第581話:彷徨傭兵 作:◆5Mp/UnDTiI
「本当に行かないのか?」
隻腕の少年が、もう一度同じ問いを口にする。
さきほどから状況は何も変わっていない。誰とも遭遇せず、何か異変を見つけたわけでもない。
城でいったん休息をとり、そして再び同じ面子で島を歩き回っている。
変わったものといえば時計の針の位置だけだった。短い方が十一、長い方が八を指している。
だがその程度の時間は、悠久を生きる『彼女』にとっては瞬きをしている内に過ぎ去ってしまうような時間だ。
返答は、変わらない。
「行かぬよ。それと、しつこい男は嫌われるぞ。のう、かなめや?」
「……なんであたしに振るんですか?」
「懇切丁寧に説明しても良いが?」
「――いいえ、遠慮しておきますっ……!」
状況は、変わらない。
相良宗介の左腕は相変わらず失われたままで、彼は少女を守るために強者の後を追う。
千鳥かなめは、ただ宗介についていく。
アシュラムは一言も発さぬまま、美姫の後を追っている。
そして美姫は、ただふらふらと気の向くままに歩き回っている。
(――いや、一応の目的はあるのか)
アシュラムは気づいていた。ただひとり会話に参加せずにいたため、思考に割く時間にはことかかない。
数時間前に放送があった。ただし死者をつたえる陰鬱な放送ではなく、希望をもたらそうとする宣告が。
内容を簡潔にまとめると、このゲームに対する宣戦布告。それとともに脱出のための仲間を集める呼びかけ。
罠かどうかはわからない。考察はいくらでもできる。実際に行ってみなければ、真実はわからない。
その放送を聞いて、城から出発した後、最初に美姫へ意見したのは隻腕の少年――相良宗介だった。
先ほどから繰り返しているように、とりあえず接触してみようという提案。
少年はあの集団にいい感情を抱いていない。それは先刻の相対からアシュラムも察していた。
だが、彼は同行者である少女を守ろうとしている。おそらく、そこからきた安全策なのだろう。
あの放送によって、他の参加者の多くはあの集団を目指すはず。同盟目的にしても、殲滅目的にしても。
そして敵対する者を打ち倒し、庇護を求めるものを取り込み、そうしてあの集団が大きいものになったとしたら、この吸血鬼は目の敵にされる可能性が高い。
アシュラムは別段、自分以外の美姫の同行者である二人に対して特別な感情を抱いてはいない。
それでもその意見に反対するとこはなかったし、あの吸血鬼ならば首を突っ込むだろうと思っていた。
だが予想に反して、美姫は首を振った。縦ではなく、横に。
そして、それからは放送があった地点――C-6の周囲をゆっくりとしたペースで歩くに留まっていた。
おそらく、少年を焦らして楽しんでいるのだろう。その証拠に、少年はどこか落ち着かない風で意見を繰り返している。
(だが――奇妙だ)
焦らして楽しんでいる。それはそうだろう。美姫が優先するのは己の娯楽であり、それ以外の何者でもない。
だが、ならば放送をした集団に接触する方を選ぶのではないだろうか。
あれほど大々的な宣言をした集団だ。これから何か大きな動きがあるであろうことは容易に予想できる。
この吸血鬼風に言えばそちらの方が面白いだろう。
確証はない。もしかしたら集団に接触しようとした他者を掻き乱すつもりなのかもしれないし、それこそただの気まぐれなのかもしれない。
それでもやはりただ延々と歩き続ける美姫を、アシュラムはらしくないと感じていた。
(……まあ、いい)
それまでの思考を切り捨て、アシュラムは胸中さえも沈黙させる。
状況は変わらない。ならば、自分はただ自分の意志に従って美姫のあとを追うだけだ。
隻腕の少年が、もう一度同じ問いを口にする。
さきほどから状況は何も変わっていない。誰とも遭遇せず、何か異変を見つけたわけでもない。
城でいったん休息をとり、そして再び同じ面子で島を歩き回っている。
変わったものといえば時計の針の位置だけだった。短い方が十一、長い方が八を指している。
だがその程度の時間は、悠久を生きる『彼女』にとっては瞬きをしている内に過ぎ去ってしまうような時間だ。
返答は、変わらない。
「行かぬよ。それと、しつこい男は嫌われるぞ。のう、かなめや?」
「……なんであたしに振るんですか?」
「懇切丁寧に説明しても良いが?」
「――いいえ、遠慮しておきますっ……!」
状況は、変わらない。
相良宗介の左腕は相変わらず失われたままで、彼は少女を守るために強者の後を追う。
千鳥かなめは、ただ宗介についていく。
アシュラムは一言も発さぬまま、美姫の後を追っている。
そして美姫は、ただふらふらと気の向くままに歩き回っている。
(――いや、一応の目的はあるのか)
アシュラムは気づいていた。ただひとり会話に参加せずにいたため、思考に割く時間にはことかかない。
数時間前に放送があった。ただし死者をつたえる陰鬱な放送ではなく、希望をもたらそうとする宣告が。
内容を簡潔にまとめると、このゲームに対する宣戦布告。それとともに脱出のための仲間を集める呼びかけ。
罠かどうかはわからない。考察はいくらでもできる。実際に行ってみなければ、真実はわからない。
その放送を聞いて、城から出発した後、最初に美姫へ意見したのは隻腕の少年――相良宗介だった。
先ほどから繰り返しているように、とりあえず接触してみようという提案。
少年はあの集団にいい感情を抱いていない。それは先刻の相対からアシュラムも察していた。
だが、彼は同行者である少女を守ろうとしている。おそらく、そこからきた安全策なのだろう。
あの放送によって、他の参加者の多くはあの集団を目指すはず。同盟目的にしても、殲滅目的にしても。
そして敵対する者を打ち倒し、庇護を求めるものを取り込み、そうしてあの集団が大きいものになったとしたら、この吸血鬼は目の敵にされる可能性が高い。
アシュラムは別段、自分以外の美姫の同行者である二人に対して特別な感情を抱いてはいない。
それでもその意見に反対するとこはなかったし、あの吸血鬼ならば首を突っ込むだろうと思っていた。
だが予想に反して、美姫は首を振った。縦ではなく、横に。
そして、それからは放送があった地点――C-6の周囲をゆっくりとしたペースで歩くに留まっていた。
おそらく、少年を焦らして楽しんでいるのだろう。その証拠に、少年はどこか落ち着かない風で意見を繰り返している。
(だが――奇妙だ)
焦らして楽しんでいる。それはそうだろう。美姫が優先するのは己の娯楽であり、それ以外の何者でもない。
だが、ならば放送をした集団に接触する方を選ぶのではないだろうか。
あれほど大々的な宣言をした集団だ。これから何か大きな動きがあるであろうことは容易に予想できる。
この吸血鬼風に言えばそちらの方が面白いだろう。
確証はない。もしかしたら集団に接触しようとした他者を掻き乱すつもりなのかもしれないし、それこそただの気まぐれなのかもしれない。
それでもやはりただ延々と歩き続ける美姫を、アシュラムはらしくないと感じていた。
(……まあ、いい)
それまでの思考を切り捨て、アシュラムは胸中さえも沈黙させる。
状況は変わらない。ならば、自分はただ自分の意志に従って美姫のあとを追うだけだ。
◇◇◇
状況は変わらない。状況を変えたくない。
美姫は歩いていた。ただ、歩いていた。
外面にこそ出さなかったが、その心中は穏やかとは言いがたい。
相良宗介や千鳥かなめで遊ぶことで誤魔化しているが、その焦燥にも似た感情は募るばかりだった。
(まったく、らしくない)
自分でも、そう思う。
彼女は生まれてこの方、したいようにしてきた。
欲しいものがあるのならば手に入れた。気に入らないものがあったのなら壊した。そうして生きてきた。
ただ――数少ないが、それができなかったこともあった。
彼女のものにならず、あまつさえ歯向かい、そして彼女を退けた存在。
それが、この島にある。
単身で自分に刃向かった男だ。おそらくこのゲームにも乗ってはいまい。
ならば、おそらく例の放送を行った集団に属しているだろう。あるいは、加わろうとするだろう。
仮に罠だとしても、あの男を打ち破ることのできる存在などありはしない。
さて、そして――自分はどうしたいのだろうか?
あの男はすぐ手の届く場所にいるともいえるし、永遠に手の届かないところにあるともいえる。
(会わせる顔は、文字通りない……か)
醜くただれた半顔を撫でながら、胸中で呟く。
この無粋な刻印によってもたらされる渇きは、おそらくアレと会ってしまえばどこまでも自分を衝き動かすだろう。
牙をあの美麗な首筋に打ち込むことを、いまの自分は自制できるか?
おそらく、無理だ。そしてそんな支配を自分は望んでいるわけではない。
だから会えなかった。会えば、自分は矜持を喪失するだろうから。
だが、ならば自分はなぜこんなところを何時間もうろうろと彷徨っている?
(――だとしたら本当にらしくないではないか、ええ?)
自嘲しながら、それでも彷徨うことはやめられない。
放送時間までは、待つ。そう決めていた。
そこで明かされる死者数によっては、あの集団と接触する以外の選択肢はなくなってしまうかもしれない。
自分はそれを忌避しているのか。あるいは、待ち望んでいるのか。
彼女は飢えていた。
『刻印』による制限は彼女の自制心を蝕んでいた。
身と喉が無性に乾き、本来なら耐えられる筈の誘惑にその身を焦がしていたのだ。
美姫は心のどこかで焦燥していた。お世辞にも精神状態はよくなかった。
そんな最悪の状態で、彼女は彷徨っていた。
美姫は歩いていた。ただ、歩いていた。
外面にこそ出さなかったが、その心中は穏やかとは言いがたい。
相良宗介や千鳥かなめで遊ぶことで誤魔化しているが、その焦燥にも似た感情は募るばかりだった。
(まったく、らしくない)
自分でも、そう思う。
彼女は生まれてこの方、したいようにしてきた。
欲しいものがあるのならば手に入れた。気に入らないものがあったのなら壊した。そうして生きてきた。
ただ――数少ないが、それができなかったこともあった。
彼女のものにならず、あまつさえ歯向かい、そして彼女を退けた存在。
それが、この島にある。
単身で自分に刃向かった男だ。おそらくこのゲームにも乗ってはいまい。
ならば、おそらく例の放送を行った集団に属しているだろう。あるいは、加わろうとするだろう。
仮に罠だとしても、あの男を打ち破ることのできる存在などありはしない。
さて、そして――自分はどうしたいのだろうか?
あの男はすぐ手の届く場所にいるともいえるし、永遠に手の届かないところにあるともいえる。
(会わせる顔は、文字通りない……か)
醜くただれた半顔を撫でながら、胸中で呟く。
この無粋な刻印によってもたらされる渇きは、おそらくアレと会ってしまえばどこまでも自分を衝き動かすだろう。
牙をあの美麗な首筋に打ち込むことを、いまの自分は自制できるか?
おそらく、無理だ。そしてそんな支配を自分は望んでいるわけではない。
だから会えなかった。会えば、自分は矜持を喪失するだろうから。
だが、ならば自分はなぜこんなところを何時間もうろうろと彷徨っている?
(――だとしたら本当にらしくないではないか、ええ?)
自嘲しながら、それでも彷徨うことはやめられない。
放送時間までは、待つ。そう決めていた。
そこで明かされる死者数によっては、あの集団と接触する以外の選択肢はなくなってしまうかもしれない。
自分はそれを忌避しているのか。あるいは、待ち望んでいるのか。
彼女は飢えていた。
『刻印』による制限は彼女の自制心を蝕んでいた。
身と喉が無性に乾き、本来なら耐えられる筈の誘惑にその身を焦がしていたのだ。
美姫は心のどこかで焦燥していた。お世辞にも精神状態はよくなかった。
そんな最悪の状態で、彼女は彷徨っていた。
◇◇◇
状況は変わらない。できれば変わって欲しいけど、この場でそんな奇跡は望めない。
千鳥かなめは歩いていた。心配しながら歩いていた。
彼女の心配事は、無論相良宗介のことだ。
同じ世界から連れられてきた最後の知り合い――いや、彼女にとって彼はそれ以上の意味を持つ。
だからこそかなめは宗介のことを心配したし、また心配することもできる。傭兵の胸中に、どんな感情が蟠っているのか見透かせる。
(ソースケの奴、無理しちゃって……)
これまで戦争馬鹿だと罵ってきたが、それは撤回しよう。こいつはただの馬鹿だ。
先ほどの放送は、テッサの死の原因となった人物の声だった。
無論、かなめ自身もダナティアに対していい感情は抱いていない。
だがそれ以上に、相良宗介はダナティアを嫌悪しているだろう。
それでも宗介は行こうという。おそらくは、千鳥かなめを守るために。自分を押し殺してまで。
(ちゃんと嫌だっていったのに。ほんと馬鹿なんだから……)
かなめはちらりと宗介の左腕に――左腕があったところに視線をやった。
いまは、なにもない。処置は完璧にされているが、それでもなにもない。
幸か不幸か、彼女はこの島に来る前からドンパチに巻き込まれることが多々あった。
だから、わかる。兵士にとって、片腕を失うということがどれだけの喪失か、理解できる。
――いや、兵士にとって、というだけではない。体の一部を失うというのは、誰だってつらい事だ。
だというのに、そんな状況の中でさえ宗介は自身を一番に考えていない。
繰り返す。相良宗介はただの馬鹿だ。大馬鹿者だ。
だから、自分がフォローしよう。かなめは胸中で繰り返す。
こんな馬鹿に守られてばかりは癪ではないか。彼の左腕に自分はなろう。彼の足りない部分を補おう。
彼女の姉御肌ぶりが発揮された、というわけではない。
――ただ、想い人をこれ以上ぼろぼろにはしたくなかったのだ。
千鳥かなめは歩いていた。心配しながら歩いていた。
彼女の心配事は、無論相良宗介のことだ。
同じ世界から連れられてきた最後の知り合い――いや、彼女にとって彼はそれ以上の意味を持つ。
だからこそかなめは宗介のことを心配したし、また心配することもできる。傭兵の胸中に、どんな感情が蟠っているのか見透かせる。
(ソースケの奴、無理しちゃって……)
これまで戦争馬鹿だと罵ってきたが、それは撤回しよう。こいつはただの馬鹿だ。
先ほどの放送は、テッサの死の原因となった人物の声だった。
無論、かなめ自身もダナティアに対していい感情は抱いていない。
だがそれ以上に、相良宗介はダナティアを嫌悪しているだろう。
それでも宗介は行こうという。おそらくは、千鳥かなめを守るために。自分を押し殺してまで。
(ちゃんと嫌だっていったのに。ほんと馬鹿なんだから……)
かなめはちらりと宗介の左腕に――左腕があったところに視線をやった。
いまは、なにもない。処置は完璧にされているが、それでもなにもない。
幸か不幸か、彼女はこの島に来る前からドンパチに巻き込まれることが多々あった。
だから、わかる。兵士にとって、片腕を失うということがどれだけの喪失か、理解できる。
――いや、兵士にとって、というだけではない。体の一部を失うというのは、誰だってつらい事だ。
だというのに、そんな状況の中でさえ宗介は自身を一番に考えていない。
繰り返す。相良宗介はただの馬鹿だ。大馬鹿者だ。
だから、自分がフォローしよう。かなめは胸中で繰り返す。
こんな馬鹿に守られてばかりは癪ではないか。彼の左腕に自分はなろう。彼の足りない部分を補おう。
彼女の姉御肌ぶりが発揮された、というわけではない。
――ただ、想い人をこれ以上ぼろぼろにはしたくなかったのだ。
◇◇◇
状況が変化した。それも悪い方向に。
「――参ったな。まさか零崎君がやられるとは」
何とはなしに夜空など仰ぎながら、佐山・御言が呟く。
淑芳と零崎の戦いの様子は、ムキチを通して伝わっていた。
伝わってくる状況や言葉の端々等からどうやら零崎が優勢で、しかも約束通り殺人を犯さないようにしていることは分かっていた。
だから静観していたのだが――結果として零崎人識は敗北している。
「まあこんな不自然な環境なのだし、何が起こっても不思議は無いがね――死なずにいてくれたのは本当に幸いだった」
ふぅ、と知らぬ内に肺腑を限界まで膨張させていた呼気を吐き出す。
零崎が行動不能になった場合の取り決めをエルメスとしていたのは不幸中の幸いだろう。
喋る二輪が草の獣を通して語った情報はふたつ。彼らの居場所と、そして相手の容姿。
まず、零崎は何かで拘束されて井戸に放り込まれた。
(死体をわざわざ縛るようなことはしないだろう。ならば、おそらく零崎君は生きている。
……相手がネクロフィリアでもない限りは、だが)
それでも生きている可能性は高いだろうし、どちらにしても確認はしなくてはならない。
そしてエルメスと草の獣は遊園地らしき場所に置き去りにされている。地図上でいうならばF-1の辺りか。
こちらは草の獣がいる限り場所を把握できるが、零崎の方はそうもいかない。
まあ、井戸の中ならば殺人鬼に襲われる可能性も低いだろうが――
(しかし奇妙だ。零崎君の要求を断り、なおかつ彼に勝利した上で殺しはしない。
ふむ。どうにも行動の原理が見えてこない)
相手は簡単に殺せる筈の零崎を殺さなかった。つまり優勝目的ではない。
ならば脱出目的か。だが仲間になる選択肢は放棄し、仮に単独での脱出が目的なら殺人は厭わないはず。
(あるいは狂人という線もあるな。冷静に見えたが――外面だけということか?)
そして、またあるいは――
(私と同じ、か。彼女が"悪役"に徹しているならば、何とかして上手くやりたいところだが)
悪役をこなすにしても、彼女のやり方では遠からずその身を滅ぼすだろう。
現に今回だって、零崎人識が佐山と約束を結んでいなければ彼女は死んでいた。
――なんにせよ、零崎君とは早めに合流しなくてはな。
とりあえずの方針を定め、佐山は倉庫の外壁に立てかけておいたG-Sp2を手にした。
そのまま藤花に呼びかけるでもなく、ドン、とドアに背を預け、
「さて、交渉を始めようか――まずはそちらの名前をお聞かせ願いたい」
現れた四人の来訪者たちを迎えた。
「――参ったな。まさか零崎君がやられるとは」
何とはなしに夜空など仰ぎながら、佐山・御言が呟く。
淑芳と零崎の戦いの様子は、ムキチを通して伝わっていた。
伝わってくる状況や言葉の端々等からどうやら零崎が優勢で、しかも約束通り殺人を犯さないようにしていることは分かっていた。
だから静観していたのだが――結果として零崎人識は敗北している。
「まあこんな不自然な環境なのだし、何が起こっても不思議は無いがね――死なずにいてくれたのは本当に幸いだった」
ふぅ、と知らぬ内に肺腑を限界まで膨張させていた呼気を吐き出す。
零崎が行動不能になった場合の取り決めをエルメスとしていたのは不幸中の幸いだろう。
喋る二輪が草の獣を通して語った情報はふたつ。彼らの居場所と、そして相手の容姿。
まず、零崎は何かで拘束されて井戸に放り込まれた。
(死体をわざわざ縛るようなことはしないだろう。ならば、おそらく零崎君は生きている。
……相手がネクロフィリアでもない限りは、だが)
それでも生きている可能性は高いだろうし、どちらにしても確認はしなくてはならない。
そしてエルメスと草の獣は遊園地らしき場所に置き去りにされている。地図上でいうならばF-1の辺りか。
こちらは草の獣がいる限り場所を把握できるが、零崎の方はそうもいかない。
まあ、井戸の中ならば殺人鬼に襲われる可能性も低いだろうが――
(しかし奇妙だ。零崎君の要求を断り、なおかつ彼に勝利した上で殺しはしない。
ふむ。どうにも行動の原理が見えてこない)
相手は簡単に殺せる筈の零崎を殺さなかった。つまり優勝目的ではない。
ならば脱出目的か。だが仲間になる選択肢は放棄し、仮に単独での脱出が目的なら殺人は厭わないはず。
(あるいは狂人という線もあるな。冷静に見えたが――外面だけということか?)
そして、またあるいは――
(私と同じ、か。彼女が"悪役"に徹しているならば、何とかして上手くやりたいところだが)
悪役をこなすにしても、彼女のやり方では遠からずその身を滅ぼすだろう。
現に今回だって、零崎人識が佐山と約束を結んでいなければ彼女は死んでいた。
――なんにせよ、零崎君とは早めに合流しなくてはな。
とりあえずの方針を定め、佐山は倉庫の外壁に立てかけておいたG-Sp2を手にした。
そのまま藤花に呼びかけるでもなく、ドン、とドアに背を預け、
「さて、交渉を始めようか――まずはそちらの名前をお聞かせ願いたい」
現れた四人の来訪者たちを迎えた。
◇◇◇
「不躾な輩じゃな。名を尋ねるのならば、まずはそちらから名乗るべきではないか?」
「これは失礼した。ただこういう使い古されたやりとりも時にはしてみたかったものでね。
では改めて、私の名は佐山・御言。このゲームを忌み、終わらせようとする者だ」
月光の下、佐山と美姫は対峙していた。
アシュラムは美姫の斜め後ろ――二人の間に飛び込める位置で青龍偃月刀を構えている。
宗介と千鳥はさらにその後方。宗介が千鳥を庇い、アシュラムの背に隠れるようにして状況の推移を見守っていた。
今のところ、名乗りあった二人の態度に剣呑なものは見えない。
だが美姫の後ろに控える三人は、この吸血鬼の気まぐれさを知っていた。
瞬きを一回する間に目の前の佐山と名乗った優男の首が飛ぶかもしれない。
そんな警戒を他所に、美姫は恭しく頭を下げる佐山を値踏みするように眺めていた。
「礼儀は、それなりにわきまえておるようじゃの」
「無論だ。礼儀正しさは私の存在証明だよ。『礼儀正しい、故にそれは紳士佐山である』
……む、即興のせいかあまり語呂はよくないね」
「どうやら見込み違いじゃったようじゃ」
呆れたように、美姫。
そして――ふと思いついたかのように、ぽつりと尋ねた。
「おまえ、もしや親類に宮野というものがおらんか?」
「ん? 何かね、そんなに私に似ている者がいたのかね?
私ほどの紳士振りを発揮できる者など存在し得ないとは思うが、まあ世界は広いしね。
ああ、ちなみに私の親戚に宮野は居ないが、その方も参加者の――」
問いかける途中で、思い出す。
宮野。それは確か、教会の吸血鬼と、その騎士によって殺された――
「そうじゃ。会ってすぐに殺したが、な」
そしてその記憶を、目の前の怪物の言葉が裏付けた。
佐山が知っている中でも最悪の部類に属する殺人者。それが、目の前に居る。
「その表情からして、もう私のことは知っているようじゃな?」
「さほど詳しい訳ではないよ。貴女の名前は知らないことだしね。そちらはアシュラム氏でいいのかな?
後ろの二人は――どういった経緯でそこに居るのかは分からないが、相良宗介君と千鳥かなめ君かね?」
それでもあくまで平静を装って、佐山は吸血鬼の背後に佇んでいる者達に問いかけた。
騎士と少年少女は黙って小さく頷く――いや、アシュラムだけは小さく顎を動かした後、暫くぶりに口を開いた。
「……お前は、ミヤノの知り合いか」
「間接的ではあるが。彼と一時期行動を共にしていた者達に会ったし、その内の一人は我々と行動を共にしているよ」
その内の一人、というのは支給品扱いの兵長の事であったが、説明するとややこしくなりそうなので省く事にした。
幸い、アシュラムはそれを追求することはなかった。ただ、懺悔する様に頭を垂れる。
「ならば謝罪したい。ミヤノを実際に手に掛けたのはこの俺だ」
紡がれる贖いの言葉。佐山は片眉を跳ね上げてほう、と洩らした。
「これは失礼した。ただこういう使い古されたやりとりも時にはしてみたかったものでね。
では改めて、私の名は佐山・御言。このゲームを忌み、終わらせようとする者だ」
月光の下、佐山と美姫は対峙していた。
アシュラムは美姫の斜め後ろ――二人の間に飛び込める位置で青龍偃月刀を構えている。
宗介と千鳥はさらにその後方。宗介が千鳥を庇い、アシュラムの背に隠れるようにして状況の推移を見守っていた。
今のところ、名乗りあった二人の態度に剣呑なものは見えない。
だが美姫の後ろに控える三人は、この吸血鬼の気まぐれさを知っていた。
瞬きを一回する間に目の前の佐山と名乗った優男の首が飛ぶかもしれない。
そんな警戒を他所に、美姫は恭しく頭を下げる佐山を値踏みするように眺めていた。
「礼儀は、それなりにわきまえておるようじゃの」
「無論だ。礼儀正しさは私の存在証明だよ。『礼儀正しい、故にそれは紳士佐山である』
……む、即興のせいかあまり語呂はよくないね」
「どうやら見込み違いじゃったようじゃ」
呆れたように、美姫。
そして――ふと思いついたかのように、ぽつりと尋ねた。
「おまえ、もしや親類に宮野というものがおらんか?」
「ん? 何かね、そんなに私に似ている者がいたのかね?
私ほどの紳士振りを発揮できる者など存在し得ないとは思うが、まあ世界は広いしね。
ああ、ちなみに私の親戚に宮野は居ないが、その方も参加者の――」
問いかける途中で、思い出す。
宮野。それは確か、教会の吸血鬼と、その騎士によって殺された――
「そうじゃ。会ってすぐに殺したが、な」
そしてその記憶を、目の前の怪物の言葉が裏付けた。
佐山が知っている中でも最悪の部類に属する殺人者。それが、目の前に居る。
「その表情からして、もう私のことは知っているようじゃな?」
「さほど詳しい訳ではないよ。貴女の名前は知らないことだしね。そちらはアシュラム氏でいいのかな?
後ろの二人は――どういった経緯でそこに居るのかは分からないが、相良宗介君と千鳥かなめ君かね?」
それでもあくまで平静を装って、佐山は吸血鬼の背後に佇んでいる者達に問いかけた。
騎士と少年少女は黙って小さく頷く――いや、アシュラムだけは小さく顎を動かした後、暫くぶりに口を開いた。
「……お前は、ミヤノの知り合いか」
「間接的ではあるが。彼と一時期行動を共にしていた者達に会ったし、その内の一人は我々と行動を共にしているよ」
その内の一人、というのは支給品扱いの兵長の事であったが、説明するとややこしくなりそうなので省く事にした。
幸い、アシュラムはそれを追求することはなかった。ただ、懺悔する様に頭を垂れる。
「ならば謝罪したい。ミヤノを実際に手に掛けたのはこの俺だ」
紡がれる贖いの言葉。佐山は片眉を跳ね上げてほう、と洩らした。
「貴方が彼を殺害した時の様子は聞き及んでいる。改心した、と受け取っていいのだろうか?」
「命を奪っておいて、都合が良すぎるとは理解している。だが――」
それで十分だというように手でそれ以上の言葉を制し、佐山が頷く。
「殊勝な心がけは評価しよう。だが貴方が謝罪するべきは私ではない。
言葉は取っておきたまえ。望むのなら、その言葉を使う場は私が設けよう」
「……感謝する」
言いたい事はそれだけだったのだろう。伏し目がちのまま、再びアシュラムは沈黙した。
「さてお待たせしたね、女史。良ければ貴女のお名前と、貴女自身が抱いている宮野氏の死についての考えをお聞かせ願えるかな?」
「私を待たせておいて、挙句さらに質問か。ま、構わぬが。
私を呼ぶのならば、唯、姫とでも呼ぶがよかろう。我が名にさほど意味はない。それと、奴の死についてだったか」
それこそ、その吸血鬼は今日の献立を決める程度の気軽さで、
「まあ、余興程度にはなった。その程度の感慨しか持ってはおらん。
ああ、ちなみにアシュラムが手を下したのは事実だが、その時は私が術を掛けて従わせていた。
故に、謝罪すべきは私じゃな。もっとも、それをする気は微塵もないが」
「……なるほど」
聞き及んでいた通りの人物だ、と胸中で言葉を継ぎ足す。
確かに危険人物だった。この島で出会った人物の中でもっとも注意を払うべき存在だ。
事態を好きなように混乱させ、そしてその混沌の中を直進できる強さと自信を持っている。
(自らを姫と呼称するような痛い性格でもあるようだしね)
先のアシュラムを庇う様な発言も、まさかそれが本心ではあるまい。
全ての元凶であることを認めた上で、『それがどうした?』と言っているのだ。
あるいは、零崎の時よりも彼女の説得は難しい――だが不可能ではないだろう。
自分は佐山・御言なのだから。
「単刀直入に言おう。その考えを悉く改める気はないだろうか?」
「ほう? これは大きく出たものよな」
どこか愉快そうに、美姫が呟く。
玩具を見つけた幼児のような笑みを浮かべながら。
「では聞くが、私がそれをせねばならぬ理由は?」
「究極的にいってしまえば、私がそうして欲しいからだね」
堂々と、佐山はそんな事を言ってのけた。
「命を奪っておいて、都合が良すぎるとは理解している。だが――」
それで十分だというように手でそれ以上の言葉を制し、佐山が頷く。
「殊勝な心がけは評価しよう。だが貴方が謝罪するべきは私ではない。
言葉は取っておきたまえ。望むのなら、その言葉を使う場は私が設けよう」
「……感謝する」
言いたい事はそれだけだったのだろう。伏し目がちのまま、再びアシュラムは沈黙した。
「さてお待たせしたね、女史。良ければ貴女のお名前と、貴女自身が抱いている宮野氏の死についての考えをお聞かせ願えるかな?」
「私を待たせておいて、挙句さらに質問か。ま、構わぬが。
私を呼ぶのならば、唯、姫とでも呼ぶがよかろう。我が名にさほど意味はない。それと、奴の死についてだったか」
それこそ、その吸血鬼は今日の献立を決める程度の気軽さで、
「まあ、余興程度にはなった。その程度の感慨しか持ってはおらん。
ああ、ちなみにアシュラムが手を下したのは事実だが、その時は私が術を掛けて従わせていた。
故に、謝罪すべきは私じゃな。もっとも、それをする気は微塵もないが」
「……なるほど」
聞き及んでいた通りの人物だ、と胸中で言葉を継ぎ足す。
確かに危険人物だった。この島で出会った人物の中でもっとも注意を払うべき存在だ。
事態を好きなように混乱させ、そしてその混沌の中を直進できる強さと自信を持っている。
(自らを姫と呼称するような痛い性格でもあるようだしね)
先のアシュラムを庇う様な発言も、まさかそれが本心ではあるまい。
全ての元凶であることを認めた上で、『それがどうした?』と言っているのだ。
あるいは、零崎の時よりも彼女の説得は難しい――だが不可能ではないだろう。
自分は佐山・御言なのだから。
「単刀直入に言おう。その考えを悉く改める気はないだろうか?」
「ほう? これは大きく出たものよな」
どこか愉快そうに、美姫が呟く。
玩具を見つけた幼児のような笑みを浮かべながら。
「では聞くが、私がそれをせねばならぬ理由は?」
「究極的にいってしまえば、私がそうして欲しいからだね」
堂々と、佐山はそんな事を言ってのけた。
交渉とは要求と要求の擦り合わせだ。つまりお互いが納得できる妥協点を探しあう事である。
我が方の理由は正当である、という主張は負い目を覚えるような相手ならば有効だが、目の前の美女はその類ではないだろう。
この吸血鬼はどこまでも奔放。世界にも派閥にも縛られていない。ならば理由付けなど不要だ。
「即答か」
「ああ即答だ。私は私の目的を果たすために交渉し進撃する。
先ほども述べたが私の目的はこの無意味な殺戮を強要する舞台を打ち壊す事だ。
美姫女史としても、こんな馬鹿げた行いに無理やり付き合わされるのは好ましくないのでは?」
「無論、あのような輩の言いなりになる私ではない」
首肯する美姫。だが、すぐに冷たい視線を佐山に送った。
「だがそれに関しては貴様も同じ事。貴様の目的に私が付き合う道理はどこにあるのかえ?
自由に喰らい、自由に壊し、自由に救い、自由に愛す。それが私じゃ。
私を曲げる理由は見当たらんな」
「少なくとも、我々はこの悪趣味な脚本に付き合う気がない、という一点で共通している」
その視線を飄々と受け流しながら、佐山。
「ならば、その部分では協力し合えると思うのだが?」
「協力――協力と言ったか?」
艶然とした笑みを浮かべながら、美姫が繰り返す。
そして、ゆったりとした動作で右腕を前に突き出し、空を撫でる様に僅かに動かした。
少なくとも、そうとしか見えなかった。
だがそれだけにしては反応があまりにも激烈すぎた。
まるで対戦車地雷でも炸裂したかのように一瞬で地面が破裂、轟音と共に土を巻き上げる。
だがそれでいて土塊がぼとぼとと落ちてくるということはなかった。
熱量でも発生したのか、あるいは砕いたのか。とにかく土は全て細かな砂へと変じ、宙に漂っている。
それが同時に三箇所、佐山の立っている場所からほんの数十センチしか離れていない場所で起きた現象だった。
我が方の理由は正当である、という主張は負い目を覚えるような相手ならば有効だが、目の前の美女はその類ではないだろう。
この吸血鬼はどこまでも奔放。世界にも派閥にも縛られていない。ならば理由付けなど不要だ。
「即答か」
「ああ即答だ。私は私の目的を果たすために交渉し進撃する。
先ほども述べたが私の目的はこの無意味な殺戮を強要する舞台を打ち壊す事だ。
美姫女史としても、こんな馬鹿げた行いに無理やり付き合わされるのは好ましくないのでは?」
「無論、あのような輩の言いなりになる私ではない」
首肯する美姫。だが、すぐに冷たい視線を佐山に送った。
「だがそれに関しては貴様も同じ事。貴様の目的に私が付き合う道理はどこにあるのかえ?
自由に喰らい、自由に壊し、自由に救い、自由に愛す。それが私じゃ。
私を曲げる理由は見当たらんな」
「少なくとも、我々はこの悪趣味な脚本に付き合う気がない、という一点で共通している」
その視線を飄々と受け流しながら、佐山。
「ならば、その部分では協力し合えると思うのだが?」
「協力――協力と言ったか?」
艶然とした笑みを浮かべながら、美姫が繰り返す。
そして、ゆったりとした動作で右腕を前に突き出し、空を撫でる様に僅かに動かした。
少なくとも、そうとしか見えなかった。
だがそれだけにしては反応があまりにも激烈すぎた。
まるで対戦車地雷でも炸裂したかのように一瞬で地面が破裂、轟音と共に土を巻き上げる。
だがそれでいて土塊がぼとぼとと落ちてくるということはなかった。
熱量でも発生したのか、あるいは砕いたのか。とにかく土は全て細かな砂へと変じ、宙に漂っている。
それが同時に三箇所、佐山の立っている場所からほんの数十センチしか離れていない場所で起きた現象だった。
「もちろん、今ので貴様を狙う事も出来た」
美姫は右腕を下ろしながら、あからさまに殺気を込めた言葉を突き立てる。
「実力の差は理解できたか? 惰弱な人間風情が、よりにもよって私と“協力”?
何様のつもりか。私の足下に跪き、床に九度頭を擦り付けながら庇護を求めるのが筋であろうが。
言葉を撤回せよ。さもなくば、この一帯ごと芥にしてくれようぞ」
美姫の豹変に、宗介とかなめが息を呑む。
この吸血鬼が本気で力を振るった所を、彼らは未だ見てはいない。
理解していたつもりだったが、それでも現実に起きた事はあまりにも常識はずれ。
この怪物は、あまりにも絶対的である――そう思わざるを得ないような光景だった。
――そんな中で、
「……砂を巻き上げるのなら、先に警告して欲しかったね」
コホコホと咽ながら、佐山はパタパタと手を振って砂を散らす努力をしていた。
緊張感など微塵も存在しない、かなり情けない姿だった。
何とはなしに、かなめは半眼になりながら――愛用のハリセンが手元に無い事を悔やみつつ――呟いた。
「あのー、そのパタパタってあんまり効果ないと思いますけど……砂を撹拌してるだけだし」
「むう、一理ある。だがまあ、形式美という奴だよこれは。ところで君はマスクなど所持していないかね?」
「すいません、無いです」
「そうか……いやいや悔やむ事など無い。佐山・御言の役に立てぬからといってそう悲観的になるのはよくない事だよ。
それに視覚を阻むことなく顔面に装着でき、尚且つ通気性が確保できるほど薄い布地の存在を君が忘れているだけという可能性もある」
「……重ねてすいませんが、何の事だか」
「ふむ、君はノーパン派かね?」
「千鳥、落ち着け。千鳥!」
凶悪な釘バットをゆらり、と振り上げるかなめを必死に静止する宗介。
そんな微笑ましい(と、佐山は断じた)光景を放置し、再び美姫に向き直る。
「武力を前提とした交渉は確かに有効だ。実際、女史の力には恐れ入った。
だが私はそういった存在と交渉を重ねる身でね。一々こんなものに気圧されていたら勤まらない。
それに、本人にやる気が無いと分かっていればそれは全くの無意味というものだよ」
美姫は右腕を下ろしながら、あからさまに殺気を込めた言葉を突き立てる。
「実力の差は理解できたか? 惰弱な人間風情が、よりにもよって私と“協力”?
何様のつもりか。私の足下に跪き、床に九度頭を擦り付けながら庇護を求めるのが筋であろうが。
言葉を撤回せよ。さもなくば、この一帯ごと芥にしてくれようぞ」
美姫の豹変に、宗介とかなめが息を呑む。
この吸血鬼が本気で力を振るった所を、彼らは未だ見てはいない。
理解していたつもりだったが、それでも現実に起きた事はあまりにも常識はずれ。
この怪物は、あまりにも絶対的である――そう思わざるを得ないような光景だった。
――そんな中で、
「……砂を巻き上げるのなら、先に警告して欲しかったね」
コホコホと咽ながら、佐山はパタパタと手を振って砂を散らす努力をしていた。
緊張感など微塵も存在しない、かなり情けない姿だった。
何とはなしに、かなめは半眼になりながら――愛用のハリセンが手元に無い事を悔やみつつ――呟いた。
「あのー、そのパタパタってあんまり効果ないと思いますけど……砂を撹拌してるだけだし」
「むう、一理ある。だがまあ、形式美という奴だよこれは。ところで君はマスクなど所持していないかね?」
「すいません、無いです」
「そうか……いやいや悔やむ事など無い。佐山・御言の役に立てぬからといってそう悲観的になるのはよくない事だよ。
それに視覚を阻むことなく顔面に装着でき、尚且つ通気性が確保できるほど薄い布地の存在を君が忘れているだけという可能性もある」
「……重ねてすいませんが、何の事だか」
「ふむ、君はノーパン派かね?」
「千鳥、落ち着け。千鳥!」
凶悪な釘バットをゆらり、と振り上げるかなめを必死に静止する宗介。
そんな微笑ましい(と、佐山は断じた)光景を放置し、再び美姫に向き直る。
「武力を前提とした交渉は確かに有効だ。実際、女史の力には恐れ入った。
だが私はそういった存在と交渉を重ねる身でね。一々こんなものに気圧されていたら勤まらない。
それに、本人にやる気が無いと分かっていればそれは全くの無意味というものだよ」
「――なるほど、の」
美姫はあっさりと殺気を霧散させると、改めて値踏みするように目の前の男を見つめた。
「どうして私が本気ではないと?」
「理由は幾つかあるが、総合的に半分以上は勘かな。
とりあえず一つ目としては、貴女が他者の同行を許している点だ」
アシュラム。宗介。かなめ。
三人の同行者。それを順繰りに佐山は見つめた。
「先ほどの攻撃、正直なにをされたのかさっぱり分からなかった。それなりに非常識な経験はあるつもりなのだがね。
つまり女史の力は私の見識を超えるものなのだろう。それほどの力を持っているのなら、どうも平和主義者というわけでもないようだし、気に入らないものを皆殺しにできるだろう。
だが私の聞き及ぶ限りにおいては、貴女はそちらの相良君に非効率な試験を課し、今は亡き宮野氏を試すようにアシュラム氏をけしかけた。
これらの事実から、女史が殺戮以外の何かに執着しているということが推察できる」
「まさに推察でしかないな」
美姫は鼻で笑った。
「なんとも不確実な賭けにでたものじゃ。私を計るなどと、分不相応な」
「なに、人材の見極めも悪役の適正のひとつさ。細々しているものを含めれば理由は他にもあったしね。
ああ、それとついでだ。私の方からも協力に値する所を示すとしようか」
呟きと同時、佐山の姿がその場から消えた。
目にも留まらぬ速さで動いた、のではない――気配も反作用もなく、ただ突然にして美姫の知覚から掻き消えたのだ。
美姫の目が細められる。それはちょうど近眼の人間が細かな文字を見ようとする仕草にも似ていた。
「まあ即興だがね。多少見苦しい所はあったかもしれないが」
唐突に声。消えた地点から一歩も動かずに、佐山は芝居がかった動作でお辞儀などしてみせている。
先ほどまでと変わっていることはひとつだけだった。佐山が持っていた白い槍が、思いっきり地面に突き立てられている。
美姫の目にその瞬間を見せることなく、だ。
「最初に私がそちらに対し全くもって敵意が無いということを理解して貰ったうえで、先ほどの言葉を返そう。
“もちろん、今ので貴様を狙う事も出来た”」
佐山が発したその言葉を受け取り、美姫はしばらく黙考するように口を閉ざした。
反対に、宗介とかなめはボソボソとなにやら会話している。
(ねえ、今、なんか普通に槍を地面に突き刺しただけよね……?)
(ああ、そのようにしか見えなかったが)
(なんか物凄いシュールな絵面なんだけど、この状態)
ちなみに先ほどの歩法は美姫のみを対象にしていたので、かなめ達の目にはそういう風にしか映っていない。
美姫はあっさりと殺気を霧散させると、改めて値踏みするように目の前の男を見つめた。
「どうして私が本気ではないと?」
「理由は幾つかあるが、総合的に半分以上は勘かな。
とりあえず一つ目としては、貴女が他者の同行を許している点だ」
アシュラム。宗介。かなめ。
三人の同行者。それを順繰りに佐山は見つめた。
「先ほどの攻撃、正直なにをされたのかさっぱり分からなかった。それなりに非常識な経験はあるつもりなのだがね。
つまり女史の力は私の見識を超えるものなのだろう。それほどの力を持っているのなら、どうも平和主義者というわけでもないようだし、気に入らないものを皆殺しにできるだろう。
だが私の聞き及ぶ限りにおいては、貴女はそちらの相良君に非効率な試験を課し、今は亡き宮野氏を試すようにアシュラム氏をけしかけた。
これらの事実から、女史が殺戮以外の何かに執着しているということが推察できる」
「まさに推察でしかないな」
美姫は鼻で笑った。
「なんとも不確実な賭けにでたものじゃ。私を計るなどと、分不相応な」
「なに、人材の見極めも悪役の適正のひとつさ。細々しているものを含めれば理由は他にもあったしね。
ああ、それとついでだ。私の方からも協力に値する所を示すとしようか」
呟きと同時、佐山の姿がその場から消えた。
目にも留まらぬ速さで動いた、のではない――気配も反作用もなく、ただ突然にして美姫の知覚から掻き消えたのだ。
美姫の目が細められる。それはちょうど近眼の人間が細かな文字を見ようとする仕草にも似ていた。
「まあ即興だがね。多少見苦しい所はあったかもしれないが」
唐突に声。消えた地点から一歩も動かずに、佐山は芝居がかった動作でお辞儀などしてみせている。
先ほどまでと変わっていることはひとつだけだった。佐山が持っていた白い槍が、思いっきり地面に突き立てられている。
美姫の目にその瞬間を見せることなく、だ。
「最初に私がそちらに対し全くもって敵意が無いということを理解して貰ったうえで、先ほどの言葉を返そう。
“もちろん、今ので貴様を狙う事も出来た”」
佐山が発したその言葉を受け取り、美姫はしばらく黙考するように口を閉ざした。
反対に、宗介とかなめはボソボソとなにやら会話している。
(ねえ、今、なんか普通に槍を地面に突き刺しただけよね……?)
(ああ、そのようにしか見えなかったが)
(なんか物凄いシュールな絵面なんだけど、この状態)
ちなみに先ほどの歩法は美姫のみを対象にしていたので、かなめ達の目にはそういう風にしか映っていない。
沈黙を破ったのは美姫だった。何かを決めたようにひとつ頷き、佐山に向かい問いかける。
「そういうことか?」
「どういうことかは分からないが、貴女の聡明さに期待しよう。そういうことだ」
「姿が見え辛くなる程度の子供騙しの手品とはいえ、その種までは見破れなんだ。
私が知らぬ術がある、井の中の蛙であるとお前は言いたいのであろ? そこに協力する利があると」
佐山の戯言に付き合う気は無いらしく、美姫は淡々と考察だけ口にする。
めげずに、世界の中心。
「女史ならば蛙というよりは竜だろうがね。その通りだ。
殺し合いに乗っておらず、その上で本当に協力が必要ないと言えるのはこの島から脱出した者だけだよ。
なるほど、貴女の力は確かに凄まじいものだ。だが万能ではない。まだ脱出を果たしていないのだから。
協力し合えばそれを果たせる、あるいは果たし易くなるというのは明白だろう」
「例えば、これか?」
美姫が刻印の刻まれた腕を示す。
「手慰みに調べてみたが、解析できたのは凡そ9割、といったところじゃな。
まあ確かに残りの解析くらいなら貴様らにもできるか」
「なんとも頼もしい言葉だろうか。それで、どうだろう。協力して貰えるだろうか」
「構わん」
あっさりと吸血鬼は首を縦に振った。そのあまりの軽さに同行者達の目が見開かれる。
「が、その前にふたつほど尋ねておくことがある」
「何かね?」
「まず一つ目」
美姫が白魚のような指を一本、ぴっ、と佐山の前に立てる。
「先ほども述べたように、私は宮野を殺した張本人じゃ。
お前の連れに宮野の仲間がいるようだが、私が謝罪をする程度で免罪符は下るかの?」
「先ほどアシュラム氏にも言ったとおり、そちらに謝罪の意思があるのなら私が平和的な話し合いの場を用意する。
その後の事までは――すまないが正直断言できないね。無論、和解できるように尽力するが」
「そうか。つまり、お前自身はそれを許す、というのじゃな?」
「……その、つもりだ」
佐山は心臓を撫で付けた。肉越しに触れた臓器に異常は無い筈だが、僅かにちくりとした痛みを感じたのだ。
数十分前に兵長に指摘され、宮下藤花に助言を受け、だが今もなお見つかっていない『解答』。
それを再度指摘するような吸血鬼の言葉は、果たして偶然か?
「そういうことか?」
「どういうことかは分からないが、貴女の聡明さに期待しよう。そういうことだ」
「姿が見え辛くなる程度の子供騙しの手品とはいえ、その種までは見破れなんだ。
私が知らぬ術がある、井の中の蛙であるとお前は言いたいのであろ? そこに協力する利があると」
佐山の戯言に付き合う気は無いらしく、美姫は淡々と考察だけ口にする。
めげずに、世界の中心。
「女史ならば蛙というよりは竜だろうがね。その通りだ。
殺し合いに乗っておらず、その上で本当に協力が必要ないと言えるのはこの島から脱出した者だけだよ。
なるほど、貴女の力は確かに凄まじいものだ。だが万能ではない。まだ脱出を果たしていないのだから。
協力し合えばそれを果たせる、あるいは果たし易くなるというのは明白だろう」
「例えば、これか?」
美姫が刻印の刻まれた腕を示す。
「手慰みに調べてみたが、解析できたのは凡そ9割、といったところじゃな。
まあ確かに残りの解析くらいなら貴様らにもできるか」
「なんとも頼もしい言葉だろうか。それで、どうだろう。協力して貰えるだろうか」
「構わん」
あっさりと吸血鬼は首を縦に振った。そのあまりの軽さに同行者達の目が見開かれる。
「が、その前にふたつほど尋ねておくことがある」
「何かね?」
「まず一つ目」
美姫が白魚のような指を一本、ぴっ、と佐山の前に立てる。
「先ほども述べたように、私は宮野を殺した張本人じゃ。
お前の連れに宮野の仲間がいるようだが、私が謝罪をする程度で免罪符は下るかの?」
「先ほどアシュラム氏にも言ったとおり、そちらに謝罪の意思があるのなら私が平和的な話し合いの場を用意する。
その後の事までは――すまないが正直断言できないね。無論、和解できるように尽力するが」
「そうか。つまり、お前自身はそれを許す、というのじゃな?」
「……その、つもりだ」
佐山は心臓を撫で付けた。肉越しに触れた臓器に異常は無い筈だが、僅かにちくりとした痛みを感じたのだ。
数十分前に兵長に指摘され、宮下藤花に助言を受け、だが今もなお見つかっていない『解答』。
それを再度指摘するような吸血鬼の言葉は、果たして偶然か?
(いや――なんにしても、まずはこの交渉を取り纏めることだ)
あくまで埃を払っただけ、という仕草を演じ、心臓から手を離す。
「そして、二つ目」
再び美姫の指が蠢く。二本目を立てることはせずに、既に立てていた指が佐山の方に向けられた。
放たれた質問は、奇妙なものだった。
「お前が、佐山なのだな?」
訝しむような表情を浮かべる佐山。その表情の理由は無論、名前を再度問われた事に関して。
だがそのことを気にしている時点で――
既に、彼は術中に捕らわれているのだといえた。
「その通り。何かね、先ほどの自己紹介では不足だったかね? ならばあと七通りの自己紹介方を――」
「要らぬ。それよりも、わたしはお前宛の言伝を頼まれていた」
その発言で、佐山の表情が僅かに動く。
何故か、胸に焦燥感が沸いていた。心臓を再び押さえつける。
彼宛てにわざわざ伝言を残すのは、今まで殆ど情報が無かった自分の仲間達の可能性が高い。
そして、その中でも最も知りたかった人物の名前は――
「……ほう? 誰からかね?」
「名前は、知らぬ」
――その吸血鬼の顔が邪悪に歪んでいて。
「聞く前に、殺してしまったからの」
あくまで埃を払っただけ、という仕草を演じ、心臓から手を離す。
「そして、二つ目」
再び美姫の指が蠢く。二本目を立てることはせずに、既に立てていた指が佐山の方に向けられた。
放たれた質問は、奇妙なものだった。
「お前が、佐山なのだな?」
訝しむような表情を浮かべる佐山。その表情の理由は無論、名前を再度問われた事に関して。
だがそのことを気にしている時点で――
既に、彼は術中に捕らわれているのだといえた。
「その通り。何かね、先ほどの自己紹介では不足だったかね? ならばあと七通りの自己紹介方を――」
「要らぬ。それよりも、わたしはお前宛の言伝を頼まれていた」
その発言で、佐山の表情が僅かに動く。
何故か、胸に焦燥感が沸いていた。心臓を再び押さえつける。
彼宛てにわざわざ伝言を残すのは、今まで殆ど情報が無かった自分の仲間達の可能性が高い。
そして、その中でも最も知りたかった人物の名前は――
「……ほう? 誰からかね?」
「名前は、知らぬ」
――その吸血鬼の顔が邪悪に歪んでいて。
「聞く前に、殺してしまったからの」
今度の心臓の痛みは、撫でる程度では治まらなかった。
ナイフで一突きにされたような激痛。歯を食いしばった為、その苦痛はしっかりと顔に出てしまっただろう。
「おや、どこか具合でも悪いのかえ?」
「いや大丈夫……大丈夫だ」
嬲るような笑みを浮かべている吸血鬼に、佐山は自分に言い聞かせるように返した。
――落ち着け、まだそうと決まったわけではない。
「それで……私宛に言伝を頼んだという人物は、どのような外見だったのか教えてもらえないだろうか」
発する言葉を練るのにやけに時間がかかった。
それは単に心臓の痛みのためか、それとも答えを聞きたくなかったからか。
言葉を受けて、美姫はしばらく間を空けた。視線は佐山を固定。だが迷うではなく、どこか焦らすような視線だ。
佐山の頭が最悪の想像で一杯になる頃、ようやく美姫が口を開く。
間は僅か十秒ほどだっただろう。だが佐山にとってはもはや耐えられないほど長い時間。
そして――吸血鬼の発した最悪が彼を直撃した。
「やや小柄で、髪を腰の辺りまで伸ばしていた少女じゃった。
ああ、適度に肉が付いていたので中々美味ではあったの」
無慈悲にも、聞きたくなかった答えが告げられた。
鈴を転がすような音色で笑うのとは対象に、その言葉には底の見えない悪意があった。
そして、もはや認めたくなくとも認めるしかなかった。
彼宛に伝言を遺す、ロングヘアの少女。
この島で、その条件に当てはまるのはおそらく一人しか居ない。
「新、庄くん」
呆然と、意味なく名を呟く。
「ああ、やはりお前の連れであったか。犯す前も喰らう前も、佐山という名をしきりに呟いていたからな。
ちなみに言伝とはそれじゃよ。遺言、いや断末魔といった方が正しかったかもしれんが。
しかし、そうか。それは悪い事をしたの」
吸血鬼の紡ぐ冒涜の言葉が、そのままクリアすぎるほど佐山の脳内で再生された。
吸血鬼に組み敷かれる新庄・運切。すでに四肢は千切れ達磨となり、辺りは一面赤く染まっている。
血が失われすぎたからか、彼女はさして涙を流してはいない。
代わりに血に塗れた彼女の顔が佐山の脳髄を圧迫する。力なく蠢く彼女の口許が眼球を圧倒する。
彼女は最期まで――縋るように彼の名を呼んでいた。
気づかぬ内、佐山は膝を突いていた。
激しく跳ねる心臓が零れぬよう片手で押さえ、もう片方の手で地面に突っ伏すのを防ぐ。
その、どこか跪いているようにも見える姿勢の佐山の頭上から、美姫は言葉を落下させた。
「まあ、済んでしまった事は仕方ない。謝罪しよう。
殺してしまって、ごめんなさい」
誠意など欠片も篭っていない言葉を吐く吸血鬼。
佐山は痛みに体を痙攣させながら顔を上げた。そこにあるのは美姫の笑み。
「さて、これで晴れて我々は仲間というわけじゃ。
さ、今度はお前の仲間を紹介してくれぬかの?」
その時、佐山は自分がどんな表情をしているのか分からなかった。
ナイフで一突きにされたような激痛。歯を食いしばった為、その苦痛はしっかりと顔に出てしまっただろう。
「おや、どこか具合でも悪いのかえ?」
「いや大丈夫……大丈夫だ」
嬲るような笑みを浮かべている吸血鬼に、佐山は自分に言い聞かせるように返した。
――落ち着け、まだそうと決まったわけではない。
「それで……私宛に言伝を頼んだという人物は、どのような外見だったのか教えてもらえないだろうか」
発する言葉を練るのにやけに時間がかかった。
それは単に心臓の痛みのためか、それとも答えを聞きたくなかったからか。
言葉を受けて、美姫はしばらく間を空けた。視線は佐山を固定。だが迷うではなく、どこか焦らすような視線だ。
佐山の頭が最悪の想像で一杯になる頃、ようやく美姫が口を開く。
間は僅か十秒ほどだっただろう。だが佐山にとってはもはや耐えられないほど長い時間。
そして――吸血鬼の発した最悪が彼を直撃した。
「やや小柄で、髪を腰の辺りまで伸ばしていた少女じゃった。
ああ、適度に肉が付いていたので中々美味ではあったの」
無慈悲にも、聞きたくなかった答えが告げられた。
鈴を転がすような音色で笑うのとは対象に、その言葉には底の見えない悪意があった。
そして、もはや認めたくなくとも認めるしかなかった。
彼宛に伝言を遺す、ロングヘアの少女。
この島で、その条件に当てはまるのはおそらく一人しか居ない。
「新、庄くん」
呆然と、意味なく名を呟く。
「ああ、やはりお前の連れであったか。犯す前も喰らう前も、佐山という名をしきりに呟いていたからな。
ちなみに言伝とはそれじゃよ。遺言、いや断末魔といった方が正しかったかもしれんが。
しかし、そうか。それは悪い事をしたの」
吸血鬼の紡ぐ冒涜の言葉が、そのままクリアすぎるほど佐山の脳内で再生された。
吸血鬼に組み敷かれる新庄・運切。すでに四肢は千切れ達磨となり、辺りは一面赤く染まっている。
血が失われすぎたからか、彼女はさして涙を流してはいない。
代わりに血に塗れた彼女の顔が佐山の脳髄を圧迫する。力なく蠢く彼女の口許が眼球を圧倒する。
彼女は最期まで――縋るように彼の名を呼んでいた。
気づかぬ内、佐山は膝を突いていた。
激しく跳ねる心臓が零れぬよう片手で押さえ、もう片方の手で地面に突っ伏すのを防ぐ。
その、どこか跪いているようにも見える姿勢の佐山の頭上から、美姫は言葉を落下させた。
「まあ、済んでしまった事は仕方ない。謝罪しよう。
殺してしまって、ごめんなさい」
誠意など欠片も篭っていない言葉を吐く吸血鬼。
佐山は痛みに体を痙攣させながら顔を上げた。そこにあるのは美姫の笑み。
「さて、これで晴れて我々は仲間というわけじゃ。
さ、今度はお前の仲間を紹介してくれぬかの?」
その時、佐山は自分がどんな表情をしているのか分からなかった。