「と、言うわけで、それがパラレルワールドということになります」

一しきりしゃべり終えた朝比奈さんは、最後にそう言って話をまとめた。
聞いていたほうの俺は途中何度も難しい言葉にチンプンカンプンになりながらも、はあ、とか、へえ、とか言いながら彼女の長い講釈を最後まで聞きとおした。
ま、簡単に言うと、世界は一つじゃない。何通りもある過去や未来、そんな別の世界のことを、パラレルワールドと言うのだというような話だった。

「でも、大筋は決まっています。時代をそこへ正しく進めるのが、あたし達の役目なんです」

なるほど。ハルヒにはその大筋をぶち壊す力がある。それをさせないために、
あんなワガママ娘の暴走に翻弄されながらも、あなたは健気にメイドさんをしているんですね。

でもこんな話、まともな神経のやつが聞いても、鼻で笑うだけで絶対信じないだろうな……そう思って、少しおかしくなった。
だが俺は朝比奈さんの話を信じるし、理解することもできる。なぜなら俺自身が何度も時間旅行といった馬鹿げた体験をしているし、
それに……今の話にでてきたパラレルワールド、俺は身に染みて知っているのだ。

 キーンコーンカーンコーン

授業5分前の予鈴が鳴った。

「あ、なんか話してたらもうこんな時間になっちゃいましたね。キョン君、いきましょう」

朝比奈さんが椅子を立つ。たまたま昼休みに廊下で会った俺達は、たまにはということで、学食でご飯を食べているところだったのだ。
そしてその食事の途中で…どうしてこの会話になったのか…は覚えてないが、ともかく、朝比奈さんは得意の時空論について熱く語りだしてしまった。
まぁ、朝比奈さんの話だったら、何時間だろうと何日だろうと聞いていられるから別にいいんだけど。

外に出ると、生ぬるいむわっとした風が頬をすり抜ける。頭上には焼けるような太陽が一つ。
6月の初めだというのに、真夏のような気温の日だった。

「今までいろいろありましたけど……きっともう、そんなに大きな事件は起こらないと思いますよ」

前を歩く朝比奈さんがふと俺のほうを振り向いて、かわいらしい笑顔で言った。

「どうしてそう思うんです?」
「なんとなく。勘です。あたしの」
「勘…ですか……」
「それにほら、あたしも受験だし。これ以上いろいろ起こられると困っちゃうんです」

さらに、あたし馬鹿だからと付け足して、ペロっと舌を出してから自分の頭をこずくといういつものリアクションを取って彼女は言った。
ああ……本当にかわいいなあ、この人は。ちくしょう。


その時だった。

「おわっ!!!」
「きゃあ!!!」

突然、足元が抜けたような衝撃が全身を襲った。な、なんだ?

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ

大きな重低音。そして……震動。揺れている。こ、これは……

「じっ、地震だ!!!」
「きゃああああああ!!!」

あちこちで一斉に大きな叫び声と悲鳴があがった。
じ、地震。しかも……でかいぞ、これは。

「あ、朝比奈さん!!」
「ひ、ひいぃ~~……」
「掴まって!! 早く!!」
「ふぁぁ~~っ」

前で何の支えもなく、今にも崩れ落ちそうになっている朝比奈さんの元へと何とか近づいて、彼女の二の腕を握った。
その途端、弾かれたように彼女はもの凄い力で俺の身体を抱きしめてきた。くっ……や、柔らかい……
だがしかし、普段の俺なら発狂してしまいそうなその弾力だったが、今この状況ではさすがにそんな?気なことは言っていられない。

な、長いぞ。これは……まずいんじゃないか? もしかして関東大震災の再現か?
そう思わせるほどの巨大な振動が、俺と朝比奈さんの身体を揺らし続けた。

「ひい~……」

生まれたての猫のような声をあげる朝比奈さんのことを抱きしめながら、突如…俺の胸の中に、激しい恐怖感が到来した。
頭の中が真っ白になっていく。

死ぬ……のか……

なぜかそう思ってしまった。それは、もはや確信に近い予感だった。
だが、まあ……朝比奈さんの身体を抱きしめながら死ねると言うのなら、それも悪くはないかもしれない。
こんな幸せな死に方をしたやつはどれだけ過去の偉人達を見ていったって、10人といないことだろう。断言できる。
しかし……短い人生だったな。思った。まだまだやりたいことはたくさんあったのに。
エベレストにも登ってみたかったし、オーロラも見てみたかった。くそ、こんなことならさっさと実行しとけばよかったんだ。

……でも……
よく考えてみたら、俺は最近それ以上の貴重な体験を、毎日のように味わっていた気がする。
ハルヒ……おまえと会ってから、ロクなことがなかったよ。

…だけど、悪くなかった。

俺は目をつぶって、最後の時を待った。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……

「……」

「……」

「……とま…った……?」

「と、とまった……」
「終わったぞ……」
「よかったぁ~……」
「ああー怖かった……」

暗闇の中、周りから聞こえてきていた叫び声が、同時に安堵のものへと変わっていくのがわかった。
……あれ……? 終わった…のか?

閉じていた瞼をゆっくりと開いてみる。辺りの景色はもう揺れ動いてはいない。
いつも通りの校舎、それと目の前には朝比奈さんの小さな身体だ。

拍子抜けした。
は、恥ずかしい……なんだったんだ、今の俺の覚悟は。
たかが地震で死ぬなんて……何考えてたんだ。
なんで急にあんなに怖くなったんだ?
自分の気持ちがよくわからなかったが、今は今だに俺の胸に顔を埋めて震えている朝比奈さんを安心させてやることが先決だと思った。

「朝比奈さん…朝比奈さんっ」
「……」
「大丈夫ですよ。もう終わりました。安心してください」
「……ふえっ……?」

肩を掴んでユサユサと優しく揺すってあげる。
すると彼女はゆっくりと俺の体から顔を離し、ぼんやりと目を開いた。
その顔はまるで、たった今起きたばかりの赤ん坊のように幼く無垢なものだった。
さあ、最初に何て言うだろう。今まで抱きついていたことに対して照れて、真っ赤になって謝るか。
それとも安堵から、もう一度俺に抱きついてきて泣きじゃくるか。
どっちにしても、ちょっと楽しみだ。

そう思っていたが、だが、彼女の反応は、俺の予想していた全てのパターンとまったく異なるものだった。

 バチンッッ!!!!

「ぐわっ!!!」

視界が真っ白くフラッシュする。
次の瞬間、左頬に強烈な衝撃が走った。
え……な、何? なんだ? 何が起こったんだ?
自分が何をされたか、その一瞬まったくわからなかった。

「……なんであなたがまた、ここにいるんですかぁ……」
「……は?」
「それに……抱きついたりして……ふええええぇぇ……」

目の前の朝比奈さんが、右手を張り手の状態にしたまま宙に静止させて、プルプルと小刻みに震わせている。
それを見て俺は、今自分がいったい何をされたのか、ようやくわかった。

ビンタされたんだ。朝比奈さんに。

「……」

……び、ビンタ……?
な、なんで俺が……?

されたのだということだけは理解できたが、その行為の意図と、今、彼女が言った言葉の意味は、まったく理解ができなかった。

「あ、あの……」
「来ないでくださぁい……」

フルフルと震えながら、足を一歩後ろに後退させる彼女。
涙目のその表情には、安堵でもなければ照れでもない、恐怖と不安と嫌悪の色が広がっている。
ど、どうしたって言うんだ急に……

「あ、あの……朝比奈さん……?」
「お願いだから、もう来ないで……!!」

 ダッ!!!

「あっ、ちょ、ちょっと!!!」

そう言って朝比奈さんはもの凄い勢いで俺に背中を向けると、一目散に走りだして、校舎の中へと消えて見えなくなってしまった。

「……」


「なん…なんだ……?」

新手のドッキリ?
いや、朝比奈さんはそんな冗談をする人ではない。
じゃあ、ハルヒにでも頼まれたか?
いや……それもない。彼女はビンタまでしてそんなことをする人ではない。さっきのは本気だった。できないだろ、そんなこと。

じゃあ……

へばりつくような生暖かい風が、俺の背中を吹き抜けていく。

「……」

壁に張り付いている時計を見た。もうとっくに授業の始まっている時間だ。
それでもチャイムが鳴らないのは、きっと学校中が今の巨大地震に慌てふためいているせいだろう。
それなら多少遅刻していっても文句は言われないはずだ。
しかし、よくあれだけの地震でこのボロ校舎が崩れなかったものだな。まったく感心する。

そんなことを考えている場合ではなかった。

「どうして……朝比奈さんがあんなことを……」

まったくわからない。
だけど俺は、過去にも一度こんなことをされたことがあるような……デジャブのような、奇妙な錯覚に捕らわれていた。

たしか……前にも……

10分ほどその場で考え込み続けてから、自分の教室へと戻った。
後ろの扉をこっそりと開けて、ぱっと中を確認してみる。だいたい全員が揃っているようだ。そして予想した通り、先生の姿はどこにも見えない。よかった。

「……あれ?」

いや、先生の姿だけではなかった。肝心のヤツの姿が見えない。

ハルヒがいない。

「……」

どうしたんだアイツ……普段なら飛んで帰ってきて、今の現象で体験したスリルでも、俺にやかましく語るはずなのに……
ま、まさか今の地震で、どっかで大怪我でもしているんじゃ…

猛烈に不安になった。ありえる。特に、もしSOS団の部室にでも行って何かをしていたとするなら……
あそこには崩れやすい物が大量に棚の上に積まれている。上から何かが落ちてきて、下敷きになっていてもおかしくはない。
ハルヒ……!!

急いで走り出したい気持ちに駆られた。が、まずはクラスのやつらにハルヒが帰ってきてないかを確認してみてからにすることにした。
これでトイレにでも行っていただけならマヌケすぎる。

「谷口!!」

俺はすぐそこでキョロキョロとしていた谷口の首を後ろから掴みにかかり、無理やりこっちに回転させた。

「おお、キョン!! おまえどこ行ってたんだ今まで? みんな心配してたんだぜ」
「俺のことはいい!! それより、ハルヒ帰ってきたか!?」
「え、は……ハルヒ……?」

突然のことに訳がわからないといった表情を見せてから、谷口は困ったように口を開いた。

「だ……誰だそれ?」
「え……」

……

…今、こいつなんて言ったんだ?

「おい谷口」
「な、なんだよ」
「今なんて言ったんだ」
「え、だ、だからハルヒって誰だよって…」

「……」

「頼む。今のもう一回言ってくれ」
「だからっ。誰だよそいつはって言ってんだよ! どうしたんだおまえ!?」

眩暈がした。

知らない……ハルヒを? そんな馬鹿な。
今の今まで……4時間目まで同じクラスメイトだっただろうが。ふざけんな。

「国木田っ」
「な、何? キョン」
「おまえはハルヒを知っているよな?」
「え、ご、ごめん。僕も知らないよ」

……嘘だろ。

「あっ、でも思い出した!!」
「!!」

「そうだ。そういえば去年の冬にもハルヒさんがどうしたとか、キョン騒いでたよね。確かクリスマスのちょっと前くらいだったかなぁ」
「あーっはいはい。俺も思い出した。そうだ。言ってたなぁおまえ。ってことは、ハルヒってのはまたあの涼宮ハルヒのことか? 東中の」

…その言葉に、きっと以前の俺ならこんなに冷静にはいられなかっただろう。いや、事実いられなかった、んだ。

そう……さっき感じたあの感覚は、デジャブなんかじゃない。
国木田たちが言う、去年のクリスマス前。それは……
そして今になってはっと気づいた。さっきの、朝比奈さんのあのセリフ。

「……なんであなたがまた、ここにいるんですかぁ……」

……ぞっとした。

また。またってどういうことだ。
またってことは、前にも同じようなことをしたってことか。
そうだ。これとまったく同じような状況を、俺は前に一度経験している。

「……!!」

その時、教室の前で固まっていた女子グループの中心から、立ち上がって俺の方へと歩みよってくる一人の女子がいた。
さっきクラスの中を見渡した時には、他のヤツの壁に隠れて見えなかった。だが……
「そいつ」の姿を見て、俺の疑念は確信へと変わった。

なんてこった……こいつの顔だけは、もう二度と見たくないと思っていたのに……
深い海を思わせる藍色の髪と、目。
絶対に忘れられないあの薄ら笑い。今思い出しただけでも寒気がする。
俺を何度も殺そうとした女と……2回目の再会か……


「大丈夫? 姿が見えないからみんな心配してたのよ、キョン君」

「ああ……大丈夫だよ、朝倉」

「そ……ならいいんだけど」

そう一言だけ呟くように言うと、朝倉は音もなく踵を返した。

「……なあ朝倉」
「何?」
「おまえはハルヒを……知らない…よな」
「…またハルヒさん? たしか前にも言ってたわよね。どうしたのキョンくん、またおかしくなっちゃったの?」

すぐに思い出したようだった。どうやらこいつは後ろにいる二人よりも記憶力はいいらしい。

「いや…すまん。なんでもないんだ。忘れてくれ」
「変な人ね」

……やっぱり、な。
知っているはずがないんだ。「この世界」のこいつらにとっては、ハルヒはクラスイトでもなければ、SOS団の団長でもなんでもない。
いや、というより、SOS団なんて怪しいクラブは存在していないんだ。
そう。ハルヒは下校途中、あの地獄坂の下にあるいろんな意味で憧れの名門校、光陽園学院の一生徒でしかなくなっている。世界を壊すでもなく、普通の女の子として。
そしてそこは女子高ではなく、共学になっているはずだ。

そう。この……


長門が作り出した、偽りの世界では……


 キーンコーンカーンコーン

6時間目の授業の終了を告げるチャイムが、校舎中に鳴り響いた。
5時間目の授業は地震のせいで行われなかったが、どうやら被害がまったくないことがわかると、
6時間目は通常通りに行こうということになったらしい。
だが、その授業は俺の記憶にまったくない。いつ終わったのかも知らない。何も考えられずにいるうちに、いつの間にか放課後がやってきてしまっていた。

途方にくれた。
どうしてまた、こんなことに……

さっきの……「元の世界」にいた時の、俺の朝比奈さんの言葉をふと思い出した。

「今までいろいろありましたけど……きっともう、そんなに大きな事件は起こらないと思いますよ」

「……朝比奈さん……」

……あなたの勘、全然あてにならないですね……


いつまでもぼーっと座っていて掃除係に教室からつまみ出された俺は、とりあえず、古泉のことを手当たり次第に他の教室を覗いて探してみた。
だが、ほとんどわかりきっていたことだったが、やはりあいつの姿はどこにもなかった。

わかってるさ。
あいつも今は光陽園学院の……もう転校生なんて言われる時期は終わっただろうから、一生徒として、超能力者なんてこともなくハルヒの後ろを着いて回っているんだろう。

「ふう……」

……まいった。前にこうなった時にもまいったけど、今回もやっぱりまいった。

どうすればいいんだ。
どうして俺ばっかりがこんな目に会わなきゃならないんだ。
俺、なんか悪い事でもしたか?
これからどうやって元の世界に戻ったらいい?
再びデタラメな世界が出現した。もう本当の俺を知っているヤツは、どこにも……

「……いる」

…そうだ。そうだった。肝心なヤツを忘れていた。

どんな状況でも絶対になんとかしてくれる万能宇宙人。そして、この世界を作り出した張本人。
…いや、こっちの世界での「あいつ」は、万能でも宇宙人でもなくなっているんだった。
それでも今は…また、あいつに頼るしかない。

あいつなら今日だってSOS団の……じゃない。文芸部の部室にいるはずだ。
いつもと変わらず分厚い本をパイプ椅子に座って読んでいるはずだ。

俺はすっかり歩きなれた道を、慌てて転びそうになりながらも勢いよく駈け出していた。

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最終更新:2007年04月23日 18:56