twitterネタ史

140字で紹介

むかしむかしTwitterに、人より少し変わった発想ができるだけの、普通の若者のアカウントがありました。あるとき何の気なしに呟いた文章がとても広がっていき、若者はたくさんの反応をもらいました。若者は思いました。「こういう『ネタ』を考えるは楽しい」と。ここにネタ書きが生まれました。


それから若者はネタを書くようになりました。言葉を捻り、話題を探して、時に作り話も書きました。そうして若者のフォロワーは増え、ある程度有名になりました。若者はうれしく思いました。ここで変化が起きました。人々は人間ではなくネタに興味があって、若者をフォローするようになっていたのです。


「今なにしてる?」を呟くTwitterに、日常のことを呟くとフォロワーが減る、そんな状況になりました。若者は戸惑いましたが、「万人受けを目指す方が馬鹿げている」と考えました。若者は、この時点で、受けを意識して呟くことから逃れられなくなりました。呟く意味は変わり果ててしまいました。


一方、ネタも発信するがネタ以外の呟きで有名になった、元普通のアカウントもありました。それらはアカウントの人間性を維持しながら、むしろ情報や日常の発信をTwitterに限らず行って、またそのようなアカウント同士の繋がりも強く持っていました。若者はこういう人もいるんだと見ていました。


若者は、そのアカウントたちが自分よりも規模の大きいことに驚きました。またそれらのアカウントの、お世辞にもよく練られたと言えない呟き、又はただの挨拶が広がるのを見ました。若者は色々な感情を抱きました。羨ましさもあれば、疑問に近いものも抱きました。そして若者はあることに気付きました。


それは「ある種彼らも自分のようにコンテンツとして成立している」ということでした。そこで若者はサブ垢を作りました。コンテンツではない形でのTwitterの活動を取り戻そうとしたかったのです。それはしばらくは順調でしたが、ある時言われた言葉に、若者は衝撃を受けることになります。そう、


「サブ垢の方が面白いね」……サブ垢では肩の力が抜けていたのかな、と若者は考えましたが、結局頑張って練っていたネタは、ハードルを下げて至近距離のターゲットを撃ち抜いていたのに過ぎなかったのです。若者は目を覚ますチャンスでしたが、ひどく落胆してしまいました。そして悲劇は終わりません。


「ネタクラスタ」――。いつからか、そんなカテゴリに一緒くたにされるようになりました。でも元来、ストイックにネタを書く層はその中にいなかったのです。そして絡みを主とした「ネタクラスタ」の住人たちは次第に飽きて、連鎖的にアカウントを消したり、Twitterからいなくなったりしました。


若者に残されたのは「ネタクラスタはオワコン」という無関係極まりない評価とカテゴライズです。剰え、呟きを丸パクりする層が現れました。彼らは数が多い上に、反応するとマジレスしたこちらが悪いかのように振る舞い、若者には手が負えなくなりました。そして若者はひとつの答えにたどり着きました。


その答えは「Twitterはネタを書くには不向きである」ということでした。リアルタイム性、個人性に重きが置かれる場所で、特定のタイプのネタだけが評価される場所で、マイナス因子の多い場所で、コンテンツになるのは悪手であると、自分がコンテンツ化していると、若者はようやく気づきました。


皮肉にもそれは一緒くたにされた「ネタクラスタはオワコン」という説と同じ結論にたどり着きました。若者のキーボードを打つ手が止まりました。今さら大多数の人や自分が見てきた人のTwitterの使い方をするのは癪だったのです。そして、若者はTwitter以外にネタを書く場所を探しました。


ネタを書く意欲は保ち、かつ無記名なのに功名心が満たされる、または記名性なのに公平に評価の俎上に置かれる、そんな都合のいい場所はどこにもありませんでした。同時に、Twitterをやめることもできませんでした。若者は誓います。「ならば変えてやろう、同じ考えの層は必ずいるはずだ」と……
最終更新:2012年07月15日 01:33
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