。
鋭い声と、頬を炙る熱量。その両方を知覚した出雲は反射的に全身から力を抜き、地べたを転がっていた。
その上を通り過ぎていく火球。弱体化しているとはいえ、直撃すれば一撃で死をもたらすウルト・ヒケウの業。
「SFの次はファンタジーか! 節操ってもんを知らないのかね!」
クレアが笑う。当然の如く、葡萄酒の名を冠する殺し屋もまた、その場から飛び退いて火球を避けていた。
それでも怪物との距離が開いたのは幸いだった。その隙に出雲は立ち上がる。
ごろごろと土の上を転がりまわって髪は土塗れ。それを振り落とすように頭を振った。
(――冷静になれよ、俺)
無理な注文だとは思っても、そう自分に言い聞かせた。激情に任せて突進し、突破できるような相手ではない。
「すまんアリュセ!」
「全く! 静止する暇もなく飛び出すんですから!」
ガサガサと、不必要に音を鳴らしながらアリュセが茂みから歩み出てくる。
自分の存在を、数の優位を敵にアピールする。そんな重圧の掛け方。ただ、問題は――
(相手が、それで怯むかどうか分からないということですが)
アリュセは思考する。先の火球は完璧なタイミングで放ったつもりだった。
敵は出雲に完全に注意を向けていて、しかもこちらの魔法という手札を相手は知らなかった筈。
それなのに、かわされた。
数の上ではこちらが有利。だが、それでも彼我のパワーバランスがどうなっているのかまるで見当が付かない。それほどの敵だ。
(ここで戦うことは良策ではありませんわね。ならばまずは――)
戦う理由を潰す。アリュセはクレアに向かって、鋭く声を張り上げた。
「そこの貴方! そちらの方々とどういう縁があって戦っているかは知りませんが、ここは一端お引きなさい!
こちらは三人です。二人がかりで貴方を抑えて、一人が怪我人を治療できます。
貴方はその女性を殺したい様子ですが、それは最早不可能です。
ここで退いて頂けるなら、我々は追撃をいたしません」
その宣言を聞いてまずブルー・ブレイカーが動いた。
戦術的な状況判断において、自動歩兵たる彼は何よりも優れている。
出雲とアリュセ側につくように立ち位置を変え、クレアと再び対峙した。
アリュセの宣言において、三対一とは彼がこちらの味方につくことを前提としたものだ。
蒼い機兵が風見・千里と如何なる関係であるか知らないアリュセにしてみれば、B.Bの動きは不安要素のひとつだった。
それが無くなる。目論見どおりに状況が動いたことに、まずは息をつく。
「あー……なるほど、一理ある」
出雲から奪ったナイフを検分するように手の中で弄びながら、クレアはうめいた。
「確かに、いかに俺といえどもSFとファンタジー両方相手にしながら立ち回るのはちょっとしんどいかもな」
「会話で時間を延ばすことを考えているなら無駄ですわよ? 即答しないなら、私たちは先の通りに行動するだけ」
BBが前衛に立ち、アリュセがそれを魔法で援護。出雲が風見の応急処置。
おそらく、そんなところがベストだろう。怪物と対峙して殺されずに済むのは装甲を纏う蒼い殺戮者のみ。
そして――その事実をその場に居る誰もが知っていて。
「じゃあ簡単だ。二対一にしよう」
だけど、その事実を一番良く理解しているのは他でもない怪物自身で。
バチン、と何かが弾ける音。薄く鋭い風切り音。
それを耳にして、三人はそれぞれ別の行動を取った。出雲は身構え、B.Bは最早間に合わないことに歯噛みし、
そして、アリュセは、
「――っ、ぁ……?」
喉から刃を生やして、その場に倒れ伏した。
スペツナズナイフ――柄の中に強化スプリングを仕込んだその特殊ナイフは、ボウガン並の速度で鋼鉄の刃を射出することができる。
射程はおよそ10メートル。ギリギリだったが、クレア・スタンフィールドは難なくその奇襲を成功させた。
そう――レイルトレーサーと対峙して"殺されずに済むのは"蒼い殺戮者のみ。
倒れ伏す少女をさめた視線で見つめながら、最強の殺し屋がつぶやく。
「ファンタジーは、硬くないな」
「……てっめえ――!」
再度激昂した出雲が踊りかかる。事実を忘れて、決して勝つことの出来ない怪物へと。
「返すぜ、これ」
クレアが腕を振るった。投擲されたスペツナズナイフの柄が出雲の顔面に直撃し、視界を奪う。
その一瞬の隙で、クレアは出雲との距離を零にしていた。逆の手に持っていたハンティングナイフが出雲の首筋に――
「させると、思うか!」
三度目の正直。
爆発的に膨れ上がる音の暴波。その場に存在する空気が、まるでその音に指揮されるかの如く踊り狂った。
刹那、蒼い影がクレア目掛けて疾る。これまでのものとは段違いの速度。
「――とっぉ!」
飛行用ブースターを吹かし、極限低空飛行を実施したBBがクレアに体当たりを敢行。助走も無しに自動歩兵を空へと持ち上げる超出力ブースターの突進である。
流石にこの一撃は予測しきれず、クレアは紙一重でかわすものの体勢を狂わせられる。
「空まで飛ぶのか! SFは節操がない!」
BBは突進が失敗に終わったと見るや否や機体に逆制動を掛けて急停止。
地面すれすれを飛ぶ曲芸飛行など危険極まりない。少しのベクトル変化が大事故に繋がる。二度と試す気は無い。
梳牙を片手に再び接近戦へと移行。攻守は完全に逆転。クレアが崩れた体勢を立て直す暇を与えないように計算して殴打を積み重ねる。相手の武装がこちらの装甲を貫けない以上、防御を気にする必要はない。
一方、突進の余波に吹き飛ばされたのは出雲も同じだった。
再び地面の上を転がり、そして立ち上がる。
(本当に――馬鹿か、俺は!)
だが分かっていても、目の前で親しい間柄の人間が二人も殺されてかけていて冷静になれる人間など存在するのか。
少なくとも自分はその類の人間ではない。
(だけど冷静に判断しなけりゃ死んじまう。俺が、じゃねえ。二人が死ぬ!)
倒れ伏した二人。
片方ではアリュセが首から金属片を生やし、もう片方では風見が首から血を流している。
首からの出血は、危険だ。すぐにでも手当てをしなければ助からない。出雲は立ち上がり――
だが、それならばどちらを先に手当てすべきか?
そんな胸中に浮かんだ疑問に、意識をを絡め取られた。
時間的に見れば、先に斬られた風見の方を優先するべきだろう。
だがアリュセは肉体的に言えば小さな子供でしかない。体力、血液の量も大きくそれを裏切るということはないだろう。同条件ならアリュセは風見よりも早く失血によるショック死を迎える。
いや――
彼の勘が告げていた。おそらく、助けられるのは片方だけだ。
ずっと探し続けていた元の世界の想い人か、それともそれを一緒に探し続けてくれたこの島での友人か。
(俺は……俺は……!)
出雲は迷い、迷って、そして――
それを決断させたのは彼ではなかった。
ひゅぼっ、という空気が熱によって膨張する音。
慌てて出雲が屈む。その頭の上をアリュセの放った火球が通り過ぎていった。
「アリュセ……?」
喉元から鋼色の刃を生やし、口元からは鮮血を吐いて。
それでも少女の目は力を失っていなかった。睨むような視線を出雲に注いでいる。
それは、明確な拒絶の意思表示だ。自分ではなく、元の世界の知り合いを助けろと。
向けられた、貴すぎる自己犠牲の意志。それを向けられ、出雲は――
「……すまん、アリュセ」
「会話で時間を延ばすことを考えているなら無駄ですわよ? 即答しないなら、私たちは先の通りに行動するだけ」
BBが前衛に立ち、アリュセがそれを魔法で援護。出雲が風見の応急処置。
おそらく、そんなところがベストだろう。怪物と対峙して殺されずに済むのは装甲を纏う蒼い殺戮者のみ。
そして――その事実をその場に居る誰もが知っていて。
「じゃあ簡単だ。二対一にしよう」
だけど、その事実を一番良く理解しているのは他でもない怪物自身で。
バチン、と何かが弾ける音。薄く鋭い風切り音。
それを耳にして、三人はそれぞれ別の行動を取った。出雲は身構え、B.Bは最早間に合わないことに歯噛みし、
そして、アリュセは、
「――っ、ぁ……?」
喉から刃を生やして、その場に倒れ伏した。
スペツナズナイフ――柄の中に強化スプリングを仕込んだその特殊ナイフは、ボウガン並の速度で鋼鉄の刃を射出することができる。
射程はおよそ10メートル。ギリギリだったが、クレア・スタンフィールドは難なくその奇襲を成功させた。
そう――レイルトレーサーと対峙して"殺されずに済むのは"蒼い殺戮者のみ。
倒れ伏す少女をさめた視線で見つめながら、最強の殺し屋がつぶやく。
「ファンタジーは、硬くないな」
「……てっめえ――!」
再度激昂した出雲が踊りかかる。事実を忘れて、決して勝つことの出来ない怪物へと。
「返すぜ、これ」
クレアが腕を振るった。投擲されたスペツナズナイフの柄が出雲の顔面に直撃し、視界を奪う。
その一瞬の隙で、クレアは出雲との距離を零にしていた。逆の手に持っていたハンティングナイフが出雲の首筋に――
「させると、思うか!」
三度目の正直。
爆発的に膨れ上がる音の暴波。その場に存在する空気が、まるでその音に指揮されるかの如く踊り狂った。
刹那、蒼い影がクレア目掛けて疾る。これまでのものとは段違いの速度。
「――とっぉ!」
飛行用ブースターを吹かし、極限低空飛行を実施したBBがクレアに体当たりを敢行。助走も無しに自動歩兵を空へと持ち上げる超出力ブースターの突進である。
流石にこの一撃は予測しきれず、クレアは紙一重でかわすものの体勢を狂わせられる。
「空まで飛ぶのか! SFは節操がない!」
BBは突進が失敗に終わったと見るや否や機体に逆制動を掛けて急停止。
地面すれすれを飛ぶ曲芸飛行など危険極まりない。少しのベクトル変化が大事故に繋がる。二度と試す気は無い。
梳牙を片手に再び接近戦へと移行。攻守は完全に逆転。クレアが崩れた体勢を立て直す暇を与えないように計算して殴打を積み重ねる。相手の武装がこちらの装甲を貫けない以上、防御を気にする必要はない。
一方、突進の余波に吹き飛ばされたのは出雲も同じだった。
再び地面の上を転がり、そして立ち上がる。
(本当に――馬鹿か、俺は!)
だが分かっていても、目の前で親しい間柄の人間が二人も殺されてかけていて冷静になれる人間など存在するのか。
少なくとも自分はその類の人間ではない。
(だけど冷静に判断しなけりゃ死んじまう。俺が、じゃねえ。二人が死ぬ!)
倒れ伏した二人。
片方ではアリュセが首から金属片を生やし、もう片方では風見が首から血を流している。
首からの出血は、危険だ。すぐにでも手当てをしなければ助からない。出雲は立ち上がり――
だが、それならばどちらを先に手当てすべきか?
そんな胸中に浮かんだ疑問に、意識をを絡め取られた。
時間的に見れば、先に斬られた風見の方を優先するべきだろう。
だがアリュセは肉体的に言えば小さな子供でしかない。体力、血液の量も大きくそれを裏切るということはないだろう。同条件ならアリュセは風見よりも早く失血によるショック死を迎える。
いや――
彼の勘が告げていた。おそらく、助けられるのは片方だけだ。
ずっと探し続けていた元の世界の想い人か、それともそれを一緒に探し続けてくれたこの島での友人か。
(俺は……俺は……!)
出雲は迷い、迷って、そして――
それを決断させたのは彼ではなかった。
ひゅぼっ、という空気が熱によって膨張する音。
慌てて出雲が屈む。その頭の上をアリュセの放った火球が通り過ぎていった。
「アリュセ……?」
喉元から鋼色の刃を生やし、口元からは鮮血を吐いて。
それでも少女の目は力を失っていなかった。睨むような視線を出雲に注いでいる。
それは、明確な拒絶の意思表示だ。自分ではなく、元の世界の知り合いを助けろと。
向けられた、貴すぎる自己犠牲の意志。それを向けられ、出雲は――
「……すまん、アリュセ」
◇◇◇
「……すまん、アリュセ」
呟いて、ようやくこちらに背を向ける男を見て。
アリュセは溜息をつこうとして、だが気管を貫いた鋼鉄に邪魔されて咳き込んだ。
この結末は、どこかで予想していたものでもあった。
口の中一杯に広がる血の味を感じて、呻く。
カイルロッド。イルダーナフ。そしてリリア。この世界に拉致された自分の知り合いは、すでに全員が死んでいる。
後を追ってしまおうと考えたことはなかった。ウルト・ヒケウは、そこまで弱くない。
だが、それでも自分の死の瞬間を想像したことがないとはいえなかった。アリュセという少女は、そこまで強くない。
(そう……結局、私にはこの島で生き延びようとするために必要な、明確な目的が無くなってしまっていた)
行動するための目的。歩むための道標。それを失っていた。
それでも、自分が真に孤独でなかったのは。
だんだんと小さくなっていく男の背中。その光景が胸中にもたらすのは寂しさと僅かな痛痒。
それでも、それを見つめながらアリュセは小さく微笑んだ。
この絶望の島で、ずっと一緒だった馬鹿な男。
立派な体格をしていると思っていた。だけど、いま見るとその背中は驚くほど小さく見える。
あの背中に、自分は負ぶわれてきたようなものだ。
『別にいいじゃねえか? 縋るくらい』
そう。あの時かけて貰った言葉の通り、自分はあの背中に縋っていたのだろう。
だけど、あの背中は人ふたりを背負うには小さすぎる。
そして、あの背中は本来、自分のものではない。
だから、その背中は持ち主に返すべきだ。
(ですわよね、リリア……私も、貴女たちに会いたかったんですもの)
――それでも胸中の虚無は埋める事が出来ず。
孤独による寂寥のみを看取り手に、小さな少女は息絶えた。
呟いて、ようやくこちらに背を向ける男を見て。
アリュセは溜息をつこうとして、だが気管を貫いた鋼鉄に邪魔されて咳き込んだ。
この結末は、どこかで予想していたものでもあった。
口の中一杯に広がる血の味を感じて、呻く。
カイルロッド。イルダーナフ。そしてリリア。この世界に拉致された自分の知り合いは、すでに全員が死んでいる。
後を追ってしまおうと考えたことはなかった。ウルト・ヒケウは、そこまで弱くない。
だが、それでも自分の死の瞬間を想像したことがないとはいえなかった。アリュセという少女は、そこまで強くない。
(そう……結局、私にはこの島で生き延びようとするために必要な、明確な目的が無くなってしまっていた)
行動するための目的。歩むための道標。それを失っていた。
それでも、自分が真に孤独でなかったのは。
だんだんと小さくなっていく男の背中。その光景が胸中にもたらすのは寂しさと僅かな痛痒。
それでも、それを見つめながらアリュセは小さく微笑んだ。
この絶望の島で、ずっと一緒だった馬鹿な男。
立派な体格をしていると思っていた。だけど、いま見るとその背中は驚くほど小さく見える。
あの背中に、自分は負ぶわれてきたようなものだ。
『別にいいじゃねえか? 縋るくらい』
そう。あの時かけて貰った言葉の通り、自分はあの背中に縋っていたのだろう。
だけど、あの背中は人ふたりを背負うには小さすぎる。
そして、あの背中は本来、自分のものではない。
だから、その背中は持ち主に返すべきだ。
(ですわよね、リリア……私も、貴女たちに会いたかったんですもの)
――それでも胸中の虚無は埋める事が出来ず。
孤独による寂寥のみを看取り手に、小さな少女は息絶えた。
◇◇◇
馬鹿がこちらに走ってくるのを捉えられたのはふたつの幸運のお陰だ。
まずあの馬鹿が怪物に殺されなかったというのがひとつ。
そしてもうひとつは、さながらゾンビの如く自分の視覚が働いていたこと。
風見・千里は既に死人である――まだ意識が残っているというだけで。
(あの、馬鹿)
駆け寄ってくる出雲を見ながら、そんなことを呟く。
呟いたつもりだった。呟こうとしたつもりだった。だが実際に声は出たのか。それすらもう自分には分からない。
そう――もはや自分は助からない。
少なくとも自分の知る出雲・覚には救えない。
なら、ならばせめて。もうひとり、出雲と共に現れた少女の方を助けて欲しかった。
だがあの馬鹿はきっとそれをしない。
そしてその事実が嬉しくもある。
生存への希望は残されていない。だけどきっと自分はこの島の中では比較的幸福に死ねるのかもしれない。
大切な人に看取られて死ねるのだから。
【私が見えるかね、風見嬢】
だが、その弱気な思考を遮る様に赤い文字が視界をよぎった。
返事をしようとして、声がでないことを思い出す。幸い、文字は間を置くことなく続いた。
【ああ、無理に返答はしなくていい。ただ、少しだけ聞いてくれ】
そこで風見も気づいた。今の子爵には余裕がない。文字の綴り方も人が殴り書きをするのに近い。
そして、それを証明するように子爵が文を続けた。
【どうやら 私はもうすぐ死ぬらしい】
(そう……悪いわね、付きあわせちゃって)
どうやら表情筋くらいはまだ動くようだ。こちらの表情を読み取ったらしい子爵が取り繕うように文を綴る。
【何、君のような女性と共に逝けるならそれは光栄というものだよ……だが、私はその栄誉を受けるべきでない。せっかく君の想い人が来てくれたのだ。若い鴛鴦の番いを死に別れさせるというのは紳士的ではないな。むしろ縁結びを果たしてこそ、だ】
無駄な長文。人で言うならば、それは空元気と呼べるものなのかもしれない。
【淑女にこんな台詞を言うのは紳士的にどうかとも思うが】
一度、文章が途切れる。迷うかのような逡巡。
それは、以前その行為を促した少女の未来を知っているからだ。それを繰り返すことになりはしまいかと自分は悩んでいるからだ。
だが、それでも彼女は生きるべきだと思った。
【私を喰らいたまえ。それで君は生き延びることが出来る】
食鬼人化。
吸血鬼を喰らうことによってその力を手に入れることのできる儀式。
子爵は変り種とはいえ吸血鬼だ。その体を喰らえば、吸血鬼としての性質を手に入れることができる。この場合は、子爵の不死性を。
それでもこの傷から回復できるかは正直賭けでしかない。だが、どの道このままでは二人とも死ぬ。
【すまないが時間がない。吸血鬼になる、と聞いて想像されるようなリスクは殆ど無い、とだけ言っておく。生きたいのなら、早く……私が死ぬ前に。この身は灰にこそならぬだろうが、それでも死ねば残るまい】
そう文字を綴りながら、子爵は体の一部分を風見の口元に伸ばしていった。少し唇を開けば子爵の"体"が流れ込むだろう。
【決断するのは、君だ】
そう、最後に綴られる頃には。
風見はもう思考すら満足にできないほど衰弱していた。脳に血液が回らない。だから自我のある血液を飲むなどというおぞましい行為への嫌悪もない。
視界には、自分の傍に座りこんで何とか止血をしようとしている馬鹿の顔。
彼女は決断した。
まずあの馬鹿が怪物に殺されなかったというのがひとつ。
そしてもうひとつは、さながらゾンビの如く自分の視覚が働いていたこと。
風見・千里は既に死人である――まだ意識が残っているというだけで。
(あの、馬鹿)
駆け寄ってくる出雲を見ながら、そんなことを呟く。
呟いたつもりだった。呟こうとしたつもりだった。だが実際に声は出たのか。それすらもう自分には分からない。
そう――もはや自分は助からない。
少なくとも自分の知る出雲・覚には救えない。
なら、ならばせめて。もうひとり、出雲と共に現れた少女の方を助けて欲しかった。
だがあの馬鹿はきっとそれをしない。
そしてその事実が嬉しくもある。
生存への希望は残されていない。だけどきっと自分はこの島の中では比較的幸福に死ねるのかもしれない。
大切な人に看取られて死ねるのだから。
【私が見えるかね、風見嬢】
だが、その弱気な思考を遮る様に赤い文字が視界をよぎった。
返事をしようとして、声がでないことを思い出す。幸い、文字は間を置くことなく続いた。
【ああ、無理に返答はしなくていい。ただ、少しだけ聞いてくれ】
そこで風見も気づいた。今の子爵には余裕がない。文字の綴り方も人が殴り書きをするのに近い。
そして、それを証明するように子爵が文を続けた。
【どうやら 私はもうすぐ死ぬらしい】
(そう……悪いわね、付きあわせちゃって)
どうやら表情筋くらいはまだ動くようだ。こちらの表情を読み取ったらしい子爵が取り繕うように文を綴る。
【何、君のような女性と共に逝けるならそれは光栄というものだよ……だが、私はその栄誉を受けるべきでない。せっかく君の想い人が来てくれたのだ。若い鴛鴦の番いを死に別れさせるというのは紳士的ではないな。むしろ縁結びを果たしてこそ、だ】
無駄な長文。人で言うならば、それは空元気と呼べるものなのかもしれない。
【淑女にこんな台詞を言うのは紳士的にどうかとも思うが】
一度、文章が途切れる。迷うかのような逡巡。
それは、以前その行為を促した少女の未来を知っているからだ。それを繰り返すことになりはしまいかと自分は悩んでいるからだ。
だが、それでも彼女は生きるべきだと思った。
【私を喰らいたまえ。それで君は生き延びることが出来る】
食鬼人化。
吸血鬼を喰らうことによってその力を手に入れることのできる儀式。
子爵は変り種とはいえ吸血鬼だ。その体を喰らえば、吸血鬼としての性質を手に入れることができる。この場合は、子爵の不死性を。
それでもこの傷から回復できるかは正直賭けでしかない。だが、どの道このままでは二人とも死ぬ。
【すまないが時間がない。吸血鬼になる、と聞いて想像されるようなリスクは殆ど無い、とだけ言っておく。生きたいのなら、早く……私が死ぬ前に。この身は灰にこそならぬだろうが、それでも死ねば残るまい】
そう文字を綴りながら、子爵は体の一部分を風見の口元に伸ばしていった。少し唇を開けば子爵の"体"が流れ込むだろう。
【決断するのは、君だ】
そう、最後に綴られる頃には。
風見はもう思考すら満足にできないほど衰弱していた。脳に血液が回らない。だから自我のある血液を飲むなどというおぞましい行為への嫌悪もない。
視界には、自分の傍に座りこんで何とか止血をしようとしている馬鹿の顔。
彼女は決断した。
◇◇◇
そして、その瞬間。
ぐしゃり、と。
風見の顔があった部分が、男物の革靴に占拠されていた。
それはつまり、彼女の頭部が踏み砕かれたということで。
脳を失ってしまえば、人は即死して。
それはつまり、彼女の頭部が踏み砕かれたということで。
脳を失ってしまえば、人は即死して。
突然の事態に、出雲は驚くことさえできない。
自分でも分かるほどの間抜け面で、その革靴の主を辿る。
仰ぎ見れば、そこにはにっこりと満点の笑みを浮かべるクレア・スタンフィールドが。
「二度あることは――」
殺し屋は自動歩兵を殺せない。
そして、それと同じくらいブルー・ブレイカーではクレア・スタンフィールドを止められない。
「三度あるってことさ」
踏みにじられた脳漿が飛び散り、出雲の頬に濡れた感触を与えた。
【貴様――!】
その飛び散った赤い液体の中から乖離するが如く、激昂状態の人間が綴ったような荒々しい筆跡が浮かぶ。
だがそれは一瞬で形を失った。ぱしゃり、という水音を最後に、もう動こうともしない。
死したのか、それとも最早動くことすら出来ないのか――液状の吸血鬼の生死など、出雲には分からなかったが。
「あ……あ?」
怒号を上げるべきだ。叫んで哀悼を捧げるべきだ。
だが、できない。空気は声帯を素通りして霧散。出雲・覚は掠れた声を断続的に吐き出す。
「お前の女か。まあ、どっちでもいいが」
その様子を見て、クレアは笑った。
もしかしたらその笑いに激昂して自分は飛び掛ったのかもしれない。掴みかかったのかもしれない。
だがどちらにしても同じことだっただろう。次の瞬間には顎を爪先で蹴り抜かれ、出雲は三度地面に転がされていた。
加護がなければ顎の骨が砕けていただろう。もしかしたらその砕けた骨が脊髄を断っていたかも知れない。
そうなればよかった。出雲は思う。死ねば良かった。無事だったからこそ、動けもしないのに相手の言葉だけが一方的にこちらを突き刺してくる。
「守れなかったのはお前が弱かったからだ。目の前にいたのに、お前が弱かったせいでてめえの女も守れない」
クレア・スタンフィールドのその言葉にはどこか悔恨が滲んでいる。
だが出雲にとってそれは知るところではない。ただ、その言葉は正論のように感じた。
むざむざ目の前で、自分の女を殺されている。何故? それは何故?
自分でも分かるほどの間抜け面で、その革靴の主を辿る。
仰ぎ見れば、そこにはにっこりと満点の笑みを浮かべるクレア・スタンフィールドが。
「二度あることは――」
殺し屋は自動歩兵を殺せない。
そして、それと同じくらいブルー・ブレイカーではクレア・スタンフィールドを止められない。
「三度あるってことさ」
踏みにじられた脳漿が飛び散り、出雲の頬に濡れた感触を与えた。
【貴様――!】
その飛び散った赤い液体の中から乖離するが如く、激昂状態の人間が綴ったような荒々しい筆跡が浮かぶ。
だがそれは一瞬で形を失った。ぱしゃり、という水音を最後に、もう動こうともしない。
死したのか、それとも最早動くことすら出来ないのか――液状の吸血鬼の生死など、出雲には分からなかったが。
「あ……あ?」
怒号を上げるべきだ。叫んで哀悼を捧げるべきだ。
だが、できない。空気は声帯を素通りして霧散。出雲・覚は掠れた声を断続的に吐き出す。
「お前の女か。まあ、どっちでもいいが」
その様子を見て、クレアは笑った。
もしかしたらその笑いに激昂して自分は飛び掛ったのかもしれない。掴みかかったのかもしれない。
だがどちらにしても同じことだっただろう。次の瞬間には顎を爪先で蹴り抜かれ、出雲は三度地面に転がされていた。
加護がなければ顎の骨が砕けていただろう。もしかしたらその砕けた骨が脊髄を断っていたかも知れない。
そうなればよかった。出雲は思う。死ねば良かった。無事だったからこそ、動けもしないのに相手の言葉だけが一方的にこちらを突き刺してくる。
「守れなかったのはお前が弱かったからだ。目の前にいたのに、お前が弱かったせいでてめえの女も守れない」
クレア・スタンフィールドのその言葉にはどこか悔恨が滲んでいる。
だが出雲にとってそれは知るところではない。ただ、その言葉は正論のように感じた。
むざむざ目の前で、自分の女を殺されている。何故? それは何故?
思考を断ち切るように風切り音。クレアに追いついたBBが梳牙を振るうが、それが掠りもしない事はすでに十分すぎるほど証明されている。
悔しさに歯がみするという無駄な機能を自動歩兵が搭載しているわけもないが、それでもBBは思わずにはいられなかった。
フレシェットライフルが、せめて内蔵のスタンロッドが残されていれば。
ここまでの無様は晒さなかった。この男を殺せて、風見千里やさきほどの少女は死ななくて、そして彼自身の片翼ももしかしたら――
だが所詮、それは無い物ねだりにすぎない。
クレアは最後に、地面に転がったままの出雲に嘲笑した。
「お前は次に会うまで生かしておいてやる――俺の絶望の万分の一でも味わえ」
そんな言葉を置き土産にして。
見もせずに木刀の一撃を飛び退いて回避したクレア・スタンフィールドは、そのまま森の中に逃げ込んでいった。
鬱蒼と木々が立ち込める中、巨体のBBでは追跡できない。それを理解しているのだろう。BBは無機質な光学センサーで逃走した方向を見つめこそしたが、それ以上は何もしない。
その場に残ったのは二人だけ。倒れ伏した出雲と、立ち尽くすブルー・ブレイカー。
「出雲――出雲・覚か。風見・千里の知り合いの」
状況から推察して、蒼い殺戮者が沈黙を破る。
出雲は答えない。いや、答えられない。顎の痛みは退き始めたが、それでも何を話せというのか。
再び、沈黙。どう話を続ければいいのか分からないのはBBも同じだ。
あまりにも突然すぎる。あの怪物が僅か数分のうちに彼らの世界から奪っていたものが莫大過ぎた。
だから、何をすればいいのかすら分からない。出雲は土の上に転がったまま、BBはその青年の様をじっと見つめる。
風が、吹いた。二人分の新鮮な血の匂いが、流動する。
長くここにいるのは、あまり推奨できる行為ではない。
「――なにか、できることはあるか」
BBの口をついてでたのは、そんな言葉。
そしてその言葉に出雲は反応した。表情は浮かべぬまま、ただぽつりと呟く。
「……穴を掘ってくれ」
「穴? 埋葬か?」
「ああ、俺はもう、駄目だ。無理だ。そんなものは掘りたくない」
その時、唐突にBBは気づいた。
この男が蹴飛ばされたまま起き上がらないのは、なにも見たくないからだ。立ち上がれば視界は広がる。状況を再度認識しなければならない。それを出雲・覚は頑なに拒否している。
「俺はもう――穴なんか、掘りたくない」
脳震盪で万華鏡のように歪む意識と視界。それを味わいながら、どこか曖昧な言葉を出雲は口にする。
悔しさに歯がみするという無駄な機能を自動歩兵が搭載しているわけもないが、それでもBBは思わずにはいられなかった。
フレシェットライフルが、せめて内蔵のスタンロッドが残されていれば。
ここまでの無様は晒さなかった。この男を殺せて、風見千里やさきほどの少女は死ななくて、そして彼自身の片翼ももしかしたら――
だが所詮、それは無い物ねだりにすぎない。
クレアは最後に、地面に転がったままの出雲に嘲笑した。
「お前は次に会うまで生かしておいてやる――俺の絶望の万分の一でも味わえ」
そんな言葉を置き土産にして。
見もせずに木刀の一撃を飛び退いて回避したクレア・スタンフィールドは、そのまま森の中に逃げ込んでいった。
鬱蒼と木々が立ち込める中、巨体のBBでは追跡できない。それを理解しているのだろう。BBは無機質な光学センサーで逃走した方向を見つめこそしたが、それ以上は何もしない。
その場に残ったのは二人だけ。倒れ伏した出雲と、立ち尽くすブルー・ブレイカー。
「出雲――出雲・覚か。風見・千里の知り合いの」
状況から推察して、蒼い殺戮者が沈黙を破る。
出雲は答えない。いや、答えられない。顎の痛みは退き始めたが、それでも何を話せというのか。
再び、沈黙。どう話を続ければいいのか分からないのはBBも同じだ。
あまりにも突然すぎる。あの怪物が僅か数分のうちに彼らの世界から奪っていたものが莫大過ぎた。
だから、何をすればいいのかすら分からない。出雲は土の上に転がったまま、BBはその青年の様をじっと見つめる。
風が、吹いた。二人分の新鮮な血の匂いが、流動する。
長くここにいるのは、あまり推奨できる行為ではない。
「――なにか、できることはあるか」
BBの口をついてでたのは、そんな言葉。
そしてその言葉に出雲は反応した。表情は浮かべぬまま、ただぽつりと呟く。
「……穴を掘ってくれ」
「穴? 埋葬か?」
「ああ、俺はもう、駄目だ。無理だ。そんなものは掘りたくない」
その時、唐突にBBは気づいた。
この男が蹴飛ばされたまま起き上がらないのは、なにも見たくないからだ。立ち上がれば視界は広がる。状況を再度認識しなければならない。それを出雲・覚は頑なに拒否している。
「俺はもう――穴なんか、掘りたくない」
脳震盪で万華鏡のように歪む意識と視界。それを味わいながら、どこか曖昧な言葉を出雲は口にする。
そして、第四回目の放送が始まった。
この場で死した、三名の名を含むであろう放送が。
この場で死した、三名の名を含むであろう放送が。
【045 ゲルハルト・フォン・バルシュタイン(子爵) 死亡】
【074 風見・千里 死亡】
【104 アリュセ 死亡】
【074 風見・千里 死亡】
【104 アリュセ 死亡】
【残り 26名】
【B-6/森/2日目/00:00】
『亡失者たち』
【出雲・覚】
[状態]:脳震盪 左腕に銃創(止血済) 激しい喪失感 倦怠感
[装備]:エロ本5冊
[道具]:支給品一式(パン4食分・水1500ml)/炭化銃/うまか棒50本セット
[思考]:何もかもどうでもいい
[状態]:脳震盪 左腕に銃創(止血済) 激しい喪失感 倦怠感
[装備]:エロ本5冊
[道具]:支給品一式(パン4食分・水1500ml)/炭化銃/うまか棒50本セット
[思考]:何もかもどうでもいい
【 蒼い殺戮者 (ブルー・ブレイカー)】
[状態]:精神的にやや不安定/少々の弾痕はあるが、今のところ身体機能に異常はない
[装備]: 梳牙 (くしけずるきば)、エンブリオ
[道具]:なし(地図、名簿は記録装置にデータ保存)
[思考]:不明/三者の埋葬。/火乃香の捜索?
/脱出のために必要な行動は全て行う心積もり?
[状態]:精神的にやや不安定/少々の弾痕はあるが、今のところ身体機能に異常はない
[装備]: 梳牙 (くしけずるきば)、エンブリオ
[道具]:なし(地図、名簿は記録装置にデータ保存)
[思考]:不明/三者の埋葬。/火乃香の捜索?
/脱出のために必要な行動は全て行う心積もり?
※アリュセの死体にスペツナズナイフ(刃のみ)が刺さっています。
※B-6森にスペツナズナイフ(柄のみ)が落ちています。
※B-6森にスペツナズナイフ(柄のみ)が落ちています。
【クレア・スタンフィールド】
[状態]:健康。激しい怒り
[装備]:大型ハンティングナイフ(片方に瑕多数、もう片方は比較的まし)x2
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水2000ml)、コミクロンが残したメモ
[思考]:この世界のすべてを破壊し尽くす/EDをCDと誤認
“ホノカ”と“ED”に対する復讐(似た名称は誤認する可能性あり)
シャーネの遺体が朽ちる前に元の世界に帰る。
/B.Bを破壊できる武器・手段の捜索。
[備考]:コミクロンが残したメモを、シャーネが書いたものと考えています。
シャーネの遺体を背負っています。
BBを火星兵器の類と勘違いしています。
[状態]:健康。激しい怒り
[装備]:大型ハンティングナイフ(片方に瑕多数、もう片方は比較的まし)x2
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水2000ml)、コミクロンが残したメモ
[思考]:この世界のすべてを破壊し尽くす/EDをCDと誤認
“ホノカ”と“ED”に対する復讐(似た名称は誤認する可能性あり)
シャーネの遺体が朽ちる前に元の世界に帰る。
/B.Bを破壊できる武器・手段の捜索。
[備考]:コミクロンが残したメモを、シャーネが書いたものと考えています。
シャーネの遺体を背負っています。
BBを火星兵器の類と勘違いしています。