「態度」の「態」。ある動作が「
誰視点で行われるか」という見方や態度による変化。具体的には、
受動態(受け身)や
使役態が有名。
受動態(受け身):
プリントが配られる。
使役態:
先生が、学生にプリントを配らせる。
3つとも、どれも起こっている事態は同じはず。でも、「学生」という人が「プリント」というモノを「配っている」という、ごくフツウの事態に対して、モノ「プリント」視点でこれをみると「配られている」ということになる。しかも「先生」視点から見ると「配らせている」ということになる。日本語では、
フツウの能動態
に対して
「ラレル」の受動態(受け身)
「サセル」の使役態
があるということになる。
さらに日本語では、これらを組み合わせて
使役受動態
学生が、先生にプリントを配らさせられる
なんて言うこともできる。
ここから発展して、態といえば「動詞が変化して、主語とかその他の要素にも変化を与えること」を指すこともある。
受動態(受け身):
プリントが配られる。
使役態:
先生が、学生にプリントを配らせる。
確かにこの例文では、
主語(「~ガ」で示される)が全部異なる。同様に、
みたいなのも、確かに「主語が複数じゃなきゃいけない」縛りが起こっているので、態だ、という人もいる。この他、言語によっては「
共同態」(みんなで~する)、「
中動態」(自分で~する)なんかも態の仲間に入れる言語もある。
日本語の「ラレル」は、受動態(受け身)だけじゃなく
可能も表したりする。
ここではおいしいご飯が食べられる
この「ラレル」は「食べることができる」という意味を表しているだけで、主語とかの視点が変わっているわけではない…けれど、「ご飯を食べる」→「ご飯が食べられる」という変化が起こっているので、やっぱりこれも態だ、と考える人もいる。
どこからどこまでを態の仲間に入れるかは、言語によっても研究者によっても違う。フツウは、「同じ、似たような変化」をひとまとめにして呼ぶのが便利なので
食べ「ラレル」
食べ「サセル」
食べ「アウ」
は似てないので(
連用形接続)ベツモノ、とか考える。
英語では、
be + 過去分詞
は受動態と呼ぶけれども、
let ONE 動詞
は意味的に「使役」でも、使役態とは呼ばないことも多い。形式が、全然違うので。
最終更新:2013年04月30日 10:11