拉致問題を考える1

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予備知識


 私自身は、拉致問題の専門家でもないし、知識もそれほど深くはない。
拉致問題は同じ日本人としては看過できない日本の国家主権の侵害といわれる。
 本来"六者協議"は北朝鮮の核問題を議題とするものだった。
その六者協議に、"拉致問題"に関して日朝二国間での話し合いの場が設けられない経緯から、
「拉致・核・ミサイル」の三点を含めた包括的な協議を日本政府は求めた。

 日本政府は、日朝以外の、アメリカ、ロシア、中国、韓国に包括的な協議に対して容易に賛同を得られ、
それらの国が、人道・人権問題としての拉致問題を六者協議の議題として取り組むことによって、
その解決を進展させられるものと信じての六者会談における拉致問題を提起するものだった。
 しかし、国際政治は、拉致問題という人道よりも、核問題という国益が優先された。
 核を議題とすることが、北朝鮮の狡猾な外交によって誘導され、大国の思惑もそれに引きずられた。

 本来、拉致は人身を拉致誘拐することで、犯罪だ。国家主権の侵害以前の、拉致被害者に対する人権の侵害だ。
核武装を中心議題とする六者協議に拉致問題を包括的に安易に織り交ぜようとした、
日本の対北朝鮮政策の失政であったのかもしれない。

 拉致問題が大きく進展したきっかけは、2002年9月17日、"日朝首脳会談"
小泉訪朝と呼ばれるこの電撃的な会談は、当時の世界情勢を考えれば不思議ではなかった。
 当時、アメリカ合衆国のブッシュ大統領による、2002年1月29日の一般教書演説での"悪の枢軸発言"において、
名指しされた金正日は焦ったことだろう。その後のイラク戦争に疲弊するアメリカの事情として、小泉訪朝によって北朝鮮の真意を探るという見立てもあるが、どちらかといえば金正日、本人の焦りが、外務省外務審議官"田中均"氏を通しての小泉訪朝のシナリオを書かせたということが小泉訪朝の真相であると考えられる。

ただし、それが日朝合作のものだとして、
1、日朝平壌宣言"日朝平壌宣言"の共同宣言。
2、日本人拉致問題の解決が、わずかな生存者の存在と、死亡者の発表。
 ・・・であったことが、このシナリオを大きく狂わせ、日本の世論を沸騰させた。

日朝両国政府の人心を省みない国家の都合による狂言芝居であったということが、
                        この小泉訪朝が日本国民に与えたメッセージだったといえる。

2009/3/8  freejapan0
最終更新:2009年04月04日 14:50
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