すっかり遅くなってしまいましたが、『五匹の子豚』のレポートです。
全体の流れは他の方がまとめて下さっているので、ここでは具体的に検証した内容を見てまいります。(ていうか私、コーフンしすぎていて当日の流れはあまり覚えていない……)
ネタバレというか、以下ネタについての話しかしませんが、そもそも作品も読まずにこのレポートを読んじゃう人ってダメだと思うぜ。
当初、課題書を『ゼロ時間へ』とこの作品とどちらにするか迷っていたわけですが、読めば読むほど、この作品を選んで正解だったと思います。
大きなトリックが用意されていないぶん、細かい点がいろいろと工夫されていて、クリスティらしさ(と私が思っているもの)が存分に味わえるからです。
まあ、そんなことは何一つ考えずに、好きだからという理由で選んだだけだったのだが……。
1.作品の周辺
当日は細かい検証に入る前に、作品の成立年代について少し振り返りましたが、そういうことはWikipediaとかで確認できるので省略します。
私にとって興味深かったのは、この作品でも「彼女は若くして死んだ」が引用されていたこと。(180ページ)
これはジョン・ウェブスター『マルフィ侯爵夫人』の一節で、この作品の前年(1942年)に執筆された『スリーピング・マーダー』では、より印象的に引用されているのです(「女の顔をおおえ、目がくらむ、彼女は若くして死んだ」)。
クリスチィがちょうどこの頃ハマっていたことがうかがえますね。
私は母が図書館から手当り次第に借りてきた順番で読んだので、この執筆順に気が付いたことはありませんでしたから、この発見は新鮮でした。
この悲劇はどうやら相当に血みどろらしいのですが、機会が(ていうか邦訳が)あれば読んでみたいなあ。
それから、資料として、クリスティの長編における「動機」と「犯人の末路」というのをまとめてみました。
「動機」
①金銭欲(56%)
②憎悪/愛/復讐(15%)
③悪の組織(12%)
④殺人狂(9%)
⑤自己保身(8%)
①は予想通りでした。
というのも、それこそ私がクリスティを愛読する理由の一つであるからで、妙にこじつけた動機なんかよりもよほど説得力がありますから。やはりこの世はおカネです。
まあ、そういう現実主義がベースにあるため、傑作(それ以外の動機であることが多い)に感動できるっていうかー。それはマニアの楽しみ方か。
そして悪の組織率が結構高いのには笑いましたけど。
しょ~もないスパイものとか結構書いてるからな……。
「犯人の末路」
①逮捕(61%)
②自殺(18%)
③死亡(12%)
④逃走(6%)
⑤見逃す(3%)
こちらはもっと予想通り。
これもまた私がクリスティを好む所以ですが、クリスティは殺人犯に厳しいのだ。
殺人犯は、逮捕されるか死ぬかなの。
私見ですけど、クリスティは、殺人とは「悪に心を開くこと」だと考えていたんじゃないかと思います。
そして、いったん悪に心を開いてしまったら、二度とこちらには帰ってこられないのだと。
そうして嘘に嘘を、殺人に殺人を重ねて、われとわが身を滅ぼしてゆくのだと(このあたりは『ナイルに死す』参照)。
他にも『殺人は癖になる』という邦題をつけられていた作品があるくらいで(Murder in Mesopotamia『メソポタミアの殺人』ちなみにこの作品はイマイチなので読まなくてOK!)、
一度殺人によって箍が外れた人間は、もはや正しい秩序を失ってしまったので、野に放つべきではないってことですね。
ところが、この『五匹の子豚』は、そのクリスティの流儀からはずれる作品です。
「見逃された犯人」の3%というのは、具体的には2作品だけなのですが、その1つがこの『五匹の子豚』なのです。
もう1つは相当に有名なアレですが、この作品もアレも、どちらも「動機」は②で、お金目当てではありません。
再犯の危険もありません。
今回読み返してみて、前半やたらにエルサの描写が多いことが気になったんですが、彼女の若さとその残酷さ、そして彼女がどうしてかそれをすっかり失ってしまい、ぬけがらのように生きているということ……。
そういったみじめさを描きこむことで、読者にこの結末をある程度納得のいくかたちで受け入れさせたかったのかなーと思います。
2.具体的検証
さて、ここからが本題だ!(どれだけ前置きが長いんだ……)
古典ミステリの常として当然ポワロさんが謎解きをしてくれていますが、久しぶりに読んだときの印象は「あれっ、ポワロさんけっこう強引じゃないの?」でした。
そんなに決定的に犯人のエルサを指し示すようなポイントがあっただろうか? という疑問が。
そこで、関係者全員の証言をまとめ、事件当日のタイムテーブルを作成するなどするうちに、要するにそんな決定的な証拠がないことこそがこの作品のキモなんだね? ということに気がつきました……。
先にも述べたとおり、この作品には「これだ!」という大きなトリックがあるわけではなく、だからこそ、何気ない描写の中に真の手がかりをひそませる女史の巧みさが特に際立っているのだと。
聞き間違いに勘違い、思い込みや連想といったものが随所に散りばめられ、登場人物たちはすべてキャロラインを、読者の私たちはすべてアンジェラを疑うように仕向けつつ、
われらがポワロさんは細かい食い違いを積み重ねて真犯人を見つけてゆく。すてきー(わたしはポワロ派でーす! え、聞いてない……?)。
で、そういう細かい手がかりの中でも特に決定的だと思ったのは、
①エルサが2回「セーターを取りに」行ったこと
②「あの子の荷づくりはおれがやる」
③「今日はどれもいやな味がする」
以上の3つです。
このうち②については岡本さんのレポートを参照していただくとして……。
①エルサが2回「セーターを取りに」行ったこと
1度目はフィリップの手記にて言及されていて、書斎でキャロラインとの口論を終えたエイミアスから、砲台庭園へ行くと言われたエルサは「でも、その前にセーターをとってくる。」と言って、2階へ上がっていく。(268ページ)
2度目は、ブレイク兄弟がコニイン紛失について話し合いながらオルダベリーへ戻る途中で砲台庭園へ立ち寄ったところ、エルサはセーターを取りに屋敷へ戻っていて不在だった、という記述。(272ページ)
ポワロさんが解き明かしている通り、一度目は実際にはコニインを盗みにキャロラインの部屋へ行っていたという決定的な場面なのですが、ここから目をそらすために、
作中には「アンジェラがセーターをなくしたので」とか「スカートの繕いをさぼって」等々、やたらに衣服がちらかっています。
③「今日はどれもいやな味がする」
私ははじめ、ここが一番のポイントだと思いました。
ところがですね……。
エイミアスがこう言ったとき、その場に居合わせたのは、キャロラインとエルサだけなのだ(時間表を作って初めて気がついた)。
エルサの記述によると「(彼は)いやな味がする。だが、とにかく、よく冷えてる、と言った」(313ページ) となっている。
じゃあ、「なにもかも」って誰の証言なのよ?
と思ったら、このことばをポワロさんに伝えたのはヘイル元警視でした。(79ページ)
え、ということは、
a. エルサが口をすべらせた
b. キャロラインが証言した
の2択しかない……。ですよね?
うーん、どうなんだろう。
事件直後、エルサがこのことばの重要性にどれほど気がついていたのか、そしてエルサがどこまで狡猾か?
私はエルサは天性の大胆さと狡猾さを持っていたと思いたい読者なので(他のいくつかの作品にも見られるタイプの、衝動によって殺人を行い、その大胆さゆえに容疑をまぬがれえるタイプの殺人者なのだと思いたい)、エルサが言ったんじゃないと思うな。
aではなくてbの「キャロラインが証言した」説をとりたいです。
ただ確認してみても、キャロラインが捜査に協力する態度がどのようであったか、ということには言及されていません。
わたくしの想像では、キャロラインが事件に関係しないと考える範囲では(すなわちアンジェラ犯人説を示す事柄以外は)、事実の通りを証言したのではないかと思うのだけど。
しかし、なんにしても、微妙……。
これほど肝腎な部分をこれほど微妙にするって、どうなのミステリの女王よ!
その他の細かい伏線としては、
④マタタビ、猫、アンジェラのいたずら
メレディスがマタタビのことに触れるのは、コニインの話をしていた時。
「ったく、このおっさんてば余計な話ばかりしていないで、毒人参の話をさっさとしなさいよ!」とイラついた時点で、私は既にクリスチィの掌中で転がされていたのだった。
午前中にマタタビを盗みに実験室へ行っていて、まさにビールに混入しようとした寸前に姉と先生に出くわしたアンジェラの「やましげな表情」が、目に浮かぶようです。
⑤ジャスミン
当日は「ジャスミンの花咲く季節うんぬんのくだりは、いかにも女性らしい描写だよね!」という話になりました。
また、ジャスミン香水とコニインを混ぜても成分は変わらないのだろうか……とかいう疑問も。ねえ。
なお余談ですが、万年筆のスポイトが踏みにじられていた……って、ちゃんとそれを捜査しないの? という方が。当時の技術じゃ復元できないってことにしておいてください。
⑥地形
砲台庭園、オルダベリー、ハンドクロス・マナーの地形の説明が妙に詳しいのは、ここに何かトリックがあると思わせる布石だと感じました(当日、ここにやたら引っかかっている方が1人いらっしゃったのだけど、これはやはり本筋と全然関係なかったと思いますよー)。
誰にもアリバイはないので特に必要か? と思うけれど、たとえばみんなで昼食をしたためた後、フラフラ出て行ったメレディスにも犯行の機会があった、みたいに誘導したかったのかも?
⑦心理的補強
心理的な面で言うと、アンジェラが「その日に」マタタビを盗みに行ったことをすっかり忘れていた件や、ほんとうはエルサの話をしていたのにごまかそうとしてキャロラインが「アンジェラの話をしていた」というのをブレイク兄弟がすんなり受け入れて、
それが皮肉にもエルサの立場を強化することになった点など、いかにも自然に、それでいてよく考えられているなと改めて感心させられました。
それから、エイミアスが浮気性で残酷で女のことなんか実はこれっぽちも真剣に考えていない男だった、ということをあれほど繰り返し強調しつつ、一方では「今回(エルサ)だけは違っていた」と読者に思い込ませるその叙述も巧み。
だって、結果的にエイミアスがその時点で死んでしまったから、エルサが特別だった風になっただけなんだもの。
そのような結末を迎えなかったならば、エルサなんてただの浮気相手の小娘にすぎなかったってことに、なるはずだったのに。
3.その他の話題
参加者の方々から提起された話題としては、
①毒=女の犯行だ! ということで、すぐに犯人の目星がついてしまった。
→なんですって! 今度、毒殺だけど男性が犯人、という作品を探してみます。
②ふつうにだまされた。アンジェラが犯人だと思った。
→ほほほ。理想的読者よ。
③エイミアス/キャロライン/エルサの関係は、クリスティ自身の体験を元にしているのでは?
→この点は、まったくその通りだと思うと同時に、私自身があまりにも作品世界に没入しすぎ、著者のバックグラウンドを無視しすぎる読者であることを反省しました。
皆様がどの程度ご存知か知りませんが、というか私もそういうことには疎いのですが、1926年、母を亡くして悲しんでいたアガサに、当時の夫アーチボルド・クリスティが離婚を切り出します。
他に好きな人ができて、その人と結婚したいとか言って。
(自伝によると、母を亡くして落ち込んでいた「のに」ではなくて、落ち込んでいた「から」夫の心が他の女性に向いたのだ、とアガサは分析している。病気の人とか悲しんでいる人と、どう折り合って良いか分からないような人だったんだって。
アーチー、おまえってやつはよぉ! と私なんかは思いますが、アガサはむしろ、それも一種の感受性の表れと見ていたようです)
ショックを受けたアガサは家出してしまい、これが大騒ぎになって「失踪事件」と言われたりしています。
そして、アガサがそのことについて黙して語らず……だと。
「自伝でも触れていない」と。
しかし、この作品におけるキャロラインの描き方を見れば、当時クリスティがどのように感じていたのか、相当率直に語られているじゃありませんか。
自殺しようとコニインを取ったキャロライン……。
ちなみに、「浮気性の夫」「堪え忍ぶ妻」「ザ・厚顔無恥! 浮気相手の女」という似たような構図をもった『ホロー荘の殺人』でも、夫が殺されているのですが(わはは)、あのガーダにクリスティ自身の面影を見るとするならば、その苦悩がいかばかりであったか……。
男女の三角関係が悲劇に発展するのは『ナイルに死す』(1937)、『杉の柩』(1940)、『五匹の子豚』(1943)、『ホロー荘の殺人』(1946) などですが、こうして見ると私が好きなものばかりだ。
そして、自分にとってはほんとうにつらい経験だったとしても、それを作品にこめずにはいられなかったクリスティは、『ホロー荘』におけるヘンリエッタでもあるわけなんですねー。
ちなみにいちおうアーチーのためにフォローしておくと、その浮気相手の女性とはちゃんと再婚していますから、浮気というかまあ本気だったということなのかな?
こうやってみていくと、作中に実人生の反映を見るのもまた、なかなかに興味深いものなのですなあ。
そういう読み方はどちらかといって邪道と思っていたのですが、読書に正邪の別なしですね。
④エルサの評価
話を読書会に戻すと、エルサを「かわいそう」と感じたか、「典型的な自己中(よくいるタイプ)」と見たかによって、この作品への評価ががらりと異なったようです。
私自身は、これまでは「エルサかわいそう」派でしたが、細かく分析するうちにこいつマジうぜえ 失礼、ウワー全然反省の色がないなー。こわいなー。と若干の修正が施されました。
なんにせよ、このキャラクターを「あわれ」と感じさせるラストに持っていくまでのクリスティの努力にちょっと驚いています。
にっくき浮気相手なのに。
「彼女は若くして死んだ……」「生き残ったジュリエット」などのイメージを駆使して、痛ましいほどの若さを強調したのは、クリスティ自身にとっても浮気相手の女性を人間として理解することが必要だったからなのかしら。
『死が最後にやってくる』のノフレトをあのように描いたのも、そうしなければ、憎しみにとらわれてしまうから?
おっと、感傷癖がでちまった。すんません。
⑤エイミアスの絵
画家であったエイミアス、彼をして結局は死に至らしめることとなったその絵画は、実際にはどんな風であったろうか? という話も出ました。というか、私が出しました。
ゴーギャン
ゴッホ
フランシス・ベーコン
等の意見がありました。
私は、その色彩はエミール・ノルデのように狂っていて、その真実さはセザンヌのように迫ってくるもので、その生命力はアルマ・タデマのように画面から溢れ出てくる……というようなものを想像しましたが、
こういったことはそれぞれが想像の中で楽しむのがいちばんいいのかもしれませんね。無粋でしたでしょうか。
長ーーーーーくなりましたが、最後に、どうしてポワロさんはアンジェラが当時『月と六ペンス』を読んでいたと分かったか?
について、まとめました。
話の本筋とあまり関係がありませんが、興味のある向きはどうぞ。
ここまで読んでしまった好事家の皆さん、お疲れ様でした。
《すげーどうでもいい附録》
どうしてポワロさんは、アンジェラが当時『月と六ペンス』を読んでいたと分かったか?
これまでは気にもとめませんでしたが、この機会に追求しなかったら一生しないので、答えを探すことにしました。
①アンジェラの手記
「シェイクスピアに夢中で……」という記述の後に、なにかを引用している部分があるので、まずこれを確認。
これはサミュエル・A・テイラーの『Sabrina Fair』という戯曲(うるわしい映画の原作だそうで)からの引用だと判明した。
がっかりだが、まあこんなにすぐ見つかるなんて期待してなかったさ。
②モーム『月と六ペンス』
できれば再読したくなかったのだが……。読みましたよ。読み返しましたよ。
言うまでもないでしょうが、『月と六ペンス』は画家ゴーギャンをモデルにした伝記風小説で、株式仲買人としての安定した地位と妻子をうち捨てて、画家になるべく放浪し、極貧の生活をおくり、
ついには南海の孤島に心の故郷を見いだしつつも、難病に苦しみながら壮絶に死んでいったチャールズ・ストリックランドの人生を描いたもの。
読み終えても一向ピンとこないのであった。
この奔放な画家のイメージがエイミアスと重なるから……などという単純かつ茫洋とした理由で、ポワロさんにそんなことを言わせるクリスティではぜったいにないはずなのにー。
③行き詰まる
ネットで検索かけてみたり(苦手な英語で)しましたが、なーんも見つからないの。
④ひらめく
……いきなりひらめきました。
⑤原書を確認
あわてて原書を確認したところ、ビンゴです。
ちょうどひらめいた場所がバスルームだったので、アルキメデスを見習って、われ、見つけたりー! とか言いながら半裸で飛び出てきてもよかったのだろうか。
読めもしないくせに原書を買っておいてよかった。
まあ、要するに、アンジェラの手記に手がかりがないのであれば、だれかほかの人がアンジェラについて書いている部分にヒントがあるとしか考えられないわけでした。
犯人はフィリップ、おまえだ!
以下、その手記からの引用です。
〈旧訳版〉
アンジェラは、最後の悪口をわめきたてながら、寝床に駆けだして行きました。それは、第一に、アミアスをこらしめてやるといい、第二に、死んじゃったらいいのに、第三に、不治の病にかかって死んだらいいきみだ、第四に、物語にでてくるように、ソーセージが鼻にくっついて離れなければいいのに、というのでした。彼女が行ってしまうと、あんまりそのとりあわせがおかしいので、みんながつい大笑いをしてしまったのです。(桑原千恵子訳、211ページ)
〈新訳版〉
アンジェラは大声で悪態をつきながら寝室へ駆けていきました――かならず仕返ししてやる。あんなやつ、死んじゃえばいいんだわ。不治の病にかかって死ねばいいのよ。当然の報いだわ。お伽話に出てくるみたいに、ソーセージが鼻にくっついて二度と離れなきゃいいのに。アンジェラが出ていくと、みんな、大笑いしました。なんとも滑稽な組み合わせで、笑わずにいられませんでした。(山本やよい訳、265~266ページ)
〈対応する原文〉
Angela rushed off to bed with a final vituperative outburst. She said A, she’d pay him out. B, she wished he were dead. C, she hoped he’d die of leprosy, it would serve him right. D, she wished a sausage would stick to his nose, like in the fairy story, and never come off. When she’d gone we all laughed, we couldn’t help it, it was such a funny mixture. (HARPER社版、218ページ)
もう、おわかりですね。「不治の病」とは、「レプラ」(らい病、ハンセン氏病)。
わたくしさきほど「難病」と表現しましたが、それが「レプラ」。
アンジェラにしてみれば、ストリックランドは、自分勝手でいつも絵のことがすべてに優先する義兄と重なってみえた、と。
うーん……出版社として「レプラで死んじまえ」なんて印刷できないのは分かるんだけど、訳本だけ読んでいたのでは全く気がつきようがないという現状はちょっとひどいです。
私は真鍋博さんの表紙絵が好きなのであえて旧版を探し回ったようなやつですが、全体にあまり新訳を評価していないのは、新訳になってもあまりこれといった改善がみられないから。
ただ活字が大きくなって、価格が上がっただけじゃないの。ブツブツ……。
というわけで、もっともどうでもいいがもっとも解決が困難だった謎を解き明かし、スガスガしい気分で私は当日を迎えました。
満を持して発表したところ、お姉様方から「よく見っけたねー!」とお褒めのことばをちょうだいしてデレデレしましたが、「こんなにマジでクリスティの作品を読んだ人もそうはおるまい」という話にもなりました。ほんとにねえ。
実際、この謎を自力で解けた人って他にいるのだろうか。
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