スタッフコラム

「れるられる」


震災のあと、震災に関するたくさんの本が出ています。

最相葉月著「れるられる」の第2章では、
震災に関わった支援者に目を向けています。
自衛隊員、消防官、警察官、行政職員、医療関係者、そして原子力発電所の事故対応にあたっている方々。
そこには支援者(なにがしかの専門家と言い換えてもいいかもしれないのですが)
なのだから弱音は吐けないという様子がいくつも語られているように思えます。
弱音だけをぐっと飲みこんでいるならまだいいかもしれませんが、
その弱音を飲みこみ続けた結果、心身の不調を生じている様子も語られています。


そして、この章の後半では臨床心理士である私たちにとって非常に厳しく
鋭いまなざしが向けられているように思えます。
その一節をご紹介したいと思います。


「私はここまで「心のケア」という言葉をほとんど使わずにきた。(途中省略)
自分が被害を負う立場になった場合を想像すればこれほど不本意な言葉はないと感じていた。
当事者ではない人にわかってたまるかと反発する思いもある。
(途中省略)そもそもケアという行為自体、
ケアする者とケアされる者という不平等な人間関係を形成せざるをえない。」と。


しかし、私には著者が「だから「心のケア」という言葉が悪いのだ」
と、言葉のせいにして終わりにしたい訳ではないように感じられるのです。
そうではなくて、本のタイトルにあるように、
人というものは様々な場面で知らず知らずに「れる・られる」という関係性が起きやすくなっている様で、
それは、近年あらゆることについて専門家というものが作られ
その有用性を専門家が強調する事に関係しているかもしれないと考えているような
そんな感じがするのです。


そして実は「れる・られる」の関係性は固定的なものではなく、
その両方を振り子のように揺れ動き、
相手を傷つける可能性をはらんでいると同時に、
傷つく側になる可能性も同時にはらんでいることが
前半の支援者のエピソードから言えるようにも思えます。


いずれにしても、この著者の指摘は、これまで臨床心理士の中でも自覚的でありました。
それは避けがたい関係であり、良いか悪いかで片づけることではなく、
そのような傷つきの可能性も含めてお話を伺っていくことが大事なのだと思います。


専門性を強調して「心のケア」は必要ありませんか?と、
むりやり引き出そうとする事は傷つけることになるでしょう。
しかし、震災体験された方も、震災で支援で関わった方も、
心身に不調をきたしながらその事をぐっと我慢されている方もいるかもしれません。
そんな方には、ささやかながら何かお役にたてる事があるかもしれません。


2015/5 くまがい



長くカウンセリングの仕事をしてきて、家族って不思議な人間関係だなあと改めて感じています。


時には一番近い存在として、又時にははるか彼方の存在と思ってしまいます。
何でも分かっていたつもりなのに、薄い膜がはったように、何かが見えなくなってしまいます。
何を考えているのだろう、
「どうしたの?何かあったの?」と聞いても「別に」としか返って来ません。
家庭の中が、ピリピリしたり、どんよりとした空気になったりします。


あるお母さんはふと思いついて、子どもと外で食事をしてみました。
家の中では、ぶすっとしていた息子が気持ちが和らいだのか、
「実はね学校でね・・」と悩みを話し始めたそうです。
場を変えるというのも一つの方法だなと感じました。
これは夫婦の間でも同じかもしれませんね。


家族はお互いを思いやればやるほど、心配をかけたくないと考えてしまうのかも知れません。
特に家族の心配事は一般的ではありません。
だから親しい友人に相談しても、貴方の悩みを理解してもらうのは、難しいかも・・・。
又他人にあからさまには話したくないのも人情です。


私たちカウンセラーはお話を聴く職人だとも思っています。
じっくりとゆっくりとお話を伺いながら、ご一緒に悩んだり、考えたりしたいと思っています。


震災後4年が経って、だからこそ悩みや心配事は今さら言えないと思っておられるかもしれません。
私たちカウンセラーは、逆にこれからが大事な時だと感じています。
ご一緒に歩んでいきたいと思います。

2015/4 中村 加代子


ストレスと話すこと

スタッフのくまがいです。
大きな震災から3年が経ちました。
震災を経験されて、生活が突然変わってしまった方もたくさんいらっしゃると思います。
それでも、自分のうちは近所に比べたら失ったものの大きさ・悲しさは、まだ軽い方かもしれない…
そう思うと、ぐっと想いを言葉を飲み込むしかないという経験はございませんか?

3年という時間の経過の中で、
東北の震災を経験された方々が抱えている課題・お悩みは、
ますます近所の方と共通の課題・お悩みではなく、“うちの事”として個別化しているようです。
近所の人と同じ物差しで比べることは難しくなっているのではないでしょうか?

ところで、ストレスってなんでしょうね?
もしかしたら、肩こり・頭痛・めまい・おなかの調子がすぐれないとか、
眠れない・夜中に目が覚めちゃう・すぐイライラしてしまう・落ち着かないなどなど…
他にもたくさんあるでしょう。
必ずしも、“悩んでいる”という自覚がないような“心身の違和感”
これがストレスなのかもしれません。
医療機関で身体的に問題がないと言われていて、
震災のあといつからか分からないけど、
気づいたら上記のようなストレスがあるという方はいらっしゃいませんか?
あれだけ大きな震災を経験すると誰でもストレスを抱えてしまう可能性があります。

そんなストレスについて、お話をする事がストレス軽減につながる糸口になることがあります。
身体の事だから話をしたって意味がないとお思いの方もいらっしゃるでしょう。
自分の話を積極的に話そうとは思えない方もいらっしゃるでしょう。

でも、ご自分の想いを誰かに話す事は、ストレスとの付き合い方を考え直す機会になるかもしれません。

2014/6/9
くまがい


プロジェクトスタッフのこはしです。
5月半ば、岩手県宮古市の後輩を訪ねてきました。
後輩が宮古の複数の学校を巡回するスクールカウンセラー(SC)になって2年目。
アクティブな彼女に、今年も色々なところに連れて行ってもらいました。

昨年も訪れた田老地区は、がれきがほとんど撤去され更地になっていました。
自治体の方針によって、沿岸部の土地の今後の利用方法が異なるのだそうです。
田老地区は被災した場所に新しい建物を建てることは禁止となっているそうですが、
震災前と同じように建物を建てることを禁止していない自治体もあると聞きます。

学校での相談内容は震災関連の事柄だけでなく、
より深い内容の相談を受けることが出てきたそうです。
巡回スクールカウンセラーに対する学校側の期待も高まってきているようです。

時が経ち、景色は変わって行くのかもしれません。
それでも、震災の影響は今も続いています。
私たちができることはほとんどないのかもしれませんが、忘れないこと、
まなざしを向け続けることをこれからも続けて行きたいと思います。

2014/5/28
こはし


昨夏と今年の冬に福島に入りました。
昨夏は初めて福島駅から南相馬の海まで縦断、美しい日本の故郷の風景が
人が住むことを拒んでいるのが、なんとも辛く心が痛みました。
二本松で浪江町のNPOの皆様と浪江そばを頂きながら、お話を伺いました。
故郷への強い想いと引き裂かれる想いの切なさは、今も心の底に重く沈んでいます。
何もお手伝い出来ないもどかしさを抱えながら、少しでも多くの方に福島の気持ちを
伝えていきたいと考えています。
冬は大雪の日になりました。目的地を訪ねあぐねていましたが、住民の方が声を
掛けて下さり、寒い中暖かさを頂きました。

2014/4/4
中村 加代子

最終更新:2015年05月25日 18:51
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