索引


ニーチェ

  • 種族:偉人
  • 関連用語:運命愛,永劫回帰
 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844年10月15日-1900年8月25日)は、ドイツの哲学者。
 キルケゴールを続き、ハイデガーへと続いていく実存主義の巨人にしてニヒリズムの代表者。彼の哲学をこの上なく表した箴言「神は死んだ」はあまりに有名。

 ことシリーズにおいては彼の思想の中核を為す概念「永劫回帰」が裏に流れていると捉えることもできる。 

 また、ホラーに携わるものにとっては以下の文言も押さえるべき文言といえよう。
 怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気を付けなくてはならない。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを見返すのだ。

運命愛(うんめいあい)

  • 登場作品:学恋2
  • 種族:概念(哲学)
  • 関連用語:ニーチェ,永劫回帰
 運命愛(amor fati)とはニヒリズムに囚われた近現代、その代表格であり象徴と捉えられるニーチェが最期に至ったとされる概念。
 その本義は諸説あるが、人生のすべてを運命と捉えそれら全てを積極的に愛そうとする心の現われと多くで解説されている。
 繰り返すが、ここで言う「運命」とは恋人との愛憎別離など劇的なもの、人生にとって重大・劇的な一局面だけではなく日常非日常すべてをひっくるめ人生すべてを指す。

 運命愛の前に、まずは「ニヒリズム」の徹底から訪れる「大いなる正午(the great noon)」と言う情景について解説しよう。
 天頂に至った太陽は影を極小化させるが、これを徹底させるとどうなるか?
 遍く照らす陽光は影すら消し去る。この情景はすべての明暗の消失に象徴される。
 つまりは既存の価値観は一切合財無効化され、万物は平等に価値の差がない状態に置かれる。
 エゴイズムからの脱却のため夏目漱石が提唱した「則天去私」にどことなく似ていなくもない。

 どこをどう見ても真っ白なら人はどこに進むか迷い、途方に暮れる。
 そこから進んでいく勇気ある人が「超人」であり、その果てしない旅路に力を与えるのが「運命愛」に他ならない。
 「運命愛」とはすべてに価値がないと絶望を認めつつ、それを全面肯定することで希望へと変える魔法の言葉と言える。
 醜いものや嫌いなものを人生から排除せず平等にかけがえのない要素と認め、一瞬一瞬の生を懸命に生きることこそがニーチェの目指した哲学である。 
 誤解されがちだが、ニーチェは諦めた人ではなかった。

永劫回帰(えいごうかいき)

  • 種族:概念(哲学)
  • 関連用語:ニーチェ,運命愛,無限ループ,前世
 永遠回帰とも。
 ニーチェの思想を支える世界観のひとつであり、徹底したニヒリズムの中で「死」すら無効化するために置かれた。
 「死は救い」と俗に人は言うが、この世界の中では「死」は無価値である。
 なぜなら時間軸は循環している。未来は過去であり、過去は未来である。
 そんな円運動のような時の中でははじまりもおわりもなく、死の瞬間へといつかは戻っていく。死んでもけして終わらない無価値な輪の中に人はいる。

 そんな一見絶望しかない世界にあって唯一力を発揮するのが瞬間である。
 瞬間において勇気を持って決断することによって、そこははじまりとなり平等に無価値な世界においては瞬間を肯定することによって世界もまた全面肯定される。よって、すべてははじまりとなる。

 また、哲学のみならず物理学においても一つの思考実験として永劫回帰は成立する。
 専門的な事は筆者もさっぱり分からないのでもの凄まじくかいつまんで説明すると、世界の空間軸は有限であると仮定した場合、そこにある分子(或いは原子、或いはクオーク。何れにしろ世界の事物を構成する最小単位の何か)も当然有限となる。

 その上で時間軸を無限であると仮定すると、分子の組み合わせは我々にとっては気の遠くなるほどの膨大さであっても、いつかは必ずそのネタが尽き、以前のどこかと同じ組み合わせにならざるを得ない。それは瞬間のみならず、創世から終末までの流れですらも同様である。

 つまり遥かな過去、または遠い未来における、今現在と全く同じ世界の出現であり、全く同じ人物の登場であり、全く同じやり取りが再現されるのである。 
 また、この論法に則ればこの世では起き得る事は全ていつかどこかで必ず起きているという事になる。
 あの七不思議の集会とて、全ての選択肢をあらゆる順番で総当たりした後ならば、その次の周回は以前に試した回のどれかと全く同じになるのが道理なのだ。

 ……深すぎるので、もう少しゲームと絡めて蛇足してみる。
 例えば、ゲームに置いて一人の語り部を選び、とある選択肢を選び、一定の展開に至ったとする。その中での展開は実に素晴らしく様々だが、最後に到達するのは「話の終わり」。そして運命とも言える「結末」である。例えばそれは坂上の死であったり宿直の先生による解散であったり、殺されそうな目に遭いつつ修羅場をくぐり抜けたりするものとなる。

 そうして次に訪れるのは「二周目」という新たな展開、新たな選択肢、新たな結末という道筋。これらもまた新鮮で違ったものとなるであろうが、「結末」が訪れることは総じて「同じ」である。
 七周かそれ以上して全ての要素を読み終えた時、訪れるのは一時の静寂……(飽き)。それは真の終焉と言える。

 なにか気が向いてもう一度プレイしたとしても、そこにあるのは「有限の組み合わせに溢れた空間」であり、「多少の展開の差があっても、同じ終焉という事態を迎える」という一見無価値に見える存在である。

 だが、そこで重要なのが先述された「運命愛」である。
 全ての物は無価値であり、同等にかけがえのない価値を持つ。

 瞬間瞬間の選択や展開が無価値に思えても、それらには多大な価値があり、尊重すべきである。そうした心を持つべきである。
 同時に、全ての物は「終焉」によって無価値となり、時間が無限であっても組み合わせという概念で構成される限り、それは有限であり、どこかの誰かが既に体験したことなのかもしれない。

 そうした絶望的概念と言える中で、瞬間瞬間の選択に価値を見出し、一つ一つを積み重ねていくことが重要・・・ それがニーチェの言いたいことである。


ニャリン星人(-せいじん)

  • 登場作品:学怖,学怖S,学恋2,極,鳴七


人魚(にんぎょ)

  • 登場作品:男怖,送り犬,荒井,鳴七
  • 種族:
  • 関連人物:景倉沙耶,カズ,山崎剛史
  • 関連用語:異類婚礼譚,不老不死,心中
 人間の上半身と魚の下半身を持った空想上の生物。
 日本的な人魚と西洋的な人魚が存在するが、両者のイメージは全くと言って良いほど異なる。
 日本的人魚は「河童のミイラ」同様に猿や魚を組み合わせて作られた怪しげな物品が存在していたりと、どちらかと言えば怪獣的な扱いになっており、ごく少数を除いて色気のある事例には乏しい。数十メートルに渡る人魚が漂着したとの事例すら存在している。

 その肉は不死の妙薬とされる事が多く、伝承に残る八尾比丘尼は若い姿のまま八百年(=長い時間)を生き、いずこかに消えたとされる。
 「不老不死」に付きまとうネガティブなイメージもあって、どちらかと言えば八尾比丘尼に題材を採った形だが、創作上では『SIREN』や高橋留美子の『人魚シリーズ』などのようにおぞましい奇談の材料にされがちである。

 一方で西洋的人魚は美女の姿で想起されつつ、哀しみがつきまとう。
 キリスト的価値観に立脚した彼女たちの存在は長命は誇るが、神に祝福されず魂を持たない。死後は水の泡となって儚く消え去る運命にあるとされる。

 これから逃れるためには人間の男性と結婚するしかないが、水の上で罵倒されると故郷に帰らなければならない、裏切られた場合は夫を殺して水中に戻らなければならないなどと各種の制約が課せられる。
 「異類婚礼譚」は元々困難なものであるが、諸々の事情あってそれが侵されず結婚生活が完遂されることはまずない。破綻し、花嫁は相手を殺すか自ら死ぬかの瀬戸際に立たされる。

 これらの性質は四元論にそれぞれ象徴する精霊がいると定義した錬金術師パラケルススの説を受け、十九世紀の作家フリードリヒ・フーケが記した中篇『ウンディーネ』と、さらにその影響を受けたアンデルセンの『人魚姫』が世に広めたものである。 
 先に述べた性質はまずは水を象徴する精霊「ウンディーネ」のものであり、転じて「人魚」のものとなった。

 そんな事情もあって人魚の登場する創作作品や伝承には所余さず悲劇が目につく。
 有名どころでは先に挙げた『ウンディーネ』と『人魚姫』、本邦では『赤いろうそくと人魚』などが代表格である。

 水辺は代表的な「境界」であり、言われるまでもなく「死」に程近い地点である。
 そんな事情もあり、人類は水妖の逸話に事欠かない。ただこの項目「人魚」に代表されるように溺れ死ぬ犠牲者にとって水の怪異には女性的な因子が色濃く表れているのが唯一救いといえば救いだろう。

 ドイツはライン川に伝承を持つ「ローレライ」やロシアの水妖「ルサールカ」などはこの代表格である。また、この二者は共に夭折した乙女が姿を変えたものとされている。

 『男怖』「レッツ合コン☆」ルートに登場。
 「景倉沙耶」の正体であり、地上に焦がれて足を手に入れた現代の人魚姫。


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 『送り犬』「山崎剛史の話」ルートに登場。
 たいていの展開ではいい奴なのだが割りを食らってひどい目に遭ってばかりの冴えない青年「山崎剛史」の下にようやく花として「人魚」の卵がやってきてくれる。
 正確には、謎の生き物「シーガール」の飼育キットが彼のアパートの部屋の前に置かれていたという展開になるが、


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 『荒井』『鳴七』「あの焼き肉はなんですか?」ルート、「牧場奇譚」に登場。
 牧場関係者が好んで食らっている「謎の肉」の正体のひとつ。
 この場合の人魚は人魚と言っても日本的な怪獣的な方であり、かつては人魚の肉を食った人間の女だったと伝わっているものの成れの果てである。現在は長い時を経たためか、人の姿もおぼろげで醜く倦んだ様態をさらし、言葉を発することもできない。

 作中でされた数々の形容を省いてはっきり言ってしまえば悪臭を放つ醜い怪物なのだが、肉はとても美味で滋養に富んでいる。
 そしてこの人魚はかつて海沿いの洞窟にいたところを漁師に発見され、炭鉱に移されて関係者に利用されるようになった。
 だが炭鉱事故によって人魚は隧道に置き去りになり、牧場関係者に再発見されたのは十年前だという。

 現在も「不老不死」特有の再生力の強さによって切り取った肉も元通りになることは変わらないため、従業員向けのみならず競走馬のドーピングにも利用されているのだとか。しかし、その不老不死の呪われた魔力も次第に弱まっているようである。
 だが、宝のように扱われ秘匿されていた人魚に、存在を知らされていた牧場関係者のひとりである「カズ」さんが目をつける。

 荒井昭二はカズさんのやったことの見届け人として居合わせることになる。
 結末をここで述べることはしないが、身じろぎもできず利用され続けるだけだった彼女の生は転機を迎えることになる。


人形(にんぎょう)

 「人形」とは文字通り「人を象って作られたモノ」の総称。荒井関連は「荒井人形」に記述。

 用途は祭礼・呪術用具や子どもから大人まで愛される玩具・伝統工芸品・芸術品、果てはマネキンやかかしと言った実用品までさまざま。題では「にんぎょう」とルビを振ったが、仮に「ヒトガタ」と読むとするなら人はそこに呪術的な力を見るだろうか。
 実際、「アパシー・シリーズ」では親愛の情より、畏怖の念の方を多く感じさせる。なにしろ人形は数々の側面を持つ。時に人の寿命を越え、友や贄となる存在としても今の世にも存在……、いや生き続けてきた物品である。

 シリーズの生みの親である飯島氏は「学校であった怖い話の怖い話」インタビューや「小説版」あとがきにおいて、疲労している時によく人形の幻影を見るとコメントしており、実体験に裏付けされているのか多くの作品によく出演している。 

 「人形」がシナリオに登場すると言う点で語れば、シリーズにおいてこの存在は大きく影を落としている。たとえば『晦』では『学怖(S)』がほぼ一本勝負(「荒井人形」を参照)だったのとは対照的に、民俗的・現代の都市伝説的な観点から多くのシナリオで語られることになった。

 由香里一話のマネキンは無機質な存在が現代都市の持つ怪奇を演出し、同四話では「呪い」の媒介として用いるヒトガタを例に出して、興味本位に占いや呪いに手を出すことへの警鐘を鳴らしている。
 和子六・七話では厄を背負わせ落とす人形の儀式が、人間による前田家全体を包む殺戮の前奏となったのは何とも皮肉なことか。
 一風変わったものでは良夫三話のユーモラスな風間人形に、同七話で語り部達全員が実は「人形」であったと言う衝撃の結末だろうか。
 隠しシナリオ「石の話」では語り部達が持ち寄った石がひとつの人形になるという顛末が描かれる。残念ながら、発端が書かれる程度の尻切れトンボな終わりになってしまい、全体をまとめるには至らなかったが。 


 『四八』茨城県シナリオ「雛祭り」ほかに登場。
 さまざまな形で作中に登場するが、観光地を彩る要素としてそのスポットに合わせた等身大の人形が出演する。
 ただ、人形そのものを主題に据えたシナリオとしては、茨城県の雛人形が印象的だろう。

 一説に、現在の雛祭りは宮中で行われた貴族の子女による人形遊び「ひいな遊び」や厄を背負わせ、川に流す「流し雛」が融合した風習とも言われており、冒頭で述べた二つの側面を併せ持つ例として興味深い。
 『四八』が未完成であった都合のためか、細かくうんちくが語られることは無かったものの、シリーズには脈々と人形が息づいていることを再確認させてくれた。  

 余談、『四八』と言えば、ゲスト出演した稲川氏が怪談を数多語ってくれるが、その中に彼をして語ることを固く禁じている怪談に「生き人形」と言うものがある。くわばらくわばら。

 『VNV』では冒頭シナリオ「ワタシの人形」で、とある少女の人形「メルモ」が登場した。この人形は
 人形の持ち主「大本真美」こそ七話目で登場するが、持ち主同様にこの人形の正体が判明することはなかった。単なるマクガフィンなのか、それとも語りえぬところに何かがあるのかはわからない。[ところで、「関西版」のまみむめも~ には吹いた方もいらっしゃるかもしれない。]

 『2008』では真行寺嬢がいきなり「呪いの人形」を持ち出すと言う暴挙に出た。正直無事で済む気がしない。

 『特別編』では「ミホちゃん人形」、「エレーヌ」などといった様々な人形が出演する。

 『ドラマCD』Disc.9 エンディング type.B「ワタシ、リカちゃん」に登場。
 「筒井里佳」が、「リカちゃん電話」を取ってしまうと人形のように無残に殺されてしまうという都市伝説を語ってくれる。事実その犠牲となったのか、新聞部室の裏のゴミ捨て場にはあの人に似たバラバラの人形が散らばっていた。

 また、新堂さんが「アイ・ドール」という人形がとある事件をきっかけに発売中止になったことを「リカちゃん」の一件を経て教えてくれる。……舞台の裏側で何が起こったのかを類推させる材料はそこそこ揃っているものの、真相は闇の中である。

 『秘密』では


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荒井人形(あらいにんぎょう)

  • 登場作品:学怖,学怖S
  • 関連人物:荒井昭二《噂,正体》,金井章一,清瀬尚道《犠牲者》,荒井校長
  • 関連用語:校長先生《取引》,悪魔
 『学怖(S)』荒井六話「人形の生けにえ」、荒井七話「生けにえはお前だ!」に登場。
 「荒井人形」とは上記連作シナリオおよびシナリオ中で描かれる人形の怪異の通称。
 そしてこちら「荒井人形」は「殺人クラブ」「仮面の少女」と並ぶ三大シナリオの一角であると評され、数多くのユーザーの脳裏に君臨してきた。
 三大シナリオは元より、全シナリオを比較対象に入れても恐怖面では飛びぬけており、頂点に位置すると多くのプレイヤーに評価された。そのため、ファンの間で単に「人形」とだけ出た場合「アパシー・シリーズ」では、このシナリオ及び登場した人形のことを指すほどである。

 通称にある通り語り部のひとり「荒井昭二」をかたどった人形だが、単なる器物ではなく相応の背景が隠されている。
 このシナリオでは学校に多発する死者・行方不明者はすべてこの人形が原因とされ、夭折した息子昭二を生き返らせようと、悪魔と取引した「荒井校長」が毎年一人、十二年間に及ぶ生贄を捧げてきたと言うおぞましくも物悲しい顛末が語られる。

 それと悪魔と同時に学園そのものを繁栄させるという取引内容だったらしく、教師陣も見て見ぬ振り、もしくは率先して協力していた環境が明らかにされた。悪魔との契約が学園全体を蝕んでいたというなら、怖気と納得の念でいっぱいである。
 また、生贄にされる生徒は成績などの面で入学出来きるはずのなかった落ちこぼれらしく、運命に導かれたというほかにない。

 生贄にされる生徒の元にはある時、本人以外の誰にも見えない人形が訪れ、徐々に精気を奪っては最終的には死に至らしめる。人形の姿は伝わる噂によって微妙に異なるらしいが、それは生贄の生徒が例外なく死んでしまうため。
 話者であり、本人? でもある荒井昭二曰く「肌は真っ白で、髪は黒く、大きな瞳が特徴的」、「美しい人形」、「すべての関節は動くように作られているが、人間に似せるためでしょうか、口だけは開かない」らしい。

 なお、生贄につきまとうこの人形は一種の幻影のようなもので、対象と一定の距離を保ちつつ決して触れることができない。  
 対象は徐々に精神的にも磨耗していくことになる。スタンド(遠隔自動操縦型)
 そして、十三人分の魂が荒井昭二を模した人形に宿ったとき、晴れて荒井昭二は現世に帰還を果たすとの悪魔との契約だった。

 が、最後の贄が主人公であったのが運の尽き。
 校長は自らの命をもって契約を成就させ、直後復活した人形も主人公の手によって葬られることになった。
 ちなみに、SFC版『学怖』で主人公が人形本体と対峙した際に一瞬表示された衝撃的なグラフィック(頭部が損壊し、脳のような内容物が見えている)は当時美術担当だったスタッフ(岩下明美を演じた女性)を加工することによって表現されている。

 本体が主人公に付きまとっていた幻影と同一の姿をしていたとの言及はないが、生贄の前に現れる幻影は時に中性的な容姿をしていたと言う評価があり、人形本体についても「荒井昭二に似てもいないことはない」とのことである。
 荒井昭二が線の細い美少年として描かれる風潮は必ずしも間違っているとは言えない。
 ただし『学怖S』では荒いCG(デッサン人形風の簡素なデザイン)で表現された。ここは残念な変更かも知れない。

 彼ら親子の思いをどう捉えるかによって、このシナリオの印象は大きく異なってくる。
 『学怖』では荒井昭二が何を望んだかに思いを馳せつつ、最後に見る「悪夢」によって、人形が確かに存在したことを示唆すると言う後味の悪い終わり方しか用意されていない。七不思議の集会を最後に、荒井昭二は何も語らなかったためである。

 また、復活した人形本体も冷静で理知的な荒井昭二の人格とは縁遠い無垢な子供のような言動しか見せておらず、齟齬がある。
 最後の生贄を荒井校長に選んだ悪魔の勝手な解釈といい、もし本当に十三人の生贄を捧げたとして生前の荒井昭二が帰ってきたかもいささかでなく怪しいと言わざるを得ないだろう。

 『学怖S』追加分岐。直球で荒井昭二が父の暴走に苦しみつつも愛を自覚して満足して消えていく結末や、自ら復活を望んで主人公を手に掛ける結末など、多くの追加分岐によってシナリオに解釈の幅が生まれている。
 ついでに、中途終了する可能性も増した。実は『学怖』ではこのシナリオの難易度は意外と低い。バッドエンドこそ用意されているものの諦めなければ意外と何とかなってしまうのである。
 『学怖S』ではバッドエンドがかなり追加され、特に、凶悪なトラップのせいで必ず一度は「旧校舎エンド」を迎える羽目になった。

 荒井校長の設定を含め、荒井六・七話のみの設定であるに関わらず、「荒井昭二=人形」のイメージは非常に根強い。もっとも、『学怖(S)』を含め、アパシー・シリーズは世界観として「パラレル・ワールド」を採用しているため、これを公式と思ってはいけないのだが。

市松人形(いちまつにんぎょう)

  • 登場作品:探偵局,特,流神A
  • 関連人物:岡沢真里《呪い》,市井桃子,酒井聖美《所有,呪い》,風海純也
  • 関連用語:天外神社《出没》,嬰児,ひとりかくれんぼ
 市松人形とは着せ替え人形の一種。胡粉を塗った白い顔が特徴的で、多くの場合は黒髪の稚児を模した女児の人形である。
 子供の遊び相手としての扱われ方は昨今廃れたが、芸術的価値も認められた日本人形の代表格として人形界に君臨し続けている。

 ただし、古典的な市松人形は白く能面のような無表情な顔と、長い黒髪が日本古来の「幽霊」像と合致するのか、ホラー作品では恐怖を演出する小物として引っ張り凧であったりする。
 [確かに市松人形は人形界(謎)の呪いを一身に背負っているような気がするが、それにしてもあんまりである。なお呪われてばかりの市松人形のイメージを挽回すべく、人形の愛らしさを知らしめるために筆者は須藤真澄著『振袖いちま』を推薦する。]

 そんなわけでこの市松人形がシリーズ中でクローズアップされる場合は、呪いを受けて動き出したり、なんらかの邪なものの器になっていたり、身代わり人形にされたり……と。
 人形自体は何も悪くないのに人間の業をそっくりそのまま受け止める道具としての本分を全うさせられる羽目になっている。

 『探偵局』第十三話「呪いの絵馬」に登場。
 おそらくは「岡沢真里」の手によって市松人形が「天外神社」に向ける呪いの媒介として使われた。
 しかし、術者も予期しなかった事態として市松人形に宿った邪な気と代理神主の「猿渡広一」氏が放つ聖なる気が相克し合った結果として、人形は自ら動き出す。しかも怪現象解決のため居合わせた賽臥に噛みついて襲い掛かると言う怪現象が発生した。

 なお、この市松人形は荒井人形と同じく「アソボ……」という言葉を発している。
 もしや子どもの(ための)人形には共通する言葉が、ひょっとしたら本来の願いが人形そのものから漏れ出たのだろうか。
 ただ、その痛々しい姿を見た猿渡氏が愛を持って人形を抱きしめた結果、人形は穏やかな姿に戻った。ハッピーエンドである。

 『特別編』岩下シナリオ「血を吸う人形」に登場。
 「酒井聖美」の所有する人形「桃ちゃん」がそれに該当する。
 自宅に招かれた「宮田弘江」さんが事態を飲み込む暇もなく、いきなり彼女の目の前で肌をはだけて授乳(ただし与えるものは母乳の原料とされる「血」)をはじめる酒井さんだったが……。

 どうも酒井さんは市松人形に憑かれていたようだ。
 ただし、この場合は人形に仕込まれた干からびた嬰児の遺骸(のようなもの)が呪いの本体だったと思われる。
 なお、岩下さんの話はここで終わるため酒井さんは元より宮田さんも桃ちゃんもその後どうなってしまったかは不明である。

 補足しておくと『小学怖』に登場するおしゃべり人形の「モモちゃん」とは同音なだけで全く関係ないと思われる。
 そもそも「モモちゃん」は一般に流通しているメーカー既製品であり、共通点を探す方が難しかったりするのであるし。

 『流神A』「ひとりかくれんぼ」に登場。
 この事件の当事者である「市井桃子」さんは都市伝説「ひとりかくれんぼ」を実践したはいいものの、儀式に使用した市松人形を処分しなかったことによって呪われてしまったようである。

 オカルト的な側面からも事件を追うことができる風海警部補は、捜査の過程で市井さんの自室に踏み込み、儀式に使用された痕跡のある市松人形を発見し、無断で持ち帰る。そして市井さんに代わって今度は自分が儀式を終わらせることを決断する。
 ……正直「おまえすこしかんがえろよー」と筆者としてもその選択に棒読みで突っ込みたくなること請け合いである。

 ただでさえ気色悪い儀式の詳細を知ることと、実行に移すことはまた別の話である。
 葛藤は一応見せるものの、淡々と包丁を人形にぶっ刺す風海さんの姿に恐怖を覚えたのはきっと筆者だけではないと信じたい。
 ただし、人形と対面した時点で風海さんは人形(とそこに宿る妄念)に魅入られていた節があるので仕方ないのかもしれない。

エレーヌ

  • 登場作品:特,学恋V,流神A,鳴七
  • 種族:人形(妖怪)
  • 関連人物:酒井聖美《所有》,宮田弘江,小暮宗一郎,立花ゆかり《犠牲者》
  • 関連用語:吸血鬼
 『特別編』岩下シナリオ「血を吸う人形」に登場。
 「酒井聖美」の所有する謎の西洋人形。
 この場合の酒井さんは上記の市松人形の場合とは異なり、自分ではなく他人の血を愛する人形に与えることを選んだらしい。
 作中では深く考えずついてきた「宮田弘江」さんがあっさりその毒牙にかかってしまう。

 棺桶を思わせる箱に入っているが、自立して行動可能。おそらくは邪視の一種で行動を縛る能力も持っているようだ。
 さしずめ小さな「吸血鬼」とでも呼ぶべき存在になっている。


 『学恋V』夜イベントに登場。


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 『流神A』「渋谷で配られる無料の飴」に登場。
 今度は小刻みに電話で現在地を告げつつ迫ってくる。
 「わたしエレーヌ、今あなたの前にいるの」
 と言うか、これはまんま都市伝説「メリーさんの電話」である。

 大元の怪談では犠牲者がどうなったかを語られることは少ないが、流石にバッドエンドには終わらせないといけないのか、例のごとく大口を開けて襲いかかってくる彼女の姿で幕切れとなる。小暮さんは吸血されてしまうようである。
 ちなみに、小暮さんが親愛する風海先輩も(夢オチだが)「メリーさんの電話」を経験したことがあったりする。

 『鳴七』「血を吸う人形」に登場。


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幸せを呼ぶ人形(しあわせをよぶにんぎょう)

  • 登場作品:2008
  • 種族:人形
  • 関連人物:真行寺葵《所有》
  • 関連用語:呪い
 『2008』2話「幸せを呼ぶ人形」に登場。
 財閥令嬢「真行寺葵」が口火を切った「七不思議の集会」で話の皮切りとばかりに持ち出した謎の人形。
 その外観に関しては本文中でそれなりに紙幅が割かれているためここでは割愛する。

 掻い摘んで言えば、作中の地の文で語られている通り「不気味な人形」。
 大まかな材質は木製だが、粗末な胴体と四肢とは不釣り合いなことに精巧につくられた頭部を持つ。
 特に精緻な瞳や口周りは生理的嫌悪感を催すような印象が描写として綴られている。

 また、人形胴体の背面は開閉可能で中には紙片が入れられるようなスペースが用意されている。
 このスペースに名前を書いた紙を入れればその名前の人物は幸せになれる――、という触れ込みで真行寺は会の聞き役である「工藤光輝」相手に出席者としての強権をかざし誰でもいいので名前を書くよう迫った。

 そうして体よく書かせた直後、真行寺はこの人形が実は「名前を書かれた人物は一週間以内に必ず死ぬ」呪いの人形であることを一同に明かした。
 ちなみに真行寺自身は呪いの効力を確信している。超自然的な呪いの産物か人為的な介入が行われるかまでは不明であるものの、この人形による犠牲者は何人も出ているという物騒な口ぶりを見せた。

 以上のことから。
 真行寺は「なぜ」「誰の」名前を書かせたのかという疑問を出席者の一部に抱えさせることになる。
 だがその直後、工藤のカミングアウトによって彼は誰の名前が書かれていてもおかしくないという前提を一同は得てしまう。
 ただし、誰の名前を書いたのかこのタイミングでは明かされることはない。

 袋田の提案によって「誰の名前が書かれたのか」という不安をあえて抱えながら集会を続行していくことになるのだ。 
 必然的に、真行寺の手番は最後に回されることになったが、それらについての答えは彼女の語りの中で明かされるのだろう。

マネキン

  • 登場作品:学怖,晦,学怖S,特,ドラマCD,稲in
  • 種族:人形
  • 関連人物:荒井昭二,鈴木由香里《噂》,浅田茂,松尾
  • 関連用語:手
 マネキンとは、服飾の陳列用に作られたマネキン人形のことを一般的には指す。
 胸部から腰部までのトルソーも存在するが、ホラージャンルで用いられる機会は比較的少ない。

 最低限の目鼻立ちに腕や足を揃えた等身大の人形としては比較的安価に入手できることから人形を用いた恐怖の小道具として用いられることが多い。生身の人間ではなかなか演出できない人体の派手な損壊描写を手軽に行えるから、とも言い換えられもする。
 このようにマネキンは本来の用途に従えば昼間は華やかなデパートなどで脚光を浴びている存在であるが、同時に廃材置き場にゴロゴロ転がっているのが似合ったりと、不気味さを潜在して持っている器物であることはほぼ間違いないだろう。

 『学怖(S)』荒井一話「校内に巣くう地縛霊」に登場。
 事故で左腕を失ったことを気に病んだ野球部員浅田茂」が自殺する際にマネキンの腕を肩からくくりつけていた――というエピソードが語られる。ちなみに入手経路は不明のようである。
 いずれにせよマネキン自体は演出に過ぎず、その後浅田くんの無念が引き起こしたであろう事件との関連は薄く感じられる。

 『晦』由香里一話「夜のデパートの恐怖」に登場。
 深夜のデパートに興味のあった「鈴木由香里」が遭遇した恐怖体験には、商品陳列に欠かせないマネキンが深く関わってくる。ちなみにこの話におけるもうひとつの要素は異空間に繋がりがちなスポット「エレベーター」である。

 そんなわけでバイト現場の要請に従って倉庫にマネキンを取りに行った由香里たちだったが、なぜか現地である地下三階はボロボロになっていて完品が見つからない。マネキンがバラバラ死体のように転がり、見慣れても不気味な光景を目の当たりにすることに。
 そこから由香里たちは四肢だの「生首」だのの、人体の一部を切り取って持って行こうとする正体不明の怪異と遭遇する羽目になる。いわばマネキンの部位が転がる薄気味悪い光景は、恐怖をお膳立てするための前哨戦といえるだろう。

 なお、マネキンそのものに目を向けてみると等身大で四肢を備えているという特性に注目して妖精じみた手助けをしてくれた(と思われた)り、中にあるものを隠していたりする。意外とこのシナリオの中でマネキンが果たした仕事の幅は広かったりする。

 『ドラマCD』Disc.9 エンディング type.B「ワタシ、リカちゃん」に登場。


 (執筆者募集中) 


 『稲in』に登場。
 「中山真美華」さんによって線路上に突き落とされた「吉田達夫(?)」が電車の大質量によって粉砕された先に残ったものである。
 吉田(仮)の正体は、順当にゲームを進めていけば明らかになるのだが、吉田らしきものが吉田として成り立たなくなると素体としてのまっさらなマネキンだけが残ったというのも経緯を知りさえすればまぁ納得な話ではあるだろう。

ミホちゃん人形(-にんぎょう)

 『特別編』風間シナリオ「恐怖のミホちゃん人形」に登場。
 風間さんが話のネタとすべく持ち出した着せ替え人形の玩具。
 ただし話はじめに「一見するとよくある」などと断っており、聞き手の坂上も突っ込む素振りは見せなかったように、ミホちゃん人形自体は商業的に広く出回ったメーカー既製品であるようだ。

 高校生男子である坂上にとってもおもちゃ屋さんの店頭で見知った顔らしい。
 ただし、このミホちゃん人形だが、肝心のゲーム上で表示されるグラフィックとしては妙にぎょろっとしたデカい瞳が顔の半分を占めたデザインをしており、しかも影濃く画像が加工されているため、ぶっちゃけ怖い。
 ただ、繰り返すようだが、作中世界では広く受け入れられているため坂上からツッコミの声が上がることはない。話の焦点はミホちゃん人形そのものではない。あくまでも風間さんが持ってきたいわくつきの人形と、そこに宿る女の子の魂についてである。

 風間さんが言うには、この人形の中には高校生活を待たずに若くして亡くなってしまった、報われない女の子の魂が宿っているのだという。それから彼女は妬みから若い女の子に向けて八つ当たりじみた被害をもたらしているのだとも。

 そのため、彼女を哀れんだ風間さんは彼女の魂を慰めるため、坂上に繰り返し要求を行う。
 坂上は享年と同じ高校一年生の彼氏が欲しいという、彼女のめんどくさい要求に応えさせられ、ごっこ遊びじみた彼氏彼女としての振る舞いを要求され続け、最後はキスまでさせられるのだ。

 で、最後まで付き合った坂上の前にはシャッター音とともに、今までの話は風間さんの「作り話」という驚愕のオチと、その先に待ち受ける到底笑い話とは言えない危惧が待ち受けていたのである。 
 この場合、人形の出どころは親戚の女の子[風間望(かざまのぞみ)か?]が忘れていったもので、それを持ち出した風間さんが勝手に呪いのストーリーをつけたことになる、やはり尾を引きそうである。

 なお、たまりかねた坂上が途中で中断した場合は風間さんの話は真実となり、“彼女”の怒りを買ったと匂わせるオチになる。
 この場合は風間さんの紳士的な態度は相手が霊でも人形でも、女の子相手なら変わらないということになる。いずれにせよ風間さんの大物っぷりと、この話が彼の得意とする降霊系の話だということをいかんなく思い知らされる羽目になるだろう。

 ちなみにこのミホちゃん人形だが、外見上のモデルは1972年にアメリカから発売され、2000年代初頭から日本でリバイバル的に人気を博したブライス人形と思われる。
 作中で見せた、目が動くというギミックもブライスに元々施された仕掛けである。こちらは人によっては好みは分かれるが、明るいところで見ると本当に愛らしい人形であるので安心してほしい。

 名称としては言うまでもなく日本の女児にとっては国民的アイドルともいえる「リカちゃん人形」のもじりだろう。ちなみに先に挙げたブライスの展開だが、リカちゃん人形の生みの親であるタカラトミーも大きく関わっていたりする。
 また、名称からの連想としてシリーズの他作品を追っていくと『小学怖』の「モモちゃん人形」などが浮上する。 

 他方、リカちゃんはなぜかやたらと都市伝説に恵まれていることでも有名である。
 こちらに注目した自分自身もリカちゃんである「筒井里佳」は都市伝説を紹介する文脈上、ストレートに現実の商品名を出している。

 結論として、ミホちゃん人形をはじめとした「○○ちゃん人形」を単にシリーズ中でリカちゃん人形を使えないことの代替えないし配慮や自主規制といった枠組みで語るのは間違っているのかもしれない。
 ミホちゃんもモモちゃんも、リカちゃんとは違った個性の持ち主として作品中で輝いているのである。

モモちゃん

 『小学怖』月曜日「隠された人形」に登場。
 一般に流通しているという「おしゃべり人形」で、ボタンを押すと何パターンかの音声で応えてくれる女の子の人形。
 作中時間軸からは二十年以上前の商品であるため、作中で「戸浦愛梨」ちゃんが触れているように機能としてはささやかなもの。ただし、人形を友にできる女の子にとってはそんなことは関係なく、日常を一緒に送る大切な存在として常に共にあった。

 なお、現実においては話者の音声を認識して応答をしたり、数百~千種類以上の音声パターンが収録されていたりと高機能化が進んでいる。2021年におけるタカラトミーの最新製品「あみちゃん」に至っては顔認識機能を実装していたりもする。
 他社からも出ているが、男児女児をモデルとしたそれらはリカちゃん人形同様に「○○ちゃん」という商品名が付けられているようだ。

 そういったわけで二十年以上前に小学六年生だった「佐山みのり」にとっては学校でもカバンに入れて常に連れ歩く仲だった。
 みのりちゃんにとってモモちゃんは小学校入学以前からの唯一のお友達であり、乱暴を働いた男の子たちに立ち向かってくれた「安西由紀」がそれをきっかけに友達になっても、一人と一体の仲は変わることがなかったのである。


 (執筆者募集中) 


 『極』「呪われた旧校舎」に登場。
 上記のみのりちゃん経由の人形と同一かは不明だが、なぜか旧校舎の「三年C組」の机の中にボロボロになって入っている。
 おしゃべり人形としての機能は健在。ただし、電池は入っていない。


人間ダルマ(にんげん-)

 人間ダルマとは都市伝説の一種。
 かいつまめば行方不明になった知人が東南アジア、中国奥地などの発展途上国の見世物小屋で四肢を切断された「ダルマ」のような状態となって発見されたと言う内容。
 前哨として「客が消えるブティック」他類似の都市伝説が複合することも多い。
 都市伝説の属性の内、アングラ性を最も如実に表した一例と言えるだろう。

 「エイズ・メアリー」などと同様、偏見や差別意識が都市伝説の根底には流れていることを教えてくれる。
 本来触れたくないものだからこそ面白い。人はタブーに触れたがる生き物であり、ショッキングさを求めているともいえる。

 ちなみに「人間ダルマ」の都市伝説は同人と商業の間に立ちはだかる規制の壁について説明を行う上で飯島氏の口からはよく取り上げられている。
 言葉狩りへの意趣返しか、直接題材に採ることはなくとも作品中では度々この単語が使われており、氏の並々ならぬ意気込みが見て取れる。

 『AMC1』「人間狩り」ルートに登場。
 「チェーンソー」装備の細田相手にして逆に反撃に出た恵美ちゃん(in山本)が彼のことを切り刻みつつ言い放つ名言である。
 その全文は公式サイトでも確認出来るが、多分細田は最先端だからと言っても流行の波には乗りたくなかったと思われる。

 『学恋』倉田編夜イベントに登場。
 同人誌のネタに悩む恵美ちゃんが魅力的な悪役を創造すべく細田をネタにしたことによる。さらわれた親友早苗ちゃんを救い出すべく、秘密捜査官エイミーは巨悪・カルロス細田に挑むのであった!
 しかし、時既に遅く親友早苗ちゃんは既に薬漬けにされ、人間ダルマにされていたのだった……。[おいw 創作とは言え親友をなんてことにw]

 『学恋2』新堂編「細田」ルートに登場。
 バッドエンドの一つに新堂さんの四肢を切断してトイレに監禁してしまうと言う展開が存在する。

 『流神A』「渋谷で配られる無料の飴」。
 バッドエンドのバリエーションのひとつに人間ダルマの話のフォーマットをそのまま使用したものがある。もっとも消えた客≒発見された人であったが。

 ちなみにこれら全てに細田は何らかの形で関わっている。
 確かに丸々としたシルエットはダルマを思わせるが、スタッフの誰かが細田に恨み(もしくは過剰な愛)でも持っていたのだろうか?

 話を商業規制に再び移そう。
 『流神A』のコラボレート元であるシリーズの『流行り神3』では開始数秒で「人間ダルマ」の単語を拝むことができる。 
 が、これは別に旧来に比べて規制が緩んでいるとかそういうことではなく、単純な一言で物事を片付けることはできない。
 単純に規制と言っても、こと言語表現においては俗に言う「放送禁止用語」のような明確なガイドラインが設けられているわけではなく、漠然とした慣例やその時々、検閲の担当者によって変化することがしばしばである。

 なんとなくこの表現はクサい? と思われただけでその言葉がブロックされてしまうため、普通長期に渡るゲーム開発では「if」を求めて吊り橋を渡るわけにもいかず、結局はメーカーが自主規制するという空気が生まれてしまった。
 言葉狩りには有形の圧力だけでなく、無形の空気が関わっている。問題は適当極まる業界基準と萎縮させる雰囲気なのだった。


人間の生と死に関する百日の動向

  • 登場作品:学怖,学怖S,VNV,秘密,鳴七
  • 種族:アイテム
  • 関連人物:福沢玲子《所有》
  • 関連用語:殺人クラブ
 新堂七話「殺人クラブとの戦い」に登場。
 殺人クラブの罠にはまり、夜の校内を駆け回る主人公が見つけたレポート。
 何の課題で出されたのかは謎だが、提出者には「福沢玲子」とあり、内容は「病気の祖父の観察日記」と言ったところである。

 しかしそこには死期が迫って吐血を繰り返す祖父に対する敬愛などの感情一切見受けられず、「まだあと五十日も生きてもらわねばならないのに、これではおもしろくありません」「死ぬものには最期まで悪あがきをして欲しいものです」などという、あくまで祖父を観察対象とした冷酷なまでの稚拙で無味乾燥とした文章がつづられている。

 しかし福沢自身に取っては大事な研究レポートらしく、これを持ったまま福沢に遭遇すると、強力な脅し道具として使うことが出来る。その際に選択肢としてこのレポートの題名を読み上げなければいけないのだが、この項目を読んでいる人ならともかく、ノーヒントでメモすら取っていない場合には面倒なトラップとなっている。

 しかし、このレポート。
 一番恐ろしいのは(いたとしたら)受領した先生なのではないだろうか?
 [一説には高性能すぎる毒入りカプセルの入手元やレポートの存在した科学準備室と言う立地と合わせ、クラブの裏には白井先生がついているのでは? と言う妄想がファンの間では存在していたりする。]

 ……、と思ったら
 『AMC1』「新語り部集結」ルート。
 白井先生は殺人クラブを管理する教師のひとりだった。
 ぶっちゃけ性質が違うので比べられないが、ある意味嬉しい設定かもしれない。

 『VNV』「恵美ちゃんの坂上君観察日記」に登場。
 まんまと敵地に乗り込み、毒を盛られた恵美ちゃん。
 彼女が気になっていた鍵付きの机の引き出しから何を取り出すかと思いきや、福沢さんが取り出したのがコレである。ただし冒頭の「人間の」は外されている。
 彼女が今まで見てきた色んな人たちの死に様のひとつとして、アワレ恵美ちゃんはノートの一ページにされてしまうのだった。

 ぶっちゃけシリーズ以降、福沢が色んな死に方に拘るのはこのレポートが原因と言っていいだろう。同じく実験ネタのある荒井に次ぐか。

 『秘密』「……福沢さん、何か隠していそうだ」ルートに登場。
 福沢さんが鍵で守られたダンス部のロッカーから取り出したノート。
 内容は例のごとくサイコなものであり、生物の死に感動した福沢さんが死んだ後に残された死骸が風化していく様子を経過観察した記録である。

 ペットのハツカネズミの死をきっかけにはじめて、続いて猫が死に、果ては祖父が死に至るよう手を回していったようだが、ここで人間の場合は死体を一目に触れないよう保管し続けることは難しいことに気づいてアプロ―チを変えることにした。

 現在は『気持ちのノート』と銘打った二冊目のノートに人間が死の瞬間になにを言うか、なにを思うかを記録しているようだ。
 しかも福沢さんの口ぶりを信じる限りでは相当数の人間を手にかけていると思われる。ただ、呪いのせいで息も絶え絶えな坂上くんにとってはそんな反応に困ることを言われても、相手にしている暇もなかった。ただし、確実に精神力は削られた。

 一方で、呪殺という珍しい死に様を身近で観察したいという言い分で福沢さんに付きまとわれた坂上くんだったが、そんな彼女のおかげで一応ハッピーエンドを迎えることができていたりする。
 そのため福沢さんが言い出したこれら二冊のノートに関しては坂上くんを怖がらせるための全くの与太話だったと考えるのが自然だろう。けれど福沢さんのやり方が過激だったことは確かなので部分的であれ本当の可能性はしっかり残っていたりする。

 『鳴七』「殺人クラブ」に登場。
 『秘密』に続き、「気持ちのノート」との二本立てで坂上の精神をえぐってくる。
 ただし、福沢を撃破するための必須アイテムになっていることは変わらないため確実に回収していこう。


 (執筆者募集中) 


 [ところで、全くの余談および実話になるので以下反転。]

+ ...
 [記憶の風化は早く、俗に言う「タリウム事件」を覚えているものは少ないだろう。詳しく語るつもりはないが、そんな事件があったのである。
 今となってはもう語られることはまれだが、事件当時はこのレポートと実際の事件に様々な共通項を見たプレイヤーが多く見られた。
 幸いにも当時のマスコミに嗅ぎ付けられることはなかったものの、ファンたちは大いに考えさせられることになるのだった。

 事実は小説よりも奇なり。
 だが、今回は創作を現実が凌駕しなかったのが幸いである。
 当事者の間ではまだ問題は続いているかもしれない。
 だが、現実には“奇"跡を望もうではないか。]



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  • マネキンの項に執筆。特別編に登場するか否かについて情報求む -- 名無しさん (2021-08-01 19:56:31)
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最終更新:2024年04月01日 19:01