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上山新都心鉄道紹介


いい加減作らないといけない気がしてきたので。

概要&歴史

上山新都心鉄道は南緯47度、西経126度43分に浮かぶ架空の島嶼国家「野島皇国」で最も古い歴史を持つ鉄道会社である。

太平洋戦争の最中、日本軍によって設立された「植山軌道」という路線が始まりで、現在の上山駅から高木横須賀駅にあたる朝駆一丁目までの13㎞を運営していた。
開業当初、社員の大半は海軍出身者で毎朝朝礼の際には「七生報国 天皇陛下万歳」と唱和するのが名物であった。
太平洋戦争末期には米軍による空襲で線路、車両、駅施設などが破壊されたものの、地元の人々の熱意により復旧工事がなされ1945年8月14日に本数が少ないながらも運転を再開した。
翌8月15日には終戦を迎え天皇陛下による「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ・・・」で始まる玉音放送が全駅で流され、多くの人々が衝撃を受けた。

終戦後は海軍等の引き揚げにより、一時的に利用客が減少したが、買い出し需要などで利用客は急増した。

1960年に株式を公開。公開1年後には買収王の名で知られた「上山八郎」経営する財閥「上山財閥」によって、株式の8割が取得された。これにより植山軌道は財閥の傘下に入り、社名も「上山鉄道」となった。
上山鉄道となった後、路線の延長計画が練られ、1973年に灘中央まで開通した。

灘中央駅は上山鉄道線の終着駅として賑わい、最盛期には1日300万人を超える利用客があったとされている。
高坂市への延長は激しい反対運動や暴徒化した反対派による車両焼き討ちに負けることなく進められ、1985年に高坂駅まで開業。
高坂開業時、灘中央駅へ行く旧来の本線は灘中央線という支線に格下げされた。

1997年初代社長の上山八郎が死去。後継者として八郎の長男が就任した。
社長交代時に社名が現在の「上山新都心鉄道」となっている。
社長交代後、近代化が一挙に進められ車両の置き換えを開始。従来は3000系車両が運行されていたが、JR西日本の207系をベースとした5000系電車の投入を開始。
5000系と他社からの譲渡車両の大量投入により、旧型車3000系を1999年までに一掃。引退した旧型電車はほとんどが解体されたが、一部は漁礁として海に沈められた。
5000系の投入完了後、本線の複々線化を進め2001年に高木横須賀までの複々線化が完了。この時、快速列車と特急列車の運転が開始され快速列車用としてN3000系、特急列車用として20600系が投入されている。
2005年には残る区間の複々線化も完了し、新快速の運転がスタート。3700系が投入されている。
現在、上山本線と灘中央線の2路線を運営し毎年300億円もの利益を出す大手企業になった。

車両紹介的な何か

5000系
主力車両。JR207系をベースに製造された。各駅停車専用で最高速度120㎞/h。
7両編成、4両編成、8両編成の3種類。

N2000系
次世代の通勤車を目指して作られた。都営5300形をベースとしている。将来の輸送量減少をにらんで18m車体としたが、現在の所輸送量はそこまで減っていないので12両編成としている。
最高速120km/h。

快速列車、特急列車の増結用。特にライバルとなる路線もないのに転換クロスシート、トイレ付という豪華仕様。
行き先表示器は幕式のように見えるが、幕式ではない。
最高速130km/h。
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