10円泥棒
若い男が、駅で切符を買おうと、路線図を見る。
路線図と交互に、自分の右手に出した小銭を見る。
10円足りない。
男は困った顔をみて左手で頭をかいた。
小銭を右のポケットに入れ、駅を出ようとしたところ、隣で切符を買おうとしていた老婆が小銭をばらまいた。
男は老婆と共に散らばった小銭を拾ってやる。
「すみませんねえ」
「いいですよ」
にこやかに礼を言う老婆に答えながら男は小銭を拾うが、男は10円1枚を自分のポケットに入れた。
散らばった小銭を全部拾うと、老婆は男に礼を言う。
「親切にありがとう」
老婆は右手の平を男の前に突き出す。
「10円、返してもらえますか」
老婆がにこりと笑う。
男はどきっとして、一瞬10円を返そうか迷ったが、この10円を返してしまえば自宅に帰ることができなくなる。
「10円なんて知らないね」
男はぷいとポケットから老婆の10円を含めた220円を取り出し、切符を買おうとした。
「10円返してくれんかのう」
老婆の震えた声を聞き、男が老婆の顔を見ると、老婆の顔は先ほどとは別人のように恐ろしい顔になっていた。
男が驚き、一歩退くと、老婆はその恐ろしい表情のまま男にゆっくりと近づく。
「10円、10円」
と老婆は右手を出したまま一歩ずつ男に近づく。
男は恐ろしくなって走り出し、駅を飛び出た。
すると老婆も男に負けない速さで男を追いかける。
年老いた女性とは思えない老婆の行動に、男は取り乱した。
駅の駐輪場のそばに古びた自転車が放置されていたため、男は自転車に飛び乗った。
「泥棒、泥棒、誰かそいつを捕まえとくれ」
老婆は自転車には追い付けないと思ったのか、そう叫ぶと追いかけるのを辞めた。
「こら、待てー」
男が自転車で駅からどんどん離れていくも、老婆の声を聞いた警察官が自転車で追いかけてくる。
男は速度を上げるが、互いに自転車であるため、警察官との距離は縮まる一方だった。
男は路地を曲がったところで、民家の塀に隠れ、一時的に身を隠そうとした。
ところが家主である女性が玄関から出てきて、男の存在に気付いて悲鳴を上げた。
男は道路に出ようか迷ったが、警察官の警笛の音が聞こえ、出ていけば捕まると思い、女性を民家に押し込み、自分も家屋に入っていった。
警察官の追跡は免れたが、女性は恐怖のあまり悲鳴を上げ続ける。
「静かに、静かにしてくれ」
男が女性の口を塞ごうとすると、女性の夫と思われる男が出てくる。
「誰だてめえ」
男と女性の夫がもみ合いになる。
男が夫を突き飛ばし、強引に間合いをとる。
「どうもすみませんでした、すぐに出ていきますんで、本当、すみませんでした」
男が家を出ようとしたところ、夫が包丁を握る。
「馬鹿野郎、誰が許すか、警察に突き出してやる」
男が家から逃げ出そうとするが、夫は包丁を振りかぶり、男を捕まえようとする。
再びもみ合いになるふたり。
「きゃー」
女性の悲鳴が聞こえると、夫が血だらけで倒れる。
「あなた、あなた」
泣き叫ぶ女性。
「誰か、誰か」
男は恐ろしくなって民家から飛び出そうと玄関扉を開けると、目の前には先ほどの警察官がいた。
「貴様ここにいたのか」
警察官が血だらけの夫を発見する。
「貴様、なんてことを」
警察官が男に近づくも、男は包丁を手に取り、女性を人質にとる。
「う、動くな」
警察官が拳銃を構える。
「馬鹿な真似はやめろ、もう逃げられんぞ」
「うるさい、頼むから出て行ってくれ」
じりじりと男に近づく警察官。
「や、やめろ、来るな」
包丁を高く振りかざす男。
「やめろ!」
警察官の叫び声と共に銃声が響く。
倒れる男。
「奥さん大丈夫ですか」
警察官が女性の安否を確認すると、男に近づく。
「だめか」
暗くなる画面。
暗闇の中に、男の死体だけが映る。
歩いてくる老婆。
老婆は男のポケットを探る。
「あった」
老婆は男のポケットから10円を取り出すとにやりと笑って暗闇の中へ消えていった。
最終更新:2018年06月26日 22:01