第九次ダンゲロス

幼女には向かない職業


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【hard-boiled side】

 部屋中に漂う埃と煙、古ぼけた匂いの中で俺は目を覚ました。
 無性に喉が渇く。
 ──────昨日の安酒が祟ったか。
 いまいましい眠気を追い出すかのように軽く頭を振ると、所々破れたソファベッドから身を起こして書き物机の上にあった飲みかけの水割りで喉を潤す。
 生温い感触に俺は少し眉を顰めたが、結局は構わずに飲み干した。
 漸く人心地つくと、少し手荒にウィスキーグラスを戻す。年代物のマホガニー材の机が強引な口付けに不満そうに大きな音を立てた。
 見慣れたいつも通りの事務所。手狭で北向き、築数十年のお世辞にも快適とは言えない物件だが、贅沢は言えない。それに住めば都とはよく言ったもので、多少の愛着が無いでもない。
 天井の染み。壁の穴。床の傷。
 ──────アンティークにはアンティークの良さがあるってものさ。
 ふと隙間風に気付くと、入り口の扉が薄く開いていた。このご時世、戸締りを忘れるほど俺は間抜けじゃない。
 となると、結論は分かりきっている。
 苦い呟きが零れた。
 「やれやれ、全くあのじゃじゃ馬め…………」
 我が愛しのスイートハート、ナンシーは朝になるやいなや、さっさと抜けだしてしまったらしい。昨夜はあれほど情熱的で可愛かったと言うのに。
 良い女というものは、まるで気ままな猫のようなものだ。僅かに残った温もりを感じ取るかのようにソファベッドを撫でると、俺は苦笑交じりに呟いた。
 しかし何時までも感傷に浸らない処が、ハードボイルドのハードボイルドたる所以である。俺はえいや、と重い腰を上げると粗末な造り付けのキッチン、と呼ぶのも憚られるような見窄らしいコンロ置き場に出向く。洗い場に突っ込まれたマグカップの中から最もましな──────と言っても、取っ手が繋がっていて底が抜けていないもの、程度の意味合いだが──────一つを顔を顰めながら選び出し、黒い泥水のようなほろ苦い豆の恵みの珈琲と味気の無いパンという遅い朝食の準備を始める。
 幸いにしてまだガスは止められていないようで、若干手間取りながらも用意を終えると、今度は自分の身支度だ。
 男は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。と、偉大なる大先輩は有難くも腹の足しにもならない名言を残してくれた訳だが、昨今ではそれに加えて身綺麗でなければ生きていると認められない、というまことに生きにくい世の中だ。
 いっそ原始時代に戻った方が楽なんじゃないかね、と思う事も無いではないが、今さら酒も煙草も無い生活など耐えられる筈もない。結局、騙し騙しやるしかないのだ。
 我ら哀れな人間に知恵を与えたもうた慈悲深きクソッタレに乾杯、というわけで、くだらない事を考えつつも鏡の前に立つ。
 真っ赤なワイシャツにネクタイ。その上から工藤俊作と見紛うばかりの黒の上下を身に纏えば、一分の隙も無いハードボイルドの完成。
 着替えを済ませ、髪を整える。気が付けば随分と伸びている。そろそろ切りに行くべきか。馴染みの美容院は腕は良いのだが、女たちは些か馴れ馴れしく接してきて閉口する事もしばしばだ。
 コート掛けに引っ掛けたままの茶褐色のトレンチコートは、あと三ヶ月程は夏休み中だ。その上のソフト帽、この相棒には休みはやれないな。
 ボルサリーノを目深に被り、お洒落な靴を履き、整えた身嗜みを確認すると、ダークスーツの胸ポケットからシガーを取り出して咥える。
 ちらり、と机の上の手紙を見る。
 手紙の内容はシンプルなものだった。
 『来たるハルマゲドンにおいて、転校生の介入を排除する為に力を貸してほしい』
 つまり言ってしまえば、用心棒のようなものだ。
 「探偵は始末屋じゃないんだがな…………」
 あまり乗り気にはなれなかったが、世間には色々と見えない縄が存在する。義理や人情、恩義や貸し借り──────くだらなくも無視できないしがらみだ。
 とはいえ勿論、やるからには仕事はきっちりと果たすつもりだ。
 額縁の裏の金庫に隠したコルトを取り出す。
 ふと、思い出した。
 地下の酒場のカルメンと、今夜はランデブーの予定があったな。
 ──────必ず行くからそこで待ってろよ。



 【sweet-heart side】

 部屋中に漂う埃と煙、古ぼけた匂いの中で俺は目を覚ました。
 吾輩は猫である、名前はまだ無い──────と言いたいところだが、そうも行かない。
 俺の名はナンシー。女みたいな名前だが、れっきとした牡である。ただ、主人が勝手にそう呼んでいるだけだ。それもその日の気分で変わる始末。まぁ、名前など俺にとっては何でも構わない。
 前足を突っ張り、思い切り伸びをする。
 この部屋は少し埃っぽい。主人があまり掃除というものをしないからだ。
 漂う煙の匂いは、恐らく主人の家族の誰かが台所で朝食の魚でも焼いているのだろう。猫の本能をくすぐる良い匂いだ。
 起き抜けの喉の渇きに、室内を見回す。残念ながら丁度良い水分は見当たらない。机の上に主人が愛飲する飲みかけのカルピス──────本人は水割りと言い張っている──────があるものの、これは少し甘ったるい。
 かといって、珈琲と言い張っている黒豆ココアとやらもやはり甘くて猫の口にはどうも合わない。
 大人しく部屋を出て台所へ出た方が良さそうだ。うまく行けば魚にもありつけるかもしれない。
 「…………ふにぃ……ナンシー…………」
 ソファベッドに横たわり、むにゃむにゃと寝言を呟く我が主。微かな寝返りに、僅かに掛け布団がずり落ちる。
 ──────やれやれ、全く。
 俺は器用にも口で薄手の布団を咥えると、掛け直してやる。正直、毎夜寝る際にぬいぐるみの如く情熱的に抱かれるのは勘弁願いたいところなのだが、罪の無い寝顔を見ればそれも微笑ましい。
 人間にしては毛並みの良い髪は、随分と伸びている。そろそろ美容院とやらに行った方がいいだろう。主人はいつも美容師達に文字通り可愛がられている人気者だ。もっとも、本人は納得していない面もあるようだが。
 ちらり、と机の上の手紙を見る。
 手紙の内容はシンプルなものだった。
 『来たるハルマゲドンにおいて、転校生の介入を排除する為に力を貸してほしい』
 そこまではいい。だが、問題はその後。
 その宛先は、一八一八(にのまえ・やいば)となっていた。また配送間違いに違いない。それとも、主人が勘違いして持ってきただけか。
 ──────やれやれ。
 相変わらずそそっかしく、危なっかしいお嬢ちゃんだ。
 俺はまた一つ厄介事を背負い込み、嘆息する。
 ──────全く、猫には向かない職業だぜ。
 主人がシガーと呼んでいるチョコレートの匂いは、あまり好きではない。さっさと出ることにしよう。
 ドアノブに飛びつくと体重を掛け、くるりと回して扉を開く。難しい事じゃない。この程度、日常茶飯事だ。
 ──────軽く腹拵えだけは済ませておかないとな。
 今日は面倒な日になりそうだ。



                                   <fin>


GK評:3点
うーんハードボイルド。
番長十三ちゃんのハルマゲドン参戦理由も明かされましたが魔人同士の殺し合いに挑むというのに、それをあたかも日常の一幕がごとく扱っているのが実にハードボイルド。
ネコネコカワイイヤッター!