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「第4話:隠されたもの」(2012/11/15 (木) 16:21:55) の最新版変更点
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喜屋武汀。鬼切部守天党の鬼切。現在、トウコから齎された仕事により協力関係となった一つ年下の少女。
……ん、少女というのは言い過ぎだろうか。彼女は平均のそれである私の身長よりも高く、二十歳を過ぎていると言われれば、きっと不信がらずに受け入れてしまえるほどには色々な面において大人だった。
そのギャップなのか、彼女はあえて嘘やからかいを用いる。口八丁手八丁を以て良しとする汀は、普段から本心を奥深くに隠しこんでいる。彼女のふるまいの七割がたが嘘であり、残りの三割は冷酷さと、そしておそらくはひた隠しされた優しさで出来ている。
例えば、そう。人は肉を食す。その時殆どの人間が生きている牛やら、豚、鳥を思い浮かべながら食べることはないだろう。己の世界を守るために、肉を牛肉、豚肉、鶏肉と称しながらも決定的に生きている動物に繋げようとしない。当然の自己防衛機能である。きっと、その現場を見せられれば思うだろう。「可哀そうだから殺さないでやって」と。
だが平気で食卓に出された肉は喜んで食べる。弱肉強食、この場合、弱者である牛は人間が生きるための糧となる。それは食物連鎖による仕方のない事だ。だが一度、屠殺場の中で行われる儀式を目にすれば、人は今まで当然と食していたそれを準備しているモノたちを恨む。
彼らに罪はない。むしろ彼らは普通の人達が出来ない事をやっているのだ。讃えられこそすれ、貶されなければならないところなどない。だが目の前で起こった悲しい出来事に、自身から湧き上がるエゴによって、「あの人たちがやってしまったことだから仕方がない。食べ物を粗末にするのはいけないことだから食すのだ」と、もっともらしい理由をつけて責任をすべて屠る側の人間へと丸投げする。
だからこそ、屠殺場の存在は隠されている。一般人にその現場が目撃されないように、知らずにいられるようにと。
つまるところを言えば、喜屋武汀という女性の立ち位置は一般人ではなく、貶される屠る側にあった。
一般人が襲われることが無いように、平和に暮らす人々に危険が及ばないようにと鬼を狩る。
まだ高校2年生という若さで彼女は修羅の道を歩んでいた。それもおそらくは幼い頃より。でなければこのような地まで《剣》を取り戻すために派遣されるはずがない。私の直死の魔眼に頼らなければならないほどの神代の呪物を相手にいくら人手不足とはいえ、ただここ数年鍛えてきた少女が鬼切部守天党の代表として選ばれるはずがないのだ。彼女が普通ではなく、異常を抱える人間なのだということはそんな現実からも汲み取れる。
助けたはずの相手に恨まれる、なんて日常茶飯事なのだろう。ここ数日、鬼の踏み石を監視していた際に見た彼女の冷たい視線は、普段のそれから見れば完全に別人級だ。無感動に切り捨てる。仮に吸血鬼に血を吸われ、鬼となった友人がいたとしても、彼女は躊躇わずに友人だったソレを切り捨てるだろう。
だがそれは彼女に感情がないというわけではなく、優先順位が存在するというだけの話だった。第一に鬼は殺す。私情は彼女にとって二の次なのだ。
普通の人間から見れば破綻した核である。彼女はそうやって育ち、育てられてきた。切った後に相手の事を考えて悲しむ。それが最後に残された彼女の優しさ。とはいえ、そんなことが続けば彼女が普段から彼女の普通でいられるはずがなかったのだ。
仮面を被る。人懐っこく、だけど猫のように急にじゃれてきたと思えば、興味が失せるとすぐ他の対象へ、その視線を向ける。飄々とした、人を振り回す性格。
とってつけられたチグハグさ故にこそ、真実は綺麗にオブラートに包まれる。
汀の事は好きだった。人間として、彼女の有り様に興味がある。だけど、必要以上に仮面を被っている姿を見るのは苦手だった。先程、青城の連中と話しているときの汀が正にそれだった。
焦っているのだ。きっと本人は気付いていないのだろう。だからこそ空回りする、余裕がない。彼女は焦っている。それも今の彼女にとって、一割にも満たしていないかもしれない優しさによって。
一般人を巻き込むことを良しとしない。鬼切である汀にしてみれば、厄介のお荷物が大量に現れた、ということになる。しかも全員の安全を考えて節介を焼いているというわけだ。彼女から余裕がなくなるのは仕方がない事だと思う。かといって、空回りし続ける彼女を見続けるのは御免であった。
「まったく、メンドくさい……」
どうやら私と関わる人間はいつだって普通ではないらしい。類は友を呼ぶとか、そういうつもりじゃないけど、黒桐幹也という普通すぎる異常さを持つ少年と出会ってからの私は、おかしい。
まあ、考えても仕方のない事だけど。
そういえば――幹也は今頃何をしているのだろうか。トウコの散らかした資料をまとめているか、それとも鮮花にじゃれつかれているか。……考えてみると、何故だかムカついて、イライラしてくる。心が乱れる。いつだって、私がおかしくなる原因の中心点には黒桐幹也がいた。いてもいなくても彼は私の心を引っ掻き回すのだ。
「………」
溜息を一つ。和尚の声が襖越しに微かに聞こえる。おそらくは部屋を案内しているのだろう。甲高い声も入り混じって聞こえてくる。
それも暫く経つと、女子の声しか聞こえなくなった。それに混じってもう一つ。こちらへと真っ直ぐに向かう足音。だが気にすることはない。これはここ数日で聞き慣れた音だ。
「式~寂しかった?」
先ほどまで頭を過っていた女性、喜屋武汀が部屋に戻って来たのだった。
「……別に」
「つれないなぁ。どうしていきなり帰っちゃったのよ?」
「興味がない」
本当は汀の余裕のない態度を見ていたくなかっただけなのだが、正直に吐露するのも癪だ。
「ふーん。ま、いいけどね」
深くは聞いて来ず、その代わりに――
「……なんだ?」
私に向かって汀は手を差し出していた。
「今からちょいオサ達の頃に話し合いに行く必要があるのよ。だから式も一緒にね」
「……オサ?」
ああ、あの気難しそうな少女の事か。
「小山内梢子、愛称オサ。なんかぶすっとした純黒のおかっぱ頭がいたじゃん? ほらほら! それに負けず劣らずぶすっと座ってないでさっさと立つ!!」
そういって半ば強引に私の手を汀が掴む。まったく……しょうがない奴だ。
「…行くとはまだ言ってない」
「――む。式ってあの子たちの事、嫌い?」
「言ったろ?興味がない」
これは本当。彼女等がどうなろうと、どうしようと勝手だし、こちらに迷惑が掛からないというのなら何をしようが構わない。
「興味がないってことは嫌いというわけでもないわけだ」
まあ、それはそうだけど。
「じゃ、いいわね」
有無を言わさず歩き出す。だから、私は行くとは言っていないんだけど。
だけど、何故だろう。彼女に強引に引かれることにひどく落ち着いている自分がいた。
「………」
――喜屋武汀。本当に可笑しな奴だった。
するりと伸びた手が襖を迷うことなく開けた。
それと同時に視界に現れる一人の少女。彼女の手は宙で中途半端に止まっている。
ああ、彼女が襖を開けようとしたときに、ちょうど汀が先に開けたのか。か弱そうに見えるその少女の奥にいる――これは逆に気の強そうな――に視線を定めて汀が手を軽く上げる。
「ちわー」
「どうも」
目を細めて作り笑いをする汀と警戒しているのか小さく後ずさりしながらも返事する黒髪の少女――この人がオサか。
「何か用事ですか?」
「愛想悪ーっ」
たしかに聊か以上に汀は警戒されていた。まあ、最初からこんな調子の汀を相手にしているのだから、当然と言えば当然の反応だが。
「オサ先輩のこういうところは、今に始まったことじゃないですけど」
「何だ、それなら、まあ、いいか」
後輩と思われる少女からのフォローにすぐに立ち直る汀。相変わらず思考を切り替えるのが上手い。
「…………」
「で、葵先生からオサに伝言」
「……オサ?」
自分に使われた愛称に訝しげにオサ――小山内さんが反応する。
「最初ぐらいは礼儀正しく、『小山内さん』とか呼ぼうと思ったんだけど、呼び方途中で切り替えるのってタイミング難しいじゃない?」
別に長い間一緒というわけでもあるまいし、そこまで気を使う必要もないと思うのだが。…ま、汀にそれを言っても無駄か。
「とはいえ最後まで『小山内さん』だと長いし、まどろっこしいし」
……長いか?
「で、同じ年だから『先輩』なんかの敬称も略」
「いいけどね、それで」
軽く溜息を吐いた後、小山内さんが妥協する。
「ま、あたしのことも適当に呼んでいいからさ」
「それではあたしは『きゃんきゃん』と」
「そうきたかっ!?」
年下である少女からの一言にさすがの汀も項垂れる。目には目を、歯には歯をというが、これは酷い。
「きゃんきゃん?」
「きゃんきゃん……」
小山内さんを除く残りの二人が反芻する度に見えないが汀に突き刺さる。
「きゃんきゃんか……」
少し悪乗りしてみるとする。
「……式までそう呼ぶの!?」
こちらを恨めしそうに見た視線を、次は事の中心に坐する少女へと向ける。
「なんかその『弱い犬ほどよく吠える』って感じの響きが、個人的にちょっと嫌なんだけどー」
毒を以て毒を制す、夷を以て夷を制す。言い方は様々あるわけだが。武術を生業にしている汀には一番ダメージがある言葉を無意識に使うこの少女は一体何者だろうか。
「あのさ、百ちー。もうちょっとスタイリッシュでカッコ良さげっぽくなったりしない?」
「では『ミギーさん』一択で」
「…………」
またもや項垂れる汀。どうやらこの少女は汀の天敵であるようだ。
「『きゃんきゃん』とか『みぎやん』とかよりは、シャープな感じだと思いませんか?」
色々と比べるものを間違えているような気がするのだが。
「あー」
どうしたものかといった態度で、短めの髪を指の隙間に、頭を書いていた汀は。
「……ま、いっか」
「いいんだ」
「…いいのか?」
意外にもあっさりと受け入れた。途中、私と小山内さんの声がはもる。
「オサも式もミギーって呼んでいいわよ?」
「……普通に汀って呼ばせてもらうわ」
「オレも小山内に同意見だ」
名字の呼び捨てが気になったのか、一瞬小山内さんと目が合う。だがその視線は眩しいものを見た時のようにすぐに外される。
「そう?」
少し残念そうな響き。
「両儀さんはえーっと」
次は私に矛先を向けたのか、こちらをマジマジと少女が見つめる。
「考えなくていい」
生まれてこの方、愛称なんてつけられたこともないわけだし、必要とも思えない。
「式っちとか、両ちゃんでどうです?」
いや、話はちゃんと聞け。
「………」
無言で軽く睨む。
「――うわ、もしかして私睨まれてます?」
それ以外になんだというのだ。
「百子、いい加減になさい」
軽く小突かれ窘められる百子。小山内さんも大変そうだ。
「式はほら、ちょっとお固いからさ。あまり愛称とかあだ名はねー」
「必要なことでもないだろ」
「それはそうなんだけど。もう少し愛想良くってもいいのよ?」
その言い方がなんとなく、しばらく会うことが出来ない青年のものに似ている気がして、あたしはいっそう仏頂面になる。
しかもそいつの声が私の中でリフレインするのだからムカつくことこの上ない。『式、君は女の子なんだから』。言葉遣いを気をつけろと毎度毎度世話を焼く彼に心の中で毒づきつつ、私はいつもの言葉を呟く。
「……オレの勝手じゃないか」
まったく、幹也も汀もへんなところでずるい。
「……で、先生からの伝言って?」
少女、秋田百子の反省を確認した小山内さんは閑話休題とばかりにずれていた話を元に戻す。
「先生、代打に任せて一休みするから、予定通りに進めておいてって」
「代打?」
「イエス、代打」
バットを振るゼスチャーを織り交ぜ答えた後に、立てた親指で自分の胸元を指し示す。
そして、暫くするとその自身に向けた指をこちらにも。…話が見えない。
「ま、あたしと式なんだけどさー」
「先生に買収でもされましたか?」
「んー、当たらずとも遠からず。合宿中は和尚の食事も、まとめて一緒に作るんでしょ?」
「はい、その予定です」
か弱そうな少女が答える。ああ、つまりは――。
「なんだ、飯を条件に買収されたのか」
「身もふたもない言い方しない!」
まぁ、材料を自分で買いに行く手間が省けるのならばその条件もありだと思うけど。
ここ、咲森寺は田舎であると同時に人気のない所に建っている。仕方のない事ではあるが、2日に一回の食事の材料の買い込みは歩きとバスを駆使せねばならず、中々に面倒だった。
それを考えれば、少々面倒な事を押し付けられようと共同した方が効率的であり。
「まあ、オレはどっちでもいいけどさ」
汀の判断に委ねることにする。……もう決定事項なんだろうけど。
「ぶっちゃけあたしと式だけ除け者なのは寂しいじゃない?」
いや、これといって特には。
「ご飯を炊くにしても、お味噌汁を作るにしても、別々にやると、いろいろ勿体ないですしね」
先ほどのか弱そうな子が同意を得て、汀の調子が上がる。
「そういうわけで、葵先生と和尚とあたしの三人で打ち合わせた結果――」
ひとり、ふたり、さんにんと、人差し指から順繰りに薬指まで持ち上げて数え上げ。
さっとその手をひるがえすと、立てた三本の指は親指一本と入れ替わっており――
「あたしと式も一緒にご相伴にあずかる」
「ギブ」と自分の胸元を、その親指で指し示し。
「代わりにあたしたちも可能な限り、そっちに混じって作務をする」
「テイク」と再び手をひるがえし、ぱっと開いたてのひらを、私たちの方へと向けて差し出す。
「そんな結果になりましたとさ。よっろしくー」
向こうも異論はないようで、小山内さんが一度周りの部員を見渡したあと、汀が差し出した手を握り返した。交渉成立ということだろう。
「それで、先生は?」
「働き手は確保したから、もう先生の出る幕じゃないわね……と、お風呂に」
それでいいのか、教師。
「ちなみに咲森寺のお風呂は温泉だったりして」
「温泉!?」
素っ頓狂な声を百子――秋田百子が上げる。
「上水道を引くみたいに、源泉から温泉水を引いてきたりもできるのよ」
有名な火山が県内にあるこのあたりでは、そう珍しいことではない、と付け足しつつ説明する汀。毎回思うけど、汀って説明好きだよな。
「なかなか、最高なご身分ですねぇ」
「あたしがそそのかしたんだけど、先生なんだから別にいいでしょ?」
犯人はお前か。
「まあ、そうね」
「で、オサ。これからどうするわけ?」
「まずは仕事の分担からかしら」
「妥当な判断だな」
「……あ、ありがとうございます」
「別に敬語じゃなくていいよ。……どうせ汀から年とか聞いたんだろうけど。その当の汀だって溜口だろう?」
「えっと、はい。じゃあ、そうさせてもらうわね」
「ああ」
こちらをちらりと見ながら小山内さんは、振出しに戻る。
「……食事の支度に最低限の人数だしたら、後は全員掃除に回らなきゃって思ってたんだけど――」
「百子ちゃんが脅かすので、もっと掃除甲斐のあるお部屋を想像してました」
「あ、わたしもです……」
和尚が予め手を入れてくれていた故に、既に部屋はこざっぱりと掃き清められていて、寝起きするには文句のない状態にまで整えられていた。
古びてはいても汚くはなく、色の失せた畳などは、好き嫌いの別れる藺草の青臭さを薄めていて、かえって万人向けの居心地の良さに貢献していた。
喜屋武汀。鬼切部守天党の鬼切。現在、トウコから齎された仕事により協力関係となった一つ年下の少女。
……ん、少女というのは言い過ぎだろうか。彼女は平均のそれである私の身長よりも高く、二十歳を過ぎていると言われれば、きっと不信がらずに受け入れてしまえるほどには色々な面において大人だった。
そのギャップなのか、彼女はあえて嘘やからかいを用いる。口八丁手八丁を以て良しとする汀は、普段から本心を奥深くに隠しこんでいる。彼女のふるまいの七割がたが嘘であり、残りの三割は冷酷さと、そしておそらくはひた隠しされた優しさで出来ている。
例えば、そう。人は肉を食す。その時殆どの人間が生きている牛やら、豚、鳥を思い浮かべながら食べることはないだろう。己の世界を守るために、肉を牛肉、豚肉、鶏肉と称しながらも決定的に生きている動物に繋げようとしない。当然の自己防衛機能である。きっと、その現場を見せられれば思うだろう。「可哀そうだから殺さないでやって」と。
だが平気で食卓に出された肉は喜んで食べる。弱肉強食、この場合、弱者である牛は人間が生きるための糧となる。それは食物連鎖による仕方のない事だ。だが一度、屠殺場の中で行われる儀式を目にすれば、人は今まで当然と食していたそれを準備しているモノたちを恨む。
彼らに罪はない。むしろ彼らは普通の人達が出来ない事をやっているのだ。讃えられこそすれ、貶されなければならないところなどない。だが目の前で起こった悲しい出来事に、自身から湧き上がるエゴによって、「あの人たちがやってしまったことだから仕方がない。食べ物を粗末にするのはいけないことだから食すのだ」と、もっともらしい理由をつけて責任をすべて屠る側の人間へと丸投げする。
だからこそ、屠殺場の存在は隠されている。一般人にその現場が目撃されないように、知らずにいられるようにと。
つまるところを言えば、喜屋武汀という女性の立ち位置は一般人ではなく、貶される屠る側にあった。
一般人が襲われることが無いように、平和に暮らす人々に危険が及ばないようにと鬼を狩る。
まだ高校2年生という若さで彼女は修羅の道を歩んでいた。それもおそらくは幼い頃より。でなければこのような地まで《剣》を取り戻すために派遣されるはずがない。私の直死の魔眼に頼らなければならないほどの神代の呪物を相手にいくら人手不足とはいえ、ただここ数年鍛えてきた少女が鬼切部守天党の代表として選ばれるはずがないのだ。彼女が普通ではなく、異常を抱える人間なのだということはそんな現実からも汲み取れる。
助けたはずの相手に恨まれる、なんて日常茶飯事なのだろう。ここ数日、鬼の踏み石を監視していた際に見た彼女の冷たい視線は、普段のそれから見れば完全に別人級だ。無感動に切り捨てる。仮に吸血鬼に血を吸われ、鬼となった友人がいたとしても、彼女は躊躇わずに友人だったソレを切り捨てるだろう。
だがそれは彼女に感情がないというわけではなく、優先順位が存在するというだけの話だった。第一に鬼は殺す。私情は彼女にとって二の次なのだ。
普通の人間から見れば破綻した核である。彼女はそうやって育ち、育てられてきた。切った後に相手の事を考えて悲しむ。それが最後に残された彼女の優しさ。とはいえ、そんなことが続けば彼女が普段から彼女の普通でいられるはずがなかったのだ。
仮面を被る。人懐っこく、だけど猫のように急にじゃれてきたと思えば、興味が失せるとすぐ他の対象へ、その視線を向ける。飄々とした、人を振り回す性格。
とってつけられたチグハグさ故にこそ、真実は綺麗にオブラートに包まれる。
汀の事は好きだった。人間として、彼女の有り様に興味がある。だけど、必要以上に仮面を被っている姿を見るのは苦手だった。先程、青城の連中と話しているときの汀が正にそれだった。
焦っているのだ。きっと本人は気付いていないのだろう。だからこそ空回りする、余裕がない。彼女は焦っている。それも今の彼女にとって、一割にも満たしていないかもしれない優しさによって。
一般人を巻き込むことを良しとしない。鬼切である汀にしてみれば、厄介のお荷物が大量に現れた、ということになる。しかも全員の安全を考えて節介を焼いているというわけだ。彼女から余裕がなくなるのは仕方がない事だと思う。かといって、空回りし続ける彼女を見続けるのは御免であった。
「まったく、メンドくさい……」
どうやら私と関わる人間はいつだって普通ではないらしい。類は友を呼ぶとか、そういうつもりじゃないけど、黒桐幹也という普通すぎる異常さを持つ少年と出会ってからの私は、おかしい。
まあ、考えても仕方のない事だけど。
そういえば――幹也は今頃何をしているのだろうか。トウコの散らかした資料をまとめているか、それとも鮮花にじゃれつかれているか。……考えてみると、何故だかムカついて、イライラしてくる。心が乱れる。いつだって、私がおかしくなる原因の中心点には黒桐幹也がいた。いてもいなくても彼は私の心を引っ掻き回すのだ。
「………」
溜息を一つ。和尚の声が襖越しに微かに聞こえる。おそらくは部屋を案内しているのだろう。甲高い声も入り混じって聞こえてくる。
それも暫く経つと、女子の声しか聞こえなくなった。それに混じってもう一つ。こちらへと真っ直ぐに向かう足音。だが気にすることはない。これはここ数日で聞き慣れた音だ。
「式~寂しかった?」
先ほどまで頭を過っていた女性、喜屋武汀が部屋に戻って来たのだった。
「……別に」
「つれないなぁ。どうしていきなり帰っちゃったのよ?」
「興味がない」
本当は汀の余裕のない態度を見ていたくなかっただけなのだが、正直に吐露するのも癪だ。
「ふーん。ま、いいけどね」
深くは聞いて来ず、その代わりに――
「……なんだ?」
私に向かって汀は手を差し出していた。
「今からちょいオサ達の頃に話し合いに行く必要があるのよ。だから式も一緒にね」
「……オサ?」
ああ、あの気難しそうな少女の事か。
「小山内梢子、愛称オサ。なんかぶすっとした純黒のおかっぱ頭がいたじゃん? ほらほら! それに負けず劣らずぶすっと座ってないでさっさと立つ!!」
そういって半ば強引に私の手を汀が掴む。まったく……しょうがない奴だ。
「…行くとはまだ言ってない」
「――む。式ってあの子たちの事、嫌い?」
「言ったろ?興味がない」
これは本当。彼女等がどうなろうと、どうしようと勝手だし、こちらに迷惑が掛からないというのなら何をしようが構わない。
「興味がないってことは嫌いというわけでもないわけだ」
まあ、それはそうだけど。
「じゃ、いいわね」
有無を言わさず歩き出す。だから、私は行くとは言っていないんだけど。
だけど、何故だろう。彼女に強引に引かれることにひどく落ち着いている自分がいた。
「………」
――喜屋武汀。本当に可笑しな奴だった。
するりと伸びた手が襖を迷うことなく開けた。
それと同時に視界に現れる一人の少女。彼女の手は宙で中途半端に止まっている。
ああ、彼女が襖を開けようとしたときに、ちょうど汀が先に開けたのか。か弱そうに見えるその少女の奥にいる――これは逆に気の強そうな――に視線を定めて汀が手を軽く上げる。
「ちわー」
「どうも」
目を細めて作り笑いをする汀と警戒しているのか小さく後ずさりしながらも返事する黒髪の少女――この人がオサか。
「何か用事ですか?」
「愛想悪ーっ」
たしかに聊か以上に汀は警戒されていた。まあ、最初からこんな調子の汀を相手にしているのだから、当然と言えば当然の反応だが。
「オサ先輩のこういうところは、今に始まったことじゃないですけど」
「何だ、それなら、まあ、いいか」
後輩と思われる少女からのフォローにすぐに立ち直る汀。相変わらず思考を切り替えるのが上手い。
「…………」
「で、葵先生からオサに伝言」
「……オサ?」
自分に使われた愛称に訝しげにオサ――小山内さんが反応する。
「最初ぐらいは礼儀正しく、『小山内さん』とか呼ぼうと思ったんだけど、呼び方途中で切り替えるのってタイミング難しいじゃない?」
別に長い間一緒というわけでもあるまいし、そこまで気を使う必要もないと思うのだが。…ま、汀にそれを言っても無駄か。
「とはいえ最後まで『小山内さん』だと長いし、まどろっこしいし」
……長いか?
「で、同じ年だから『先輩』なんかの敬称も略」
「いいけどね、それで」
軽く溜息を吐いた後、小山内さんが妥協する。
「ま、あたしのことも適当に呼んでいいからさ」
「それではあたしは『きゃんきゃん』と」
「そうきたかっ!?」
年下である少女からの一言にさすがの汀も項垂れる。目には目を、歯には歯をというが、これは酷い。
「きゃんきゃん?」
「きゃんきゃん……」
小山内さんを除く残りの二人が反芻する度に見えないが汀に突き刺さる。
「きゃんきゃんか……」
少し悪乗りしてみるとする。
「……式までそう呼ぶの!?」
こちらを恨めしそうに見た視線を、次は事の中心に坐する少女へと向ける。
「なんかその『弱い犬ほどよく吠える』って感じの響きが、個人的にちょっと嫌なんだけどー」
毒を以て毒を制す、夷を以て夷を制す。言い方は様々あるわけだが。武術を生業にしている汀には一番ダメージがある言葉を無意識に使うこの少女は一体何者だろうか。
「あのさ、百ちー。もうちょっとスタイリッシュでカッコ良さげっぽくなったりしない?」
「では『ミギーさん』一択で」
「…………」
またもや項垂れる汀。どうやらこの少女は汀の天敵であるようだ。
「『きゃんきゃん』とか『みぎやん』とかよりは、シャープな感じだと思いませんか?」
色々と比べるものを間違えているような気がするのだが。
「あー」
どうしたものかといった態度で、短めの髪を指の隙間に、頭を書いていた汀は。
「……ま、いっか」
「いいんだ」
「…いいのか?」
意外にもあっさりと受け入れた。途中、私と小山内さんの声がはもる。
「オサも式もミギーって呼んでいいわよ?」
「……普通に汀って呼ばせてもらうわ」
「オレも小山内に同意見だ」
名字の呼び捨てが気になったのか、一瞬小山内さんと目が合う。だがその視線は眩しいものを見た時のようにすぐに外される。
「そう?」
少し残念そうな響き。
「両儀さんはえーっと」
次は私に矛先を向けたのか、こちらをマジマジと少女が見つめる。
「考えなくていい」
生まれてこの方、愛称なんてつけられたこともないわけだし、必要とも思えない。
「式っちとか、両ちゃんでどうです?」
いや、話はちゃんと聞け。
「………」
無言で軽く睨む。
「――うわ、もしかして私睨まれてます?」
それ以外になんだというのだ。
「百子、いい加減になさい」
軽く小突かれ窘められる百子。小山内さんも大変そうだ。
「式はほら、ちょっとお固いからさ。あまり愛称とかあだ名はねー」
「必要なことでもないだろ」
「それはそうなんだけど。もう少し愛想良くってもいいのよ?」
その言い方がなんとなく、しばらく会うことが出来ない青年のものに似ている気がして、あたしはいっそう仏頂面になる。
しかもそいつの声が私の中でリフレインするのだからムカつくことこの上ない。『式、君は女の子なんだから』。言葉遣いを気をつけろと毎度毎度世話を焼く彼に心の中で毒づきつつ、私はいつもの言葉を呟く。
「……オレの勝手じゃないか」
まったく、幹也も汀もへんなところでずるい。
「……で、先生からの伝言って?」
少女、秋田百子の反省を確認した小山内さんは閑話休題とばかりにずれていた話を元に戻す。
「先生、代打に任せて一休みするから、予定通りに進めておいてって」
「代打?」
「イエス、代打」
バットを振るゼスチャーを織り交ぜ答えた後に、立てた親指で自分の胸元を指し示す。
そして、暫くするとその自身に向けた指をこちらにも。…話が見えない。
「ま、あたしと式なんだけどさー」
「先生に買収でもされましたか?」
「んー、当たらずとも遠からず。合宿中は和尚の食事も、まとめて一緒に作るんでしょ?」
「はい、その予定です」
か弱そうな少女が答える。ああ、つまりは――。
「なんだ、飯を条件に買収されたのか」
「身もふたもない言い方しない!」
まぁ、材料を自分で買いに行く手間が省けるのならばその条件もありだと思うけど。
ここ、咲森寺は田舎であると同時に人気のない所に建っている。仕方のない事ではあるが、2日に一回の食事の材料の買い込みは歩きとバスを駆使せねばならず、中々に面倒だった。
それを考えれば、少々面倒な事を押し付けられようと共同した方が効率的であり。
「まあ、オレはどっちでもいいけどさ」
汀の判断に委ねることにする。……もう決定事項なんだろうけど。
「ぶっちゃけあたしと式だけ除け者なのは寂しいじゃない?」
いや、これといって特には。
「ご飯を炊くにしても、お味噌汁を作るにしても、別々にやると、いろいろ勿体ないですしね」
先ほどのか弱そうな子が同意を得て、汀の調子が上がる。
「そういうわけで、葵先生と和尚とあたしの三人で打ち合わせた結果――」
ひとり、ふたり、さんにんと、人差し指から順繰りに薬指まで持ち上げて数え上げ。
さっとその手をひるがえすと、立てた三本の指は親指一本と入れ替わっており――
「あたしと式も一緒にご相伴にあずかる」
「ギブ」と自分の胸元を、その親指で指し示し。
「代わりにあたしたちも可能な限り、そっちに混じって作務をする」
「テイク」と再び手をひるがえし、ぱっと開いたてのひらを、私たちの方へと向けて差し出す。
「そんな結果になりましたとさ。よっろしくー」
向こうも異論はないようで、小山内さんが一度周りの部員を見渡したあと、汀が差し出した手を握り返した。交渉成立ということだろう。
「それで、先生は?」
「働き手は確保したから、もう先生の出る幕じゃないわね……と、お風呂に」
それでいいのか、教師。
「ちなみに咲森寺のお風呂は温泉だったりして」
「温泉!?」
素っ頓狂な声を百子――秋田百子が上げる。
「上水道を引くみたいに、源泉から温泉水を引いてきたりもできるのよ」
有名な火山が県内にあるこのあたりでは、そう珍しいことではない、と付け足しつつ説明する汀。毎回思うけど、汀って説明好きだよな。
「なかなか、最高なご身分ですねぇ」
「あたしがそそのかしたんだけど、先生なんだから別にいいでしょ?」
犯人はお前か。
「まあ、そうね」
「で、オサ。これからどうするわけ?」
「まずは仕事の分担からかしら」
「妥当な判断だな」
「……あ、ありがとうございます」
「別に敬語じゃなくていいよ。……どうせ汀から年とか聞いたんだろうけど。その当の汀だって溜口だろう?」
「えっと、はい。じゃあ、そうさせてもらうわね」
「ああ」
こちらをちらりと見ながら小山内さんは、振出しに戻る。
「……食事の支度に最低限の人数だしたら、後は全員掃除に回らなきゃって思ってたんだけど――」
「百子ちゃんが脅かすので、もっと掃除甲斐のあるお部屋を想像してました」
「あ、わたしもです……」
和尚が予め手を入れてくれていた故に、既に部屋はこざっぱりと掃き清められていて、寝起きするには文句のない状態にまで整えられていた。
古びてはいても汚くはなく、色の失せた畳などは、好き嫌いの別れる藺草の青臭さを薄めていて、かえって万人向けの居心地の良さに貢献していた。
「部屋の掃除は、必要なら後からそれぞれやればいいってレベルよね。
わざわざ人手を割くことないから――」
言葉を一旦止め、小山内さんは開かれた襖の先に見える風景を見据えた。
私と汀も一緒になって境内を見る。ここ数日で見慣れたいつもの風景。和尚ひとりでは手に余るだろう広々とした敷地。夏にもかかわらず真っ白な地面。
小山内さんは真っ白な――夏椿が散った地面を眺めて。
「とりあえず、今日の所は境内辺りからかしら」
そう言って他の部員に確認した。
山と積まれた白い花は、まさに掃いて捨てるほど、放って置けば腐るほどあるのだ。掃除場としてはうってつけ……とはいえ。
掃除しても次の日にはまた山が出来ているのだろうな。なんて考えてしまうと、徒労に終わる労働が億劫になるのは仕方のない事である。
「それで手一杯だろうけど、廊下とか広間とかは、するなら迷惑にならない範囲で」
「その場合は、和尚さまに確認をとるようにします」
「うん、そうして」
まあ、ここで意見を出したところで剣道部の連中は掃除する気満々なようで。ちらりと汀を見てみれば普通に手伝う気みたいだし。
「お風呂は先生が入ってるから、特に手を付ける必要なし」
ちなみに二十四時間風呂である。まあ、源泉かけ流しの温泉だし。
「後は食事の支度ですから――」
桜井さんの口から出た“食事の支度”という単語に反応してか、部員全員の視線がか弱そうな少女へと向けられる。つまりは――
「ほう?」
部員と一緒に彼女を捉えていた汀は、視線だけでは足りぬとばかりに、そのまま一歩二歩と歩みを進め、物理的に距離を縮めると。
「あ―――っ!?」
何を企んでいるのかと思えば、いきなり彼女の顔の両側をがっしり両手で挟み込み、自分の顔を近づけた。
「……え?」
汀の落とす影の下、被捕食者はきょとんと眼を見張る。……というか、いきなりそれは止めろ。
「なるほどねー、これはいかにもお菓子作りとかやってそうな顔だわ」
「え? え? ええ?」
戸惑う少女と笑顔で這い寄る変質者。そんなイメージが頭の中に沸き立つ。……なんか無性にムカついてきた。
「ちょーっ! ミギーさん何をーっ!?」
汀を捕まえようと動こうとした足が隣からの悲鳴によりピクリと止まる。
「やすみんの観察」
対する汀は平然と言い放つ。観察っておまえ、観るだけに飽き足らず触れてるだろう。
「ちょっちょっちょっ、ちょーっとスキンシップ過剰なんじゃないですかーっ!?」
その必死な形相に気付けば、私の中に沸いたもやもやした感情は形を潜めていた。が――。
「オサ先輩! ぼーっと見てないでざわっち助けてあげてください!」
次はおまえの顔が小山内さんと近すぎるぞ、秋田さん。
それもいつものことなのか、小山内さんはひとつ大きなため息を吐くと、か弱い――いや、保美だったか。相沢保美――と汀の間に割って入った。
「手伝ってくれるのはありがたいけど、うちの部員に変なちょっかい出さないでよね」
「良いじゃない、減るもんじゃないし」
「減るわよ。神経だとかやる気とか」
顔を赤く染めた相沢さんとジト目で汀を見る秋田さん。
「うわー、何気にひどーい」
それにプラスして、情け容赦ない小山内さんの一言が汀にダメージを与える。
汀は冗談めかして嘆いて見せると、大人しく両手を放した。私といるときもそうだが、やはり汀は初対面から馴れ馴れしすぎると思う。――そう、やっぱりアイツみたいだ。
ふと、またもや黒縁眼鏡が視えた気がして、私はいっそう仏頂面になる。
――ま、幹也はこんな嘘でこりかためたりとかはしないんだけど。
寧ろ、真正面過ぎて恐れ入る。
「なら、情報ぐらいはちょうだいよ。やすみんが剣道部の料理番長って認識でオーケー?」
「えっと……」
不貞腐れる汀にはにかみつつ視線を泳がせる相沢さん。
「ざわっち印の美味しいごはんは、ほっぺた落ちる出来映えですよ?」
何故か、かわりに隣にいた秋田さんが自慢を始めた。
「ほほう」
「それはもう、寮のごはんを作ってくれる、調理師のおねーさん達が嫉妬するほどなのですよ」
「百ちゃん、それ言い過ぎ……」
「いーや、ンなこたァないね! ありませんね!」
いや、なんでおまえがそこまで自信たっぷりなんだよ?
「へー、本当なら大したもんね」
どうやら私に対しても所見は疑っていたようだが、私みたいなタイプやお嬢様学校に通う目の前にいるお嬢様たちは料理が出来ないというレッテルが汀の中では貼ってあるようだ。
「オサは知ってた?」
「話というか噂はね。私は自宅通学だから」