第九次ダンゲロス

人魚と鷹


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「おう、ノエルじゃねーか! 今帰りか!?」

 力強い大声が頭上から降り、少女の鼓膜をびりびりと揺らした。
 渡良瀬ノエル――逆立ち歩きの淡水人魚の少女は、目をチカチカさせ声の主を仰ぐ。

 少女の視界いっぱいにカーテンのように広がるロングスカートから、目線を上へ。
 健康的なお臍を露わにする短セーラー服を身に纏い、腕を組み、快闊な笑みを
 浮かべ――時代錯誤にもリーゼントをこしらえた少女が、目の前に仁王立ちしていた。

 その顔を認め、ノエルはうんざりしたように溜め息をつく。

「また、あんたね……鷹絛楓」

「おっ! 名前、覚えてくれたんだな!」

 そう言って、番長グループ一年・鷹絛楓はまたニカッと笑うのだった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 ――お前が渡良瀬ノエルだな! オレは鷹絛楓! なあ、オレとダチになろうぜっ!

 鷹絛楓が渡良瀬ノエルに『そう』言ったのは、今から一週間ほど前のこと。
 『家庭科室事変』の記憶も新しい、酷く蒸し暑い日であった。

 調理実習中の番長グループメンバーが生徒会を名乗る魔人たちによって襲撃され、数名の死傷者を出した『家庭科室事変』の後、『体育館裏の報復』と並行し、番長グループは生徒会との全面戦争を視野に入れ、欠員補充に躍起になっていた。

 そんな折、新入生の中に人魚がいるという話が上がった。
 人魚といえば、知る人ぞ知る幻の戦闘術『ウタ=カタ』である。
 これが戦列に加われば、番長グループの戦力は格段にアップするだろう。

 …………そして、そのような思惑とは一切関係なく、ただ「ダチになりたい」という真っ直ぐな理由のみで、鷹絛楓は渡良瀬ノエルに声をかけたのだった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 東京都江戸川区に存在する、水生の魔獣や妖怪などが集められた展示施設。
 それが、渡良瀬ノエルが住み込みで働く、葛西臨海水族館である。
 ふつうのお魚とかがいるのは葛西臨海水族“園”なので、間違って入らないよう注意だ!

「あっ、お母さん! 人魚!」「あらまあ、綺麗ねえ」

 ドーナツ状の大型水槽を漂いながら、来場客ににこやかに手を振るだけの仕事。
 鷹絛楓を振り切って帰宅した渡良瀬ノエルは、毎日、放課後はここで働いている。

「ヒャッハー! あのねーちゃん、おっぱい丸出しだぜー!」「もっと見せろォー!」

 カップ麺片手にモヒカンザコたちが囃したて、ノエルは眉を顰め胸元を手で押さえる。
 いくら生活費のためとはいえ、見世物にされているという恥辱・屈辱は拭えない。
 放課後から閉館までの数時間の仕事でさえ、彼女にとっては精神的に重労働であった。

 閉館後、食事を済ませたノエルは、暗い水槽内で明日の授業の予習に励む。
 ウタ=カタ奥義『ダイバブル』――空気を内包する泡が教科書とノートの置かれた机を包み込み、彼女の学習環境を約束している。
 忙しなくペンを動かしながら、少女はひとり、呟く。

「あいつ……鷹絛。よくもまあ、何度もしつこく来るもんよね」

 かつての集落で交際を迫ってきた雄の人魚たちや、あるいは物珍しさに近づいてきた現在のクラスメートたちは、一度そっけなくしただけで簡単に離れていった。
 唯一人、鷹絛楓だけは、何度袖にされようと、暑苦しく声をかけてくる。

「…………」

 軽薄な男たち。野次馬根性丸出しの人間。
 若くして様々な辛酸を舐めてきたノエルにとって、自分以外に信用できるものはない。

 それでも――鷹絛は。鷹絛となら。
 あの不思議な雰囲気を持つ女となら、あるいは――。

「ちょっといいかしら、渡良瀬さん?」

 水槽の向こうから唐突に呼びかけられ、ノエルは顔をあげる。
 人間の女性の下半身、魚の鱗に覆われた腕や首元、そしてチョウチンアンコウめいた顔。
 額からぶら下がるイリシウムがぴかぴかと明滅し、暗闇にその姿を現している。

「蘭丹さん」

「蘭丹“先輩”よ」

 イリシウムに『先輩』の文字が点灯し、威圧的に明滅する。
 この半魚人は、ノエルと同じくこの水族館で働いている蘭丹(らんたん)という者だ。
 水族館におけるノエルの先輩にあたり、それを嵩にかけて何かと突っかかってくる存在であった。