拉致問題を考える2

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小泉訪朝の解剖


 小泉訪朝とはなんだったのか?その詳細なシナリオを書き上げた脚本家の解説本が、
平成21年1月、日本経済新聞社より、"外交の力"として上梓された。
著者は元外務省外務審議官"田中均"氏である。

 以下、その"外交の力"を私(FreeJapan0)なりに解剖してみた。

①田中均氏の外交理念

 田中均氏の外交理念の考え方は、"先例踏襲型"といえる。
それは、彼の外務省でのオックスフォード大学への留学からうかがえる。
 田中均氏は外務省に入るとオックスフォード大学に留学し、英国に日本外交のモデルを求めた。
※以下引用、序章 外交官を志す・英国モデルを死ぬ気で学ぶ、12頁、6行目より・・・
 ・・・、私は日本外交がモデルにすべき国、あるいは外交の目指すべき考え方は、決して米国や、
米国流の考え方ではないだろうと思っていたのである。
 それは決してアンチ米国ということではない。ただ、外交戦略を練り、政策を構築していく上で、
軍事力にせよ、経済力にせよ、巨大な力を前提として組み立てるのは、日本には合わない。
力頼みではなく、一味違った存在感、歴史的に培われた知恵のある国としての国際社会で重きをなす
という外交をしている英国流の物の考え方とか、発想をモデルとして学びたいという意識が強かった。

 ・・・とあり、田中均氏はこの留学から得た考え方を、島国外交としての地政的・国際政治的共通性のある
英国流外交の踏襲を彼自身の外交理念にすえたようだ。

 これは、彼が中心となって作られた"日朝平壌宣言"の草稿のコンセプトに、
日韓国交正常化交渉時の「請求権の相互放棄」を据えたことからも、厳しい見方をすれば"先例踏襲型"とみえる。
※上記参照、第三章 朝鮮半島の難題に風穴を・大きな絵、108頁、15行目より・・・
ただ、日韓国交正常化は、反共同盟国としての火急な課題としての背景があり、
戦後の時間経過と、その間の日本をも巻き込む可能性のあった北朝鮮の南進侵攻による朝鮮戦争、
核・長距離ミサイル開発、拉致問題、オマケとしての偽札、麻薬などを含めた、日本や国際社会に対する
各種反国際社会行為を加味して考えれば、いささか譲りすぎに思えるということを私(FreeJapan0)は指摘しておく。

②田中均氏の外交戦略

 田中均氏の外交戦略の根本的な考え方は、"権力活用型"といえる。
これは、彼のインドネシア・ジャカルタでの外交官としての原体験にかいまみえる。
 1974年1月、田中角栄首相のインドネシア訪問に、インドネシア国内では反日暴動が発生し、
その対応に当たった田中均氏の恐怖の中での原体験としての教訓は、
※以下引用、第一章 外交官としての原体験・ジャカルタは燃えた、22頁、4行目より・・・
 しかしながら、その後の外交官生活を支えたのは、その恐怖心ではなかった。局長が吐いた
「けしからん」という言葉なのである。「けしからん」と人々が思うような事態を作ってはいけない、
外交はこのような事態を未然に防ぐ力なのだ、そのためには受け身で国際関係が展開していくのを
待つのではなく、能動的に国際関係を作る努力をするべきなのだ、という意識を強く持ったのである。
首相が動く時は、やはり国家と国家の関係が動く時でもある。・・・

 ・・・とあり、そして、田中均氏はこの原体験によって、自らの脚本と演出で、
                               小泉劇場の一幕を飾ったのである。

※この田中均氏の"第一章 外交官としての原体験・ジャカルタは燃えた"に関しては、
違った角度からの批判分析があることも、蛇足として紹介しておく。
田中 均 氏のいう「なりふり構わぬ日本企業進出」 というのがそれだが、
反日暴動のスタンダードのような不自然な発生の仕方から、何らかの意図的な動員がみえるとのこの小説は、
昨今の中国にも共通する、反日デモの原点であったのかもしれない。

平成21年4月5日                                FreeJapan0
最終更新:2009年04月04日 17:57
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