書評2

すうがく徒の本棚(2)
書名 鯖田豊之『肉食の思想 ヨーロッパ精神の再発見』(中公文庫)
評者 小泉ふゅーりー

 小麦については1.7倍。大麦では1.6倍。ライ麦にいたっては1.0倍。

 何の数字かといいますと、これらは中世ヨーロッパの穀物生産における、播種量に対する収穫量の割合を表しています。小麦を100粒まくと収穫できるのは170粒、といった具合です。
 水稲の豊富な収穫量に親しんだ我々日本人からしますと、この数字はまるで悪い冗談のように思われます。とくにライ麦など、収穫した分をそのまま来年に回さねばならないというのですから。これが平年のデータだというのはとても信じがたい話で、本書『肉食の思想』の中でも次のようなフォロー が入っています。

(本書p.52)
もちろん、第7表の数字(小泉注:冒頭に挙げた数字のことです)は低すぎる感じがする。凶作のときの特殊例かもしれない。事実、平年作ならふつう播種量の二倍の収穫はある、と主張する学者もある。


 しかし、それにしても「とくに条件のめぐまれた場合を別にすると、収穫量の平均は播種量の三倍から四倍ていどにすぎない」(p.53)とのこと。この数字は十三、四世紀ごろのものですが、「十九世紀はじめでも、たいていのところでは、五、六倍のままである」(同)のだそうです。
 ひるがえって日本。中世ヨーロッパとはやや時代がずれますが、「徳川時代の農業書を総合すると、平均値にあたる中田の収穫量は、大体、播種量の 三十倍から四十倍である」(同)と、文字通りの意味で桁が違います。

 本書『肉食の思想 ヨーロッパ精神の再発見』は、上記のような衝撃的データと、それに基づいた大胆な考察からなる、知的刺激に富んだ「西洋史学研究の問題作」(文庫版裏表紙より引用)です。初版の発行は1,966年、重ねた版は数え切れず。いまだ褪せぬ輝きを放つ名著であります。

~I ヨーロッパ人の肉食~

 表題の通り、本書は日本とヨーロッパにおける「肉食」意識の差を明らかにするところから始まります。たとえば次の挿話。栄養調査に表れる数字に も随分と差がありますが、この体験談からはそれ以上の隔たりが感じられます。(以下、竹山道雄『ヨーロッパの旅』より本書に引用された文章)

………こういう家庭料理は、日本のレストランのフランス料理とは大分ちがう。あるときは頸で切った雄鶏の頭がそのまま出た。まるで首実検のようだった。トサカがゼラチンで滋養があるのだそうである。あるときは犢(こうし)の面皮が出た。青黒くすきとおった皮に、目があいて鼻がついてい た。これもゼラチン。兎の丸煮はしきりに出たが、頭が崩れて細い尖った歯がむきだしていた。いくつもの管がついて人工衛星のような形をした羊の心 臓もおいしかったし、原子雲のような脳髄もわるくはなかった。………
 あるとき大勢の会食で、血だらけの豚の頭がでたが、さすがにフォークをすすめかねて、私はいった。
「どうもこういうものは残酷だなあ――」
 一人のお嬢さんが答えた。
「あら、だって、牛や豚は人間に食べられるために神様がつくってくださったのだわ」
 幾人かの御婦人たちが、その豚の頭をナイフで切りフォークでつついていた。彼女たちはこういう点での心的抑制はまったくもっていず、私が手もとを躊躇するのをきゃっきゃっと笑っていた。
「日本人はむかしから生物を憐みました。小鳥くらいなら、頭からかじることはあるけれども」
 こういうと、今度は一せいに怖れといかりの叫びがあがった。
「まあ、小鳥を! あんなにやさしい可愛らしいものを食べるなんて、なんという残酷な国民でしょう!」
 私は弁解の言葉に窮した。これは、比較宗教思想史の材料になるかもしれない。

 頭からかじられることりさんはかわいそうですね。
 それはさておき、この挿話には色々と気づかされることがあります。日本とヨーロッパにおける「肉食」の差は、単に量的なものというより、むしろ質的な差があるといえそうです。日本で食肉といえばふつうすでに切り身に加工されているものを指しますし、牛や豚の肉と小鳥の肉――鶏以外の鳥の肉がどれだけ出回っているものか分かりませんが――をことさらに区別するということもないでしょう。さすがに犬や猫となれば拒否反応を起こす人が多そうですが。

~II 牧畜的ヨーロッパ~

 日欧間での意識の差を印象づけておいて、筆者は次なるキータームを持ち出します。いわく、「ヨーロッパには雑草がない」。誤解を避けるため、これについて説明している部分を引用しましょう。

(本書p.46)
ヨーロッパには、日本の雑草のような、徒長して家畜の歯にあわないほど茎のかたくなる、何の役にもたたない草は存在しない。そこでは、ひとりでに生える草すら、十分に牧草として利用できる。


 ゆえに、「極端ないい方をすれば、家畜はほうっておいても大きくなる」(p.50)。つまりヨーロッパは非常に牧畜に適した環境であるということです。
 このような牧畜への適正を生み出すヨーロッパの気候条件は、当然穀物生産にも影響を与えます。要するに水稲が栽培できません。ゆえに栽培される穀物は水稲以外ということになるわけですが、その結果が冒頭に挙げた数字です。ちょっと穀物主体ではやっていけない数字ですね。


 本書の筋からは少々ずれますが、このヨーロッパで水稲は栽培できない――正確には栽培に適した土地が極めて少ない――という事実、これはいくら強調しても強調し過ぎるということはないでしょう。
 我々がヨーロッパの歴史について学ぶとき、そこにはいくつかの障壁があります。たとえば環境の差などは一言で語りつくせず、また長々語ったとしてもイメージが定着しづらいものですが、上の事実を意識することは、この障壁を越えるための重要な鍵になると思っています。

 たとえば、日本には「先祖伝来の土地」という概念があります。脈々と続いてきた先祖の苦労があってこその収穫。一度土地を放棄してしまったら持ち直すのに大変な苦労が必要。そうした考え方が日本人の農地意識の根底にあります。しかし、これは世界的には非常に特殊な事情なのです。

 まずは連作障害というもの。世界史を学んでいるとき、その存在は多くの日本人の頭からすっぽ抜けているのではないかと思います(お恥ずかしいことに、私は大学生になってもしばらくその存在を忘れていました)。
 水稲の場合とは違って、ふつうの穀物は同じ土地で毎年続けて栽培すると収量がどんどん落ちてゆきます。これを気にしなくてもよいのは、水稲栽培地域を除けばナイル川の流域くらいなものではないでしょうか。メソポタミア文明は塩害によって滅んだといわれますし、高校世界史でおなじみの三圃制(土地を三つに分け、それぞれを「秋まき穀物→春まき穀物→家畜放牧地」の順に一巡りずつずらして三年で一巡させる農法)が現れたのも連作による収量減退を抑えるためです。

 余談ですが、高校生の時分、私は前段で述べたようなことをまったく理解できておらず、三圃制なんてものは名前だけ暗記する対象以上の何者でもありませんでした。「農業といえば水田でお米を作るもの」という環境で育った人間に前文の()内のような説明を行ったとき、その様式にどういった意味があるのか、ひとりで理解できる人間がどれだけいるのでしょうか。

 また、これは『肉食の思想』では触れられていないことですが、三圃制やそれ以前から行われていた二圃制の普及には、人口の増加やかつて耕してい た土地の劣化などにより耕作適地――土地に休眠期間を設けず毎年収穫物を得ることが可能であるような――ではない土地でも生産を行う必要が生じた という面もあります。
 しかし、そのような土地の薄い土壌は何年も耕作を続けるうちに雨や風によって剥がされ、そう遠くない未来にはほとんど耕作不可能な土地に成り果 ててしまいます(詳しくは『土の文明史』(デイビッド・モントゴメリー/片岡夏実訳、築地書館)などをご参照ください)。こうした事情も世界史の流れに深く関わってくるものですが、水田に囲まれて育った我々にはなかなか思い至らないことではないでしょうか。

~III 人間中心のキリスト教~

 さて、中世ヨーロッパ人は我々が想像するよりもはるかにかつかつな暮らしをしていたようですが、そういった事情は彼らの思想形成にどのような影響を与えたのでしょうか。

 先に述べたように、ヨーロッパは「家畜はほうっておいても大きくなる」牧畜適地であり、そして穀物生産はあのざまです。必然、家畜との結びつきが強くなります。
 筆者は「日本人の肉食はままごとのようなものである」と書きましたが、その言葉を借りるならば、日本人の動物との付き合いもまた「ままごとのようなもの」でしょう。ヨーロッパの人々は、牛や豚などの飼い慣らせば多少の意思疎通すら可能な生物と同じ屋根の下で暮らしつつ、しかもそれらを食用に殺さなければ生きてゆけなかったのですから。

 こうした事情にヨーロッパの人々はどう適応したのでしょうか。先に引用した文中のお嬢さんは、「あら、だって、牛や豚は人間に食べられるために神様がつくってくださったのだわ」と言っています。このように人間と動物の間に絶対的な一線を引くことで、動物愛護と動物屠畜を矛盾なく同居させ ることが可能になります。筆者はこれを「断絶論理」と呼び、そこからヨーロッパにおける様々な事情を説明してみせます。

 たとえばヨーロッパの人々には輪廻転生や進化論といったものに対する強烈な拒否感があるようですが、これらは断絶論理から最も直接的に導かれるものでしょう。彼らにとって、人間と動物は絶対的に分離されていなければならないものなのです。

 次に、キリスト教の結婚観。幼いころから身近で家畜の交尾が見られるような環境では、性を秘めごととして触れないようにすることは不可能です。 人間の性生活と動物のそれが結局同じものであるということを認識したとき、断絶論理はどのように働くのか。
 理想的なのは一切の性生活を拒否することですが、まあ無茶です。次善の策として、教会は「男女の結びつきを「結婚」という鋳型のなかに押し込め」ました(p.93)。カトリックが離婚を禁じていることも、こうした事情の延長線上にあるものとして説明されます。

 最後に宮廷愛。若い独身の騎士と主君の奥方がギリギリの線で――あくまで精神的に――愛し合う、というあれです。そうした恋愛作法(といってよいのか分かりませんが)も断絶論理の表れとして説明できます。決して肉体関係をもたず、精神的に高めあうことに終始するあたりが動物性を払拭していてよろしいのだそうです。

~IV ヨーロッパの階層意識~

 続いて筆者はヨーロッパ人と動物の間の断絶から一歩進め、「ヨーロッパ人とそうでないもの」の間の断絶を探ります。

 まずは日本とヨーロッパにかつてあった身分制の比較。日本の士農工商においては「大阪の富豪一たび怒れば、天下の諸侯皆慄え上る」(蒲生君平) とまでいわれた大商人でも名目上は身分制の最下位におかれるなど、身分制による上下と実社会における上下には大きなずれがありました。
 それに較べると、ヨーロッパの身分制はまさに現実における上下関係そのものです。次の引用文はとくに印象的です。
(以下、鮫島志芽太『日本人の考え方』より引用された文章)

 パリをひとまわりして、コンコルド広場に立ったとき、私はうなった。なるほど、フランスの人民革命は、起こるのが当然だったろうと。その壮大豪華な宮殿や公邸、庭園、寺院を展望すれば、貧しい市民がその中で行われていたであろうぜいたくをいつまでも許してはおくまい。本当にそういう感じのわく、りっぱさである。……

 そこで筆者はこのように記します。

(本書p.125-6)
いずれにせよ、人間と動物の断絶が、なすがままの形で、身分制のなかに投影されていることになる。……そこには、「ほんとうの人間」を求めての断絶論理が一貫している。

 後半の一文、すなわち「階層間の断絶が前章において語られた断絶論理に根をもつ」という点に関しては、私にはどうも根拠が不足しているように感じられましたが、とにかく断絶論理はより広い領域に拡張されました。

 さて、日本における身分の概念が制度の解体とともに消滅した(これは士農工商でなく華族制度のことですが)のに対し、ヨーロッパにおける階層意 識は身分制の解体後も根強く残ります。
 筆者はその例証として、公侯伯子男が存続するイギリスのみならず、公式には貴族の存在しないフランスにおいてすらいまだに爵位への執着が見られること――系図の偽装などによる偽貴族は当時(1,966年頃)で一万五千家もあったそうです。百年も前に貴族階級は消滅し、制度上はわずかの特権すらないにも関わらず!――などを挙げます。欧米型の労働組合(同職の労働者らによる企業横断型の労働組合)についても、「ヨーロッパの伝統的な階層意識が、形を変えて、組合意識を支えている」(p.134)という考察がなされています。

 続いて、本書は基本的に日本とヨーロッパの比較からなるものですが、ここでは例外的にインドのカースト制とヨーロッパの身分制の比較が行われます。どちらも横割り的な階層社会だからですね。
 筆者はここでも肉食に注目します。初めに「人口一人当りの家畜頭数にかんするかぎり、インドは完全に欧米諸国なみである」(p.140)ことを注意し、続いてカーストが下がるほど肉食が自由になることを述べます。最高カーストのバラモンは一切の肉を口にせず、上層カーストは羊のみ、最下層ではほとんど制限なし、といった具合です。

(本書p.141)
けれども、いかなる面であれ、動物(家畜)に接触する機会の少ないほど上層カーストで、肉食を絶対にしないのが最高であるとの立場は、あきらかに、一種の断絶論理の産物である。動物からの距離のちがいが、カースト差別の基準になっている。


 これはヨーロッパと同じく家畜が身近であるという環境から生じたものと考えられますが、では何故同じ「人間と動物の間に一線を画す」という原理 から、ヨーロッパとインドで異なる論理が導かれたのか、という点が問題になります。
 この問題を考える上で重要なのは、やはり気候条件の違いです。日本と違って水産資源が得難いために家畜を飼ってはいますが、インドはヨーロッパ のような牧畜適地ではなく、むしろ穀物栽培に適しています。このあたりの話が次章のテーマとなります。

~V ヨーロッパの社会意識~

 ヨーロッパは牧畜に適した土地柄であり、一方穀物の収穫に関してはあのざまですが、それでもヨーロッパの人々がパン食を止めることはありませんでし
た。この穀物栽培がヨーロッパの人々の意識にどういった影響を与えたのか、というのがこの章の主題です。

 筆者はまず、農民が各人の家で麦類をパンに加工して食す、というのは技術的に不可能に近かったと指摘します。ちなみにパン食にこだわるのは栄養吸収率などの事情からですね。とにかくヨーロッパにおいては「個々の農家の独立性は、日本よりはるかによわい」(p.154)のです。
 こうした事情は時代が下っても食品工業の巨大さ――パンと米の加工・流通について較べてみましょう――などといった形で残ります。こうして時代を通じ、ヨーロッパ人は「社会の存在をいやおうなしに強く意識しなければならない」(p.156)。そして「こうした社会意識こそ、実は、肉食を補完する穀物摂取が、高い肉食率の産物である人間中心主義や断絶論理に影響する原動力なのではあるまいか」(同)。
 続けて筆者は、そもそも休耕地に家畜を放牧する――ゆえにまとまった面積が必要になる――三圃制自体が複数の農家間の協力を要請するものであることを指摘し、自説をさらに補強します。

 こうして農村の事情について説明したのち、筆者は都市の形成に目を向けます。集住者たちは最初期には野盗、繁栄し出してからはさらに封建領主の圧力に対抗するため共同体意識を高め、やがて独自の自治組織をもつ中世都市を生み出します。しかし都市内での貧富の差が拡大するにつれて、次第に 上層市民の間で都市の枠を超えたつながりが育ち始めます。
 こうして「市民意識は、個々の都市を単位とすることをやめ」ます(p.168)。この発展が先に挙げた村落意識との大きな差ですね。これに対抗し
て、封建領主らも横のつながりを深めてゆきます。ヨーロッパの身分制議会――そしてその前提条件である僧侶、貴族、市民といった身分の統一―― は単に断絶論理のみからきたものではなく、こうした社会意識の拡大にも多くを因っています。
 筆者はここで「第三身分を支える階層意識と社会意識のバランスがくずれ、社会意識の方に重心がかかったところに、一七八九年の革命の特徴がある」
(p.172)とも記しています。

 さて、ヨーロッパ史を勉強したことのある方には重々承知のことかと思われますが、ヨーロッパの人々、というかキリスト教徒は異端というものが大嫌いです。三度に渡り行われたアルビジョワ派根絶のための十字軍、魔女狩りで有名な教皇庁の異端審問官、極めつけがカトリックとプロテスタントの対立に由来する十六、七世紀の諸戦争。こうしたヨーロッパ史上の諸々の事件は、ヨーロッパに特有の強い社会意識と断絶論理が結びついた結果として説明できます。つまり彼らには「他人が自分と同じでないことに我慢できない」(p.181)ところがあるようです。

 このような意識が階層意識と同様現代まで生き続けていることの例証として、筆者は「信仰の自由」が名目上かかげられていても実際のところその国その国で税制上優遇される宗派があること、婚姻に際してあらかじめ役場に「結婚広告」を一定期間掲示しておく義務があることなどを挙げています。後者については、公共意識というものの悪い側面が、こうした「のぞき趣味」として現れるということだそうです。

~VI ヨーロッパ近代化の背景~

 ここまで他の地域と比較しつつヨーロッパの思想について考察を行ってきましたが、現代を生きる我々にとってみれば、ヨーロッパの思想といえばまず「自由と平等」、いまやヨーロッパの枠を越え世界中に輸出された民主主義の理念がそれでしょう。こうした近代ヨーロッパ思想の出現を、筆者は主にふたつの要素から説明します。

 まずひとつには、時代が下るにつれてこれまで説明してきたようなヨーロッパの特殊事情が緩和され、伝統思想が後退したという点です。
 総人口に占める都市人口の割合が急増し、都市民の農業――ヨーロッパの「農業」は牧畜とまったくもって不可分なものであることに注意してください――からの分離はだんだんと完成されてゆきます。
 一方農村においても農業革命(土壌への窒素固定作用をもつクローバーなどのマメ科飼料作物その他の導入により、ヨーロッパの農業生産が飛躍的に向上した)以降農家のおかれた状況は一変し、それぞれの農業経営の独立性が高まりました。

 このようにして旧来ヨーロッパの階層意識(断絶論理)と社会意識を育んできた土壌は乾きつつあったのですが、それだけではより普遍的な新思想の到来を予感させるのみで、なぜそれが「自由と平等」だったのかは説明できません。
 そこで第二の点ですが、旧いヨーロッパの階層意識と社会意識の中での生活は、我々が想像する以上に辛く抑圧されたものだったらしいということです。
厳しい重圧に耐えかねた個人意識は、ちょっとしたきっかけに出会って盛大にはじけ、「自由」と「平等」の要求が全ヨーロッパを席巻したのでした。

 本書においては噴出した個人意識のすさまじさが語られるばかりで、たとえばアンシャン・レジーム下に生きた人々の抑圧された様子などには触れられないのですが、以前エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を読んだときにも――内容は半分も理解できなかったのでまさに「読んだ」だけなのですが――そういった厳しい抑圧の気配を感じた覚えがあります。

 ところで、民主主義とか自由や平等の権利といったものは単なる理念ではなく、現代の国家において実際に運用されているわけですが、そこには以下 のよ
うな懸念が生じます。
 これまでの章でも触れられてきたように、ヨーロッパにおける伝統意識はいまだ堅固です。表向きは「自由と平等」、個人主義をうたいつつも、実際の法律の運用においては宗派間の格差が残っていますし、個々人の意識の中にもいまだ伝統思想が息づいていると思われます。すなわちヨーロッパの民主主義は伝統思想(階級意識と社会意識)と近代思想(個人意識)の微妙なバランスの上になるものであって、「自由と平等」というのは強烈な個人意識を一応満足させるための大義名分、フィクションということになります。

 しかしこの「自由と平等」がヨーロッパ外にも輸出可能なものであるのに対して、強烈な個人意識や伝統思想――とくにヨーロッパ特有の諸事情に根 づく後者――は輸出不可能なものです。こうした思想から切り離された「自由と平等」が輸出されるとき、重石を失った大義名分は暴走し、最悪無政府状態を生み出す危険があります。実際日本は無政府状態とはいかないまでも一度そうした事態に陥っており、その結果が太平洋戦争の悲劇である、と筆者は記します。
 著者である鯖田豊之氏は2,001年にご逝去なさっており、今となっては望むべくもありませんが、現代日本の民主主義を氏はどのように捉えているのか、読めるものならば是非読んでみたいものでした。

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最終更新:2012年08月01日 16:50
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