索引


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ニーチェ

  • 種族:偉人
  • 関連用語:運命愛,永劫回帰
 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844年10月15日-1900年8月25日)は、ドイツの哲学者。
 キルケゴールを続き、ハイデガーへと続いていく実存主義の巨人にしてニヒリズムの代表者。彼の哲学をこの上なく表した箴言「神は死んだ」はあまりに有名。

 ことシリーズにおいては彼の思想の中核を為す概念「永劫回帰」が裏に流れていると捉えることもできる。 

 また、ホラーに携わるものにとっては以下の文言も押さえるべき文言といえよう。

 怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気を付けなくてはならない。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを見返すのだ。


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運命愛(うんめいあい)

  • 登場作品:学恋2
  • 種族:概念(哲学)
  • 関連用語:ニーチェ,永劫回帰
 運命愛(amor fati)とはニヒリズムに囚われた近現代、その代表格であり象徴と捉えられるニーチェが最期に至ったとされる概念。
 その本義は諸説あるが、人生のすべてを運命と捉えそれら全てを積極的に愛そうとする心の現われと多くで解説されている。
 繰り返すが、ここで言う「運命」とは恋人との愛憎別離など劇的なもの、人生にとって重大・劇的な一局面だけではなく日常非日常すべてをひっくるめ人生すべてを指す。


 運命愛の前に、まずは「ニヒリズム」の徹底から訪れる「大いなる正午(the great noon)」と言う情景について解説しよう。
 天頂に至った太陽は影を極小化させるが、これを徹底させるとどうなるか?
 遍く照らす陽光は影すら消し去る。この情景はすべての明暗の消失に象徴される。
 つまりは既存の価値観は一切合財無効化され、万物は平等に価値の差がない状態に置かれる。
 エゴイズムからの脱却のため夏目漱石が提唱した「則天去私」にどことなく似ていなくもない。


 どこをどう見ても真っ白なら人はどこに進むか迷い、途方に暮れる。
 そこから進んでいく勇気ある人が「超人」であり、その果てしない旅路に力を与えるのが「運命愛」に他ならない。
 「運命愛」とはすべてに価値がないと絶望を認めつつ、それを全面肯定することで希望へと変える魔法の言葉と言える。
 醜いものや嫌いなものを人生から排除せず平等にかけがえのない要素と認め、一瞬一瞬の生を懸命に生きることこそがニーチェの目指した哲学である。 
 誤解されがちだが、ニーチェは諦めた人ではなかった。


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永劫回帰(えいごうかいき)

  • 種族:概念(哲学)
  • 関連用語:ニーチェ,運命愛,無限ループ,前世
 永遠回帰とも。
 ニーチェの思想を支える世界観のひとつであり、徹底したニヒリズムの中で「死」すら無効化するために置かれた。
 「死は救い」と俗に人は言うが、この世界の中では「死」は無価値である。
 なぜなら時間軸は循環している。未来は過去であり、過去は未来である。
 そんな円運動のような時の中でははじまりもおわりもなく、死の瞬間へといつかは戻っていく。死んでもけして終わらない無価値な輪の中に人はいる。

 そんな一見絶望しかない世界にあって唯一力を発揮するのが瞬間である。
 瞬間において勇気を持って決断することによって、そこははじまりとなり平等に無価値な世界においては瞬間を肯定することによって世界もまた全面肯定される。よって、すべてははじまりとなる。

 また、哲学のみならず物理学においても一つの思考実験として永劫回帰は成立する。
 専門的な事は筆者もさっぱり分からないのでもの凄まじくかいつまんで説明すると、世界の空間軸は有限であると仮定した場合、そこにある分子(或いは原子、或いはクオーク。何れにしろ世界の事物を構成する最小単位の何か)も当然有限となる。
 その上で時間軸を無限であると仮定すると、分子の組み合わせは我々にとっては気の遠くなるほどの膨大さであっても、いつかは必ずそのネタが尽き、以前のどこかと同じ組み合わせにならざるを得ない。それは瞬間のみならず、創世から終末までの流れですらも同様である。
 つまり遥かな過去、または遠い未来における、今現在と全く同じ世界の出現であり、全く同じ人物の登場であり、全く同じやり取りが再現されるのである。 
 また、この論法に則ればこの世では起き得る事は全ていつかどこかで必ず起きているという事になる。
 あの七不思議の集会とて、全ての選択肢をあらゆる順番で総当たりした後ならば、その次の周回は以前に試した回のどれかと全く同じになるのが道理なのだ。

 ……深すぎるので、もう少しゲームと絡めて蛇足してみる。
 例えば、ゲームに置いて一人の語り部を選び、とある選択肢を選び、一定の展開に至ったとする。その中での展開は実に素晴らしく様々だが、最後に到達するのは「話の終わり」。そして運命とも言える「結末」である。例えばそれは坂上の死であったり宿直の先生による解散であったり、殺されそうな目に遭いつつ修羅場をくぐり抜けたりするものとなる。
 そうして次に訪れるのは「二周目」という新たな展開、新たな選択肢、新たな結末という道筋。これらもまた新鮮で違ったものとなるであろうが、「結末」が訪れることは総じて「同じ」である。
 七周かそれ以上して全ての要素を読み終えた時、訪れるのは一時の静寂……(飽き)。それは真の終焉と言える。
 なにか気が向いてもう一度プレイしたとしても、そこにあるのは「有限の組み合わせに溢れた空間」であり、「多少の展開の差があっても、同じ終焉という事態を迎える」という一見無価値に見える存在である。

 だが、そこで重要なのが先述された「運命愛」である。
 全ての物は無価値であり、同等にかけがえのない価値を持つ。
 瞬間瞬間の選択や展開が無価値に思えても、それらには多大な価値があり、尊重すべきである。そうした心を持つべきである。
 同時に、全ての物は「終焉」によって無価値となり、時間が無限であっても組み合わせという概念で構成される限り、それは有限であり、どこかの誰かが既に体験したことなのかもしれない。
 そうした絶望的概念と言える中で、瞬間瞬間の選択に価値を見出し、一つ一つを積み重ねていくことが重要・・・ それがニーチェの言いたいことである。


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ニャリン星人(-せいじん)

  • 登場作品:学怖,学怖S,学恋2
ニャリン星人


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人魚(にんぎょ)

  • 登場作品:男怖
  • 種族:
  • 関連人物:景倉沙耶
  • 関連用語:異種婚礼譚,不老不死
 人間の上半身と魚の下半身を持った空想上の生物。
 日本的な人魚と西洋的な人魚が存在するが、両者のイメージは全くと言って良いほど異なる。
 日本的人魚は「河童のミイラ」同様に猿や魚を組み合わせて作られた怪しげな物品が存在していたりと、どちらかと言えば怪獣的な扱いになっており、ごく少数を除いて色気のある事例には乏しい。数十メートルに渡る人魚が漂着したとの事例すら存在している。

 その肉は不死の妙薬とされる事が多く、伝承に残る八尾比丘尼は若い姿のまま八百年(=長い時間)を生き、いずこかに消えたとされる。
 「不老不死」に付きまとうネガティブなイメージもあって、どちらかと言えば八尾比丘尼に題材を採った形だが、創作上では『SIREN』や高橋留美子の『人魚シリーズ』などのようにおぞましい奇談の材料にされがちである。

 一方で西洋的人魚は美女の姿で想起されつつ、哀しみがつきまとう。
 キリスト的価値観に立脚した彼女たちの存在は長命は誇るが、神に祝福されず魂を持たない。死後は水の泡となって儚く消え去る運命にあるとされる。
 これから逃れるためには人間の男性と結婚するしかないが、水の上で罵倒されると故郷に帰らなければならない、裏切られた場合は夫を殺して水中に戻らなければならないなどと各種の制約が課せられる。
 「異種婚礼譚」は元々困難なものであるが、諸々の事情あってそれが侵されず結婚生活が完遂されることはまずない。破綻し、花嫁は相手を殺すか自ら死ぬかの瀬戸際に立たされる。

 これらの性質は四元論にそれぞれ象徴する精霊がいると定義した錬金術師パラケルススの説を受け、十九世紀の作家フリードリヒ・フーケが記した中篇『ウンディーネ』と、さらにその影響を受けたアンデルセンの『人魚姫』が世に広めたものである。 
 先に述べた性質はまずは水を象徴する精霊「ウンディーネ」のものであり、転じて「人魚」のものとなった。

 そんな事情もあって人魚の登場する創作作品や伝承には所余さず悲劇が目につく。
 有名どころでは先に挙げた『ウンディーネ』と『人魚姫』、本邦では『赤いろうそくと人魚』などが代表格である。

 水辺は代表的な「境界」であり、言われるまでもなく「死」に程近い地点である。
 そんな事情もあり、人類は水妖の逸話に事欠かない。ただこの項目「人魚」に代表されるように溺れ死ぬ犠牲者にとって水の怪異には女性的な因子が強いのが唯一の救いだろう。
 ドイツはライン川に伝承を持つ「ローレライ」やロシアの水妖「ルサールカ」などはこの代表格である。また、この二者は共に夭折した乙女が姿を変えたものとされている。

 『男怖』「レッツ合コン☆」ルートに登場。
 景倉沙耶の正体であり、地上に焦がれて足を手に入れた現代の人魚姫。




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人形(にんぎょう)①

 「人形」とは文字通り「人を象って作られたモノ」の総称。荒井関連は②に記述。

 それらの用途は祭礼・呪術用具や子どもから大人まで愛される玩具・伝統工芸品・芸術品、果てはマネキンやかかしと言った実用品まで様々。題では「にんぎょう」とルビを振ったが、仮に「ヒトガタ」と読むとするなら、人はそこに呪術的な力を見るだろうか。
 実際、アパシー・シリーズでは親愛の情より、畏怖の念を多く感じさせよう。なにしろ人形は数々の側面を持つ。時に人の寿命を越え、友であり、贄となる存在としても今の世にも存在……、いや生き続けてきた物品である。
 シリーズの生みの親である飯島氏は「学校であった怖い話の怖い話」インタビューや「小説版」あとがきにおいて、疲労している時によく人形の幻影を見るとコメントしており、実体験に裏付けされているのか多くの作品によく出演している。


 「人形」がシナリオに登場すると言う点で語れば、シリーズにおいてこの存在は大きく影を落としている。たとえば『晦』では『学怖(S)』がほぼ一本勝負(人形②を参照)だったのとは対照的に、民俗的・現代の都市伝説的な観点から多くのシナリオで語られることになった。

 由香里一話のマネキンは無機質な存在が現代都市の持つ怪奇を演出し、同四話では「呪い」の媒介として用いるヒトガタを例に出して、興味本位に占いや呪いに手を出すことへの警鐘を鳴らしている。
 和子六・七話では厄を背負わせ落とす人形の儀式が、人間による前田家全体を包む殺戮の前奏となったのは何とも皮肉なことか。
 一風変わったものでは良夫三話のユーモラスな風間人形に、同七話で語り部達全員が実は「人形」であったと言う衝撃の結末だろうか。
 隠しシナリオ「石の話」では語り部達が持ち寄った石がひとつの人形になるという顛末が描かれる。残念ながら、発端が書かれる程度の尻切れトンボな終わりになってしまい、全体をまとめるには至らなかったが。 


 『四八』でも色々な形で登場するが、中でも雛人形が印象的だろうか。
一説に、現在の雛祭りは宮中で行われた貴族の子女による人形遊び「ひいな遊び」や厄を背負わせ、川に流す「流し雛」が融合した風習とも言われており、冒頭で述べた二つの側面を併せ持つ例として興味深い。どれも『四八』が未完成であった都合のためか、細かく蘊蓄が語られることは無かったものの、シリーズには脈々と人形が息づいていることを再確認させてくれた。  
 余談、『四八』と言えば、ゲスト出演した稲川氏が怪談を数多語ってくれるが、その中に彼をして語ることを固く禁じている怪談に「生き人形」と言うものがある。くわばらくわばら。


 『VNV』では冒頭シナリオ「ワタシの人形」で、とある少女の人形「メルモ」が登場した。この人形は
 人形の持ち主「大本真美」こそ七話目で登場するが、持ち主同様にこの人形の正体が判明することはなかった。単なるマクガフィンなのか、それとも語りえぬところに何かがあるのかはわからない。[ところで、「関西版」のまみむめも~ には吹きましたw]

 『2008』では真行寺嬢がいきなり「呪いの人形」を持ち出すと言う暴挙に出た。正直無事で済む気がしない。

 『特別編』では「ミホちゃん人形」、「エレーヌ」



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人形(にんぎょう)②

  • 登場作品:学怖,学怖S
  • 関連人物:荒井昭二《噂,正体》,金井章一,清瀬尚道《犠牲者》
  • 関連用語:校長先生《取引》,悪魔
 『学怖(S)』では「殺人クラブ」「仮面の少女」と並ぶ三大シナリオの一角として君臨してきた荒井六・七話に通称「荒井人形」と呼ばれる生きた人形が登場する。
 これは俗に三大シナリオと呼ばれるものと比べても恐怖面で飛び抜け、全シナリオ中でも頂点に位置すると多くのプレイヤーに評価された。
 単に「人形」とだけ出た場合『学怖(S)』「アパシー」では、このシナリオ及び登場した人形のことを指すほどである。

 このシナリオでは学校に多発する死者・行方不明者はすべてこの人形が原因とされ、夭折した息子昭二を生き返らせようと、悪魔と取引した荒井校長が毎年一人、十二年間に及ぶ生贄を捧げてきたと言うおぞましくも物悲しい顛末が語られる。
 これは同時に学園そのものを繁栄させるという取引内容だったらしく、教師陣も見て見ぬ振り、もしくは率先して協力していた環境が明らかにされた。悪魔との契約が学園全体を蝕んでいたというなら、怖気と納得の念が一杯である。
 そもそも生贄にされる生徒は成績などの面で入学出来きるはずのなかった落ちこぼれらしいが、それは……運命(Fate)に導かれたと言う他にない。
 生贄にされる生徒の元にはある時、本人以外の誰にも見えない人形が訪れ、徐々に精気を奪っては最終的には死に至らしめる。人形の姿は伝わる噂によって微妙に異なるらしいが、それは生贄の生徒が例外なく死んでしまうため。
 話者であり、本人? でもある荒井昭二曰く「肌は真っ白で、髪は黒く、大きな瞳が特徴的」、「美しい人形」、「すべての関節は動くように作られているが、人間に似せるためでしょうか、口だけは開かない」らしい。

 この人形は一種の幻影のようなものであり、対象と一定の距離を保ちつつ決して触れることが出来ない。対象は徐々に精神的にも磨耗していくことになる。スタンド(遠隔自動操縦型)そして、十三人分の魂が荒井昭二を模した人形に宿ったとき、晴れて荒井昭二は現世に帰還を果たすとの悪魔との契約だった。
 が、最後の贄が主人公であったのが運の尽き。校長は自らの命を持って契約を成就させ、直後復活した人形も主人公の手によって葬られることになる。

 この際に一瞬表示される人形(本体)の衝撃的なグラフィックは当時美術担当だったスタッフ(岩下明美を演じた女性)を加工することによって表現された。
 本体が主人公に付きまとっていた幻影と同一の姿をしていたとの言及はないが、生贄の前に現れる幻影は時に中性的な容姿をしていたと言う評価があり、人形本体についても「荒井昭二に似てもいないことはない」とのことなので、荒井が線の細い美少年として描かれる昨今の風潮は必ずしも間違っているとは言えない。
 『学怖S』では荒いCGで表現された。ここは残念な変更かも知れない。

 彼ら親子の思いをどう捉えるかによって、このシナリオの印象は大きく異なってくる。『学怖』では荒井昭二が何を望んだかに思いを馳せつつ、最後に見る「悪夢」によって、人形が確かに存在したことを示唆すると言う後味の悪い終わり方しか用意されていない。
 が、『学怖S』では直球で荒井昭二が父の暴走に苦しみつつも愛を自覚して満足して消えていくEDや、自ら復活を望んで主人公を手に掛けるEDが用意されるなど、多くの追加分岐によって解釈が分かれることとなった。
 実は『学怖』ではこのシナリオの難易度は意外と低い。バッドエンドこそ用意されているものの諦めなければ意外と何とかなってしまうのである。
 ただし、『学怖S』ではバッドエンドがかなり追加され、特に、凶悪なトラップのせいで必ず一度は「旧校舎エンド」を迎える羽目になった。

 荒井校長の設定を含め、荒井六・七話のみの設定であるに関わらず、「荒井昭二=人形」のイメージは非常に根強い。もっとも、『学怖(S)』を含め、アパシー・シリーズは世界観として「パラレル・ワールド」を採用しているため、これを公式と思ってはいけないのだが。


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市松人形(いちまつにんぎょう)

  • 登場作品:探偵局,特,流神A
  • 関連人物:岡沢真里《呪い》,酒井聖美《所有,呪い》,風海純也
  • 関連用語:天外神社《出没》,嬰児,ひとりかくれんぼ
 市松人形とは
 白く能面のような無表情な顔と、長い黒髪が日本古来の幽霊像と合致するのか、ホラー作品では恐怖を演出する小物として引っ張り凧である。
 [確かに市松人形は人形界(謎)の呪いを一身に背負っているような気がするが、それにしてもあんまりである。なお、呪われてばっかりの市松人形のイメージを挽回すべく、人形の愛らしさを知らしめるために筆者は須藤真澄著の『振袖いちま』を推薦する]


 『探偵局』第十三話「呪いの絵馬」に登場。
 おそらくは岡沢の手によって市松人形が天外神社に向ける呪いの媒介として使われた。
 そして、この市松人形に宿った邪な気と神主が放つ聖なる気が相克し合った結果として、自ら動き出すと言う珍現象が発生した。この市松人形は荒井人形と同じく「アソボ……」とのコメントを残しているが、やはり子どもの(ための)人形には共通することなのだろうか。
 神主が愛を持って人形を抱きしめた結果、人形は穏やかな姿に戻った。ハッピーエンドである。


 『特別編』岩下シナリオ「血を吸う人形」に登場。
 酒井聖美の所有する人形「桃ちゃん」がそれに該当する。


 『流神A』「ひとりかくれんぼ」に登場。
 風海警部補が都市伝説「ひとりかくれんぼ」を実践するために用意した人形なのだが……、正直「おまえすこしかんがえろよー」と筆者としても棒読みで突っ込みたくなること請け合いである。
 ただでさえ気色悪い儀式に不気味な人形を採用。
 包丁を


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エレーヌ

  • 登場作品:特,学恋V,流神A
  • 種族:人形(妖怪)
  • 関連人物:酒井聖美《所有》,宮田弘江,小暮宗一郎《犠牲者》
  • 関連用語:吸血鬼
 『特別編』岩下シナリオ「血を吸う人形」に登場。
 酒井聖美の所有する謎の西洋人形。
 酒井さん、市松人形の場合とは反対に自分ではなく他人の血を与えることを選んだらしい。作中では深く考えずついてきた宮田さんがあっさりその毒牙にかかる。
 棺桶を思わせる箱に入っているが、自立して行動可能。おそらくは行動を縛る能力も持っているようだ。
 さしずめ小さな吸血鬼とでも呼ぶべき存在になっている。


 『学恋V』夜イベントに登場。


 『流神A』「渋谷で配られる無料の飴」に登場。
 今度は小刻みに電話で現在地を告げつつ迫ってくる。
 「わたしエレーヌ、今あなたの前にいるの」
 と言うか、これはまんま都市伝説「メリーさんの電話」である。

 大元の怪談では犠牲者がどうなった語られることは少ないが、流石にバッドエンドには終わらせないといけないのか、例のごとく大口を開けて襲いかかってくる彼女の姿を見るに、小暮さんは吸血されてしまうようである。
 ちなみに、風海先輩も(夢オチだが)「メリーさんの電話」を経験したことがあったりする。先輩と一緒になれてよかったですね、小暮さん!



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マネキン

  • 登場作品:学怖,晦,学怖S
  • 種族:人形
  • 関連人物:浅田茂,松尾
  • 関連用語:手



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人間ダルマ(にんげん-)

 人間ダルマとは都市伝説の一種。
 かいつまめば行方不明になった知人が東南アジア、中国奥地などの発展途上国の見世物小屋で四肢を切断された「ダルマ」のような状態となって発見されたと言う内容。
 前哨として「客が消えるブティック」他類似の都市伝説が複合することも多い。都市伝説の属性の内、アングラ性を最も如実に表した例と言えるだろう。
 「エイズ・メアリー」などと同様、一種の偏見や差別意識が都市伝説の根底には流れていることを教えてくれるだろう。本来触れたくないものだからこそ面白い。人はタブーに触れたがる生き物であり、ショッキングさを求めている。


 ちなみに「人間ダルマ」の都市伝説は同人と商業の間に立ちはだかる規制の壁について説明を行う上で飯島氏の口からはよく取り上げられている。
 言葉狩りへの意趣返しか、直接題材に採ることはなくとも作品中では度々この単語が使われており、氏の並々ならぬ意気込みが見て取れる。

 『AMC1』「人間狩り」ルートに登場。
 チェーンソー装備の細田相手にして逆に反撃に出た恵美ちゃん(in山本)が彼のことを切り刻みつつ言い放つ名言である。
 その全文は公式サイトでも確認出来るが、多分細田は最先端だからと言っても流行の波には乗りたくなかったと思われる。

 『学恋』倉田編夜イベントに登場。
 同人誌のネタに悩む恵美ちゃんが魅力的な悪役を創造すべく細田をネタにしたことによる。さらわれた親友早苗ちゃんを救い出すべく、秘密捜査官エイミーは巨悪・カルロス細田に挑むのであった!
 しかし、時既に遅く親友早苗ちゃんは既に薬漬けにされ、人間ダルマにされていたのだった……。[おいw 創作とは言え親友をなんてことにw]

 『学恋2』新堂編「細田」ルートに登場。
 バッドエンドの一つに新堂さんの四肢を切断してトイレに監禁してしまうと言う展開が存在する。

 『流神A』「渋谷で配られる無料の飴」。
 バッドエンドのバリエーションのひとつに人間ダルマの話のフォーマットをそのまま使用したものがある。もっとも消えた客≒発見された人であったが。

 ちなみにこれら全てに細田は何らかの形で関わっている。
 確かに丸々としたシルエットはダルマを思わせるが、スタッフの誰かが細田に恨み(もしくは過剰な愛)でも持っていたのだろうか?


 話を商業規制に再び移すと、『流神A』のコラボレート元であるシリーズの『流行り神3』では開始数秒で「人間ダルマ」の単語を拝むことが出来る。 
 が、これは別に旧来に比べて規制が緩んでいるとかそういうことではなく、単純な一言で物事を片付けることは出来ない。
 単純に規制と言っても、こと言語表現においては俗に言う「放送禁止用語」のような明確なガイドラインが設けられているわけではなく、漠然とした慣例やその時々、検閲の担当者によって変化することがしばしばである。

 なんとなくこの表現はクサい? と思われただけでその言葉がブロックされてしまうため、普通長期に渡るゲーム開発では「if」を求めて吊り橋を渡るわけにもいかず、結局はメーカーが自主規制するという空気が生まれてしまった。
 言葉狩りには有形の圧力だけでなく、無形の空気が関わっている。
 問題は適当極まる基準と萎縮させる雰囲気なのであった。



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人間の生と死に関する百日の動向

 新堂七話「殺人クラブとの戦い」に登場。
 殺人クラブの罠にはまり、夜の校内を駆け回る坂上の見つけたレポート。
 何の課題で出されたのかは謎だが、提出者には「福沢玲子」とあり、内容は「病気の祖父の観察日記」と言ったところである。
 しかしそこには死期が迫って吐血を繰り返す祖父に対する敬愛などの感情一切見受けられず、「まだあと五十日も生きてもらわねばならないのに、これではおもしろくありません」「死ぬものには最期まで悪あがきをして欲しいものです」などという、あくまで祖父を観察対象とした冷酷なまでの稚拙で無味乾燥とした文章がつづられている。

 しかし福沢自身に取っては大事な研究レポートらしく、これを持ったまま福沢に遭遇すると、強力な脅し道具として使うことが出来る。その際に選択肢としてこのレポートの題名を読み上げなければいけないのだが、この項目を読んでいる人ならともかく、ノーヒントでメモすら取っていない場合には面倒なトラップとなっている。


 しかし、このレポート。
 一番恐ろしいのは(いたとしたら)受領した先生なのではないだろうか?
 [一説には高性能すぎる毒入りカプセルの入手元やレポートの存在した科学準備室と言う立地と合わせ、クラブの裏には白井先生がついているのでは? と言う妄想がファンの間では存在していたりする。]
 ……、と思ったら
 『AMC1』「新語り部集結」ルート。
 白井先生は殺人クラブを管理する教師のひとりであった。
 ぶっちゃけ性質が違うので比べられないが、ある意味嬉しい設定かもしれない。


 『VNV』「恵美ちゃんの坂上君観察日記」に登場。
 まんまと敵地に乗り込み、毒を盛られた恵美ちゃん。
 彼女が気になっていた鍵付きの机の引き出しから何を取り出すかと思いきや、福沢さんが取り出したのがコレである。ただし冒頭の「人間の」は外されている。
 彼女が今まで見てきた色んな人たちの死に様のひとつとして、アワレ恵美ちゃんはノートの一ページにされてしまうのだった。


 ぶっちゃけシリーズ以降、福沢が色んな死に方に拘るのはこのレポートが原因と言っていいだろう。同じく実験ネタのある荒井に次ぐか。

 [ところで、全くの余談および実話になるので以下反転。]

+ ...


情報提供・文章の補足、編集方針の動議その他諸々歓迎します。
もし興味を召されたなら下のコメント欄に書き込みなどされると嬉しいです。

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