日韓併合から100年に、ご意見

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日韓併合から100年に、ご意見




以下抗議文内容


タイカン民国 駐 名古屋 大韓民国 総領事

 イ テウ 殿

わたくし、ゆっくり~~ぃ は、日韓併合から100年に、ご意見いたしまぁ~~す。


 日本と韓国は、今年2010年、1910年の日韓併合から100年を迎えた。
8月22日は条約署名日であり、その「韓国併合ニ関スル条約」発効日である8月29日は、
韓国併合100年の節目をひかえ、日韓両国で様々な動きがあるといわれている。
 日本政府は過去の村山談話を更新する「新総理談話」も含め検討に入っているといわれているが、
保守陣営からは韓国への過度な配慮への懸念も出ている。
 日本と韓国それぞれの歴史観が異なるのは主権国家として、当然である。

 保守論壇の中には、「韓国併合は、結果、徒労に終わった痛恨事」と、
先人の塗炭の努力を一蹴する者もいる。

 はたして、そうであろうか?

 まず第一に、 

 この日韓併合を有効とする「韓国併合ニ関スル条約」は、
かつての李氏朝鮮を国王とする大韓帝国と、
天皇を君主とする大日本帝国との間で結ばれた条約であります。

 第二として、

 我が国、日本においては、第二次大戦の終結、日本の敗戦による、
大日本帝国から、新生「日本」へ再生しました。

 韓国、大韓民国においては、日本の敗戦直後に、
朝鮮半島は、北緯38度以北にソ連軍が進駐し、
南半分は上陸してきた連合国軍(実質的には米軍)の軍政下に入り、
朝鮮の独立運動家でもあった呂運亨(ヨ・ウニョン、りょ・うんきょう)ら‎によって、
朝鮮人民共和国が建国されたが、連合国に否定され、
半島は38度線を境に南北二つの体制に移っていった。

 南朝鮮では連合国の軍政に対して朝鮮人が蜂起する大邱10月事件が起きた。
李王家の帰還を許さず、1948年5月10日に多くの反対を押し切って南単独で総選挙が実施され、
8月15日、李承晩を初代大統領とする大韓民国の樹立が宣言され朝鮮半島南側だけの反共主義国家が成立した。
南朝鮮では連合国の軍政に対して朝鮮人が蜂起する大邱10月事件が起きた。李王家の帰還を許さず、
1948年5月10日に多くの反対を押し切って南単独で総選挙が実施され、
同年8月15日、李承晩を初代大統領とする大韓民国の樹立が宣言され、
朝鮮半島南側だけの反共主義国家が成立しました。

 第三の結論として、

 現在の韓国、大韓民国と締結された条約ではなく、また、現在の日本と締結された条約でもありません。

 噛み砕いて言えば、

 李氏朝鮮を国王とする大韓帝国と、
天皇を君主とする大日本帝国との間で結ばれた条約であり、もはや、それらの、

「韓国併合ニ関スル条約」を締結した、人も、国も、日韓両国ともに、政治的には断絶しており、
学術的、歴史的な検証として、条約の合法・非合法、有効・無効などの条約に関する論争は、有用ではあっても、

 それらの条約に関する論争に政治的結論を見出すことは無意味であります。

 ただし、私は、「韓国併合ニ関スル条約」によって、日韓併合が成立し、
大日本帝国が大韓帝国を併合した事によって、
朝鮮半島の多くの朝鮮人が、中国の冊封体制(さくほうたいせい)から解放され、
その後の大日本帝国の朝鮮半島の統治という、歴史的な必然によって、
現在の、近代的な大韓民国に至ったという事実だけは申し述べておきます。

 日韓併合とは、
大日本帝国の先人の大東亜共栄という大きな理想を目指した、
種まきであり、
 日韓併合後の朝鮮統治とは、
学校や病院などの建設、各種インフラの整備に、
当時の大日本帝国の国家予算の、20数パーセントを朝鮮に投じ続けたことが、
現在の朝鮮人の民度をおおいに引き上げた根源であります。

それらの大日本帝国の先人の塗炭の努力によってなしえた、
日韓併合による朝鮮統治は、
けっして、「韓国併合は、結果、徒労に終わった痛恨事」・・・ではなく、

「韓国併合は、結果、朝鮮人の民度を高めた会心事」・・・であったと、

 私は、確信しております。

平成22年8月1日

ゆっくりぃーーー


最終更新:2010年08月02日 18:49
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