ゆっくり街宣・北京オリンピックとは、いったい、なんだったのか?

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ゆっくり街宣・北京オリンピックとは、いったい、なんだったのか?




中華人民共和国駐名古屋総領事館総領事 張 立国殿

 二年前の本日、平成20年8月8日。

貴国は、国威発揚のための北京オリンピックを開催された。

これに先立つ、平成20年3月14日、チベット自治区において、

チベット騒乱がおこった。

午前、ラサ・ラムチュ寺近くで百人の僧侶が連日のデプン、セラ寺院の鎮圧に対し、

デモ・抗議活動を行っていたが、この日、警察がやって来て僧侶を殴打、

チベット族市民の怒りを誘発した。

 この後、数万の市民が大規模抗議を行い、過激な事件も発生。当局が大量の軍隊を投入、鎮圧した。

ラサは至る所に軍用車両、装甲車が配置され、催涙弾を使用、発砲などによって局地的に鎮圧、

多くの居民区などで殺戮と拘束が行われた。

 この後、貴国は、漢族を筆頭とする、公式に認められた民族数、56集団の結束を強調し、

北京オリンピックの聖火を全世界にリレーさせた。

 しかし、世界の世論には、この北京オリンピックの聖火を、

中国諸民族56集団の、結束の象徴としてではなく、

チベット騒乱の惨禍(さんか)の炎として認識され、

行き着く国々で、消化の対象とされた。

 中華人民共和国駐名古屋総領事館総領事 張 立国殿

なぜ、北京オリンピックの聖火の炎が惨禍(さんか)の炎となってしまったのか?

 それは、貴国の漢族以外の55集団の少数民族を、

弾圧・搾取するための、野心の炎だったからであります。

 貴国はその後、このチベット騒乱での弾圧の一年後、

2009年6月末には、広東省韶関市(しょうかん-し)の玩具工場で、

漢族によるウイグル人従業員への大規模なリンチ殺害事件が発生し、

この事件が、7月5日、

事件の公正な解決を求めるウイグル人がウルムチ市内で当局への抗議デモを始めた。

およそ3,000名がデモに参加し、デモを鎮圧しようとした治安部隊との間で衝突が発生した。

デモ隊の一部は暴徒化し、車両破壊、放火、漢族住民への襲撃を行った。

デモの発生契機やデモ隊が暴徒化した経緯、デモの鎮圧過程については、

中国当局とウイグル人住民の間で大きく見解が異なる。

 中国当局が、海外の独立運動組織の煽動により計画的に引き起こされた「暴力犯罪」と主張する一方、

 亡命ウイグル人組織の世界ウイグル会議は、自発的に発生した平和的なデモに当局が発砲し、

これに刺激されたデモ参加者の一部が暴徒化したと主張している。

 死傷者についても、中国当局は7月10日に死者は184人であり、

そのうち漢族が137人であるとして死傷者の大半が漢族であると発表する一方で、

 同日、世界ウイグル会議は、中国当局の武力弾圧や漢族の攻撃により殺されたウイグル人の死者は、

最大で3,000人に上る可能性があると主張し、デモ鎮圧の過程で当局による武力弾圧があったことを示唆している。

 中華人民共和国駐名古屋総領事館総領事 張 立国殿

 私はあなたに問いたい。

中国諸民族、56集団の結束をうったえたあの、

北京オリンピックとはなんだったのか?

平成22年8月8日

ゆっくりぃ~~~

最終更新:2010年10月07日 23:57
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