学校という箱庭が生んだ恐怖の花々



学校の怪談(がっこうのかいだん)


概要

 「学校の怪談」とは学校怖い話のことである。
 この概念は非常に広範かつ多数の事例によって構成されていることで知られ、一口で語ることは難しい。ここは民俗学者「常光徹」をはじめとする研究者に端を発し、多くのメディアによって取り上げられることによって発展した90年代のムーブメント抜きで語ることは不可能だろう。当然、この風潮は「学怖/アパシー」の成立にも深く関わっている。

 あくまで私見と断っておくが、心霊・オカルトは約十年の周期で流行を繰り返しており、学校の怪談と言う現象も80年代後半の「都市伝説」の移入を受け成立した趣が強い。
 いわば「学校の怪談」は「都市伝説」の一部と言える。

 日本各地に散らばった怪異・現象が収集され、それまで無関係と思われた事象が一個のものとして定義された結果「学校の怪談」という概念が成立した。

 1990年に初巻を、続いて1997年まで発刊していた同名小説『学校の怪談』シリーズはそれを軸として流行を作り出し、当時の小中学生を中心とした若年層にこの概念を植えつけた。
 「学校の怪談」と言う概念に大多数に説明不要なコンセンサス(同意)を与えたからこそ、その後の大ヒットは生まれたのである。

 それを元に映像化された、15億円もの興行収入を記録した同名の映画はシリーズ化され往年のファンの記憶にも新しいだろう。
 加えてドラマやテレビアニメ、そしてゲームソフトと言う流れも必定と言える。『学怖』もその流れに乗って企画されたと言うのも頷ける話である。

 ちなみに『学怖』も当初は小学校を舞台として企画されたが、後に高校に年齢を引き上げられたという俗説がある。
 実際は最初から高校を舞台として制作したのに関わらず、発注された側の勘違いから児童を意識したパッケージイラストが上がってきたという事情が後年原作者飯島氏の口から語られている。それだけ小学校=学校の怪談の図式が近いことの証左だろう。

 ただし、「学校の怪談」が持つ幾つかの特徴は『学怖』中でも失われておらず、未だシリーズを語る上でも外せない。すなわち「学校」と言う空間の特異性である。

 学校はほぼ均一な構成員を持つため、口伝えで文化が共有される。
 同時に成員に大きく年齢に隔たりが生じたり定期的に入れ替わったりする神秘性、子ども達が集うエネルギッシュな昼と、誰もいなくなる夜のギャップ、さらに学校教育が全ての人間にとって当てはまる通過儀礼であることも見逃せない。
 さらに近年のメディアの発展に合わせ、怪談が同じ校舎に属する者と言う括りから外れ情報の蓄積が進むことを考えれば、個々の学校の伝承に拠ることなくバリエーションは無数と言える。反面定型化も進んでいるが、それも宿命だろう。

 学校自体は実社会から児童/生徒を保護する役割を持つが、外界から遮断されるためにいじめやスクールカーストなど暗部を外に出さない問題も起こる。
 これらが一般社会の縮図であるからこそ、作中で戯画化されたような人間の心の闇が顕著になって表されるのである。

 また、学校独自の設備や器材の存在もあっての怪談も認められる。
 一般的に想像される「理科室で踊る骸骨」や「肖像画の目が動く」、「トイレから飛び出す手」などは、代表的な学校独自に“生きる"怖い話だろう。
 個々の怪談は学校外の施設に見出せても、それら全てを揃えるとなれば学校以外には無いだろう。

 古くは「トイレの花子さん」や「テケテケ」を代表とし、シリーズを例にとっても「逆さ女」や「妖怪ベロリ」と言った数々の妖怪を生み出している学校は、科学の発展に合わせ幻想を失いつつある現代では数少ない聖域なのかも知れない。
 実際、学校から創作された妖怪は枚挙に厭わない。
 今も生きる怪異のダイナミズムを持つ「学校」は都市伝説の一部でありながら、その中心地と言っても過言ではないのである。


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最終更新:2024年04月17日 11:37